2005年12月

私の為の良い訪れ ウイリアム・モーア

ルカによる福音書2章1-20

【今日はクリスマス】
メリークリスマス!今日、12月25日は丁度主イエス・キリストの御降誕の記念日になります。日曜日が主の日のクリスマスになるのは11年ぶりですので、今日は西谷集会で始めて迎える主の日のクリスマスです。キリスト教会は大昔から12月25日にイエス様の御降誕を祝って来ましたので、今年は全世界教会と共に主の日にその最も素晴らしい記念日を守る事が出来ます。

【光が世に来た】
今日の礼拝はクリスマス礼拝ですので、アドベント・リースの外側の希望と平和と喜びと愛のろうそくを灯すだけではなく、真ん中にあるキリストのろうそくも灯しました。2005前に、「世の光」である、神の独り子、主イエスはベツレヘムにお生まれになりました。その日、全人類の永遠の救いの為に全能の唯一の神が肉体を取って、人間として私達と共に宿りました。

【馬小屋に生れた救い主】
先程ルカによる福音書に記されている、イエス・キリスト御降誕の次第を読ませて頂きました。神の力強い御業で、御自分の御子イエス・キリストは人間の母マリヤから、この世にお産まれになりました。そして、驚いた事に、その歴史の中の最も重要な出来事は馬小屋で起こりました。なぜなら、マリヤとヨセフはローマ皇帝の勅令で、全領土の住民と共に、それぞれの故郷に帰って、登録を余儀なくされました。そして、「宿屋には彼等の泊まる場所がなかったから」臨月になったマリヤはその卑しい馬小屋で神の御子をこの世に誕生なさいました。

2005年12月25日 | カテゴリー: ルカによる福音書 , 新約聖書

クリスマスの愛 ウイリアム・モーア

フィリピの信徒への手紙2章1-11

【クリスマスの愛】
私達のアドベントの旅は大分進んで参りました。

丁度来週の主の日はクリスマス、イエス・キリストの御降誕の記念日になります。毎週の説教を通して私達はクリスマスの準備が出来ました。「 クリスマスの希望」と、「 クリスマスの平和」と、「 クリスマスの喜び」を一緒に学びました。そして、今日は「「 「 クリスマスの愛」について共に考えたいと思います。実は、何よりもクリスマスの出来事は私達人間に対する神の愛を現します。そして、神の愛の故に私達はクリスマスの他の恵み、希望と平和と喜びを経験する事が出来ます。今日は主イエスの御降誕を通して神が私達に現わされた愛を新に見ましょう。

【フィリピの教会に】
使徒パウロは今日の聖書の個所をフィリピと言う町に住んでいるキリスト者に手紙の形で送りました。パウロはフィリピの教会を開拓しましたけれども、信仰の理由で牢に入れられフィリピの信徒を訪ねる事が出来ませんでした。ですから使徒パウロは手紙で彼等を励まし、教えました。特に、キリスト者としての相応しい態度と生き方を教えました。彼等を主イエスの愛の手本に思い返させて、その手本に従うようにと奨励しました。

イエス・キリストが示して下さった愛と献身が自分達のものになると、彼等は一つになって、そして、更に、信仰の力の証人になります。つまり使徒パウロはフィリピの信徒にこのように言いました。

「お互いに『クリスマスの愛』を示して下さい。」

そして、その「クリスマスの愛」とは何でしたか。今日のテキストの6節の所を見て下さい。フィリピの信徒への手紙2章6節

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」

とパウロはフィリピの信徒に思い起こさせました。

2005年12月18日 | カテゴリー: フィリピの信徒への手紙 , ヨハネによる福音書 , 新約聖書

クリスマスの喜び ウイリアム・モーア

ルカによる福音書1章26−56

◆マリアの讃歌(ルカによる福音書1章)
46:そこで、マリアは言った。
47:「わたしの魂は主をあがめ、/わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
48:身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も/わたしを幸いな者と言うでしょう、49:力ある方が、/わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、50:その憐れみは代々に限りなく、/主を畏れる者に及びます。51:主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、52:権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、53:飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。
54:その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません、55:わたしたちの先祖におっしゃったとおり、/アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

クリスマスの喜び

【讃美歌 102】

もろびと声あげ、喜び称えよ、
神の恵み、 この世に表われ、
ダビテの村の いぶせき馬屋に、
きよき御子は 生まれたもう。

もろびと声あげ、喜び称えよ、
あめのとびら 今しも開かれ、
つきぬ恵みを 身に帯び給いて、
きよき御子は 生まれたもう。

もろびと声あげ、喜び称えよ、
死の恐れを 追いやりたまいて、
よき音ずれを あまねく伝うる
きよき御子は 生まれたもう。

2005年12月11日 | カテゴリー: ルカによる福音書 , 新約聖書

クリスマスの平和 ウイリアム・モーア

ルカによる福音書2章1−20

【パックス・ロマ−ナ】
真っ暗なパレスティナの夜でした。羊は牧場の草の中でぐっすり眠っていました。しかし、羊飼い達は狼や泥棒などの危険の為、寝ずに夜番をして、羊の群れを見守っていました。夜は寒いので羊飼い達は焚き火を囲んで体を暖めました。そして彼等は長い夜の時間を潰す為、羊の群れの番をしながら、ゆっくりとお互いに色んな話をしました。町に住んでいる自分の家族の事や、次の日の予定や、病気の羊の問題や、最近のうわさ話などもしました。話は様々ですが、最後に彼等はいつも一つの話題に戻っていました。それは自分の国イスラエルの不幸な状態です。つまり、長い間、外国の支配を受けて、イスラエルはローマ帝国の三流植民地になってしまいました。以前は独立した国としての自由な存在であったのに、ローマの兵士は自分の国に侵攻して、剣で住民を食い物にしてしまいました。ローマの暴君によってこの状態は「パックス・ロマ−ナ」と呼ばれました。すなわち、the peace of Rome 、ローマの支配による平和と言う意味です。しかし、イスラエルの人々にはそれは決して平和ではありませんでした。却って、何よりもテロの状態でした。イスラエルの住民はローマの政権に厳しく監督され、ローマの市民ではないから、人権は殆ど守られていなかったのです。更に、貧しい者からも無理に税金が徴集されました。また、ローマの政権は全ての反対者を冷酷に扱いました。必ず謀反の報酬は拷問と残酷な死でした。

羊飼い達は自分の国の悲惨な現状を話し合うと、彼等にとって一つの事が明白になりました。いくら言っても、外国の兵士の靴がイスラエルの土地を踏む限り、平和は自分の国に来ません。何よりもローマの圧迫からの解放の日を待ち望んでいました。イスラエルの預言者イザヤはその日を予告して、このように宣言しました。

「主は、御自分の右の手にかけて力ある御腕にかけて、誓われた。私は再びあなたの穀物を敵の食物とはさせず、あなたの労苦による新しい酒を異邦人に飲ませる事も決してない。穀物を刈り入れた者はそれを食べて、主を賛美しぶどうを取り入れた者は聖所の庭でそれを飲む。」(イザヤ書62:8--9)

2005年12月04日 | カテゴリー: イザヤ書 , ルカによる福音書 , 新約聖書 , 旧約聖書