2008年8月

主よ、なぜ遠く離れて立ち、苦難の時に隠れておられるのか ウイリアム・モーア宣教師

詩編10篇(アルファベットによる詩)

1:主よ、なぜ遠く離れて立ち/苦難の時に隠れておられるのか。2:貧しい人が神に逆らう傲慢な者に責め立てられて/その策略に陥ろうとしているのに。3:神に逆らう者は自分の欲望を誇る。貪欲であり、主をたたえながら、侮っている。4:神に逆らう者は高慢で神を求めず/何事も神を無視してたくらむ。5:あなたの裁きは彼にとってはあまりにも高い。彼の道はどのようなときにも力をもち/自分に反対する者に自分を誇示し6:「わたしは揺らぐことなく、代々に幸せで/災いに遭うことはない」と心に思う。7:口に呪い、詐欺、搾取を満たし/舌に災いと悪を隠す。8:村はずれの物陰に待ち伏せし/不運な人に目を付け、罪もない人をひそかに殺す。9:茂みの陰の獅子のように隠れ、待ち伏せ/貧しい人を捕えようと待ち伏せ/貧しい人を網に捕えて引いて行く。10:不運な人はその手に陥り/倒れ、うずくまり11:心に思う/「神はわたしをお忘れになった。御顔を隠し、永久に顧みてくださらない」と。

12:立ち上がってください、主よ。神よ、御手を上げてください。貧しい人を忘れないでください。13:なぜ、逆らう者は神を侮り/罰などはない、と心に思うのでしょう。

14:あなたは必ず御覧になって/御手に労苦と悩みをゆだねる人を/顧みてくださいます。不運な人はあなたにすべてをおまかせします。あなたはみなしごをお助けになります。15:逆らう者、悪事を働く者の腕を挫き/彼の反逆を余すところなく罰してください。

16:主は世々限りなく王。主の地から異邦の民は消え去るでしょう。17:主よ、あなたは貧しい人に耳を傾け/その願いを聞き、彼らの心を確かにし18:みなしごと虐げられている人のために/裁きをしてくださいます。この地に住む人は/再び脅かされることがないでしょう。


【9・11事件】
おそらく皆さんも私と同じようにメデイアで特に酷いニュースを聞くと、口がきけない程の驚きと恐怖を感じ、ぞっとします。例えば、ニュヨーク市の世界貿易センターの9•11事件はそうでした。全く思い掛けなく、テロリストが飛行機を爆弾にして、無差別的に数千人の命を無残にも奪ってしまいました。

2008年08月31日 | カテゴリー: 旧約聖書 , 詩篇

競走を忍耐強く走り抜こう ウイリアム・モーア宣教師

ヘブライ人への手紙12章1−3◆主による鍛錬

1:こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、

2:信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。

3:あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。


【オリンピック】
皆さん、先日のオリンピックを見ましたか。最近テレビをつけても、あるいは新聞や雑誌を開いても、オリンピックの情報を避ける事は難しいです。オリンピックは世界の全ての人々の注目を引きつけました。世界中、数10億人が鳥の巣で行った開会式を見たんだそうです。オリンピックの魅力は何でしょうか。その魅力は何よりも選手達は勝利を得る為に一生懸命に訓練を受け、最善を尽くして競技をします。その献身的努力と忍耐は本当に魅力的で、見る人を感動させ、微笑ましくさせます。

先週の木曜日の女子ソフトボールの競技は大変刺激的でしたね。日本のチームは勝てそうもないなのに、頑張って大きな勝利を得ました。皆は最後まで最善を尽くして金メダルの夢を叶えました。

2008年08月24日 | カテゴリー: ヘブライ人への手紙 , 新約聖書

「試練と信仰」淀川キリスト教病院伝道部長 田村英典牧師

聖書:ペトロの手紙一1章3~7◆生き生きとした希望

3:わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、4:また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。5:あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。

6:それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、7:あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。


【試練は必然】
今朝は、私たちにとって最も重要な問題の一つである試練について、御言葉から改めて教えられたいと思います。「朝から試練の話とは、ちょっと重苦しい」と思われる方があるかも知れません。しかし、これは状況を選んでおられるような悠長なテーマではありません。これは信仰に生き、戦っている真のクリスチャンにとって、常に差し迫った問題です。ですから、ペトロも手紙の冒頭ですぐこの問題に言及します。

私たちの将来がどんなものになるかは、誰にも予測できませんが、色々な試練が待っていることだけは間違いありません。そうであるなら、あらかじめ御言葉により備えをしておくことはとても大切です。

2008年08月17日 | カテゴリー: ペトロの手紙一 , 新約聖書

「迫害に遭っても喜ぶ」マタイ福音書5章11~12 淀川キリスト教病院牧師 田村英典

淀川キリスト教病院牧師 田村英典

聖書:マタイ5章(山上の説教)

1:イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。2:そこで、イエスは口を開き、教えられた。

◆幸い

3:「心の貧しい人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。

4:悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。

5:柔和な人々は、幸いである、/その人たちは地を受け継ぐ。

6:義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。

7:憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。

8:心の清い人々は、幸いである、/その人たちは神を見る。

9:平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。

10:義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。

11:わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。

12:喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」


【迫害を受けるクリスチャンの反応】
マタイ5章の冒頭にあるイエスの教えから、真のクリスチャンとはどういう者かを学んでいます。イエスは3~10節で8つの側面からそれを描かれますが、その最後は10節

「義のために迫害される」


という点です。今日の11、12節は10節の続きであり、補足説明と言えます。

2008年08月10日 | カテゴリー: ヘブライ人への手紙 , ペトロの手紙一 , マタイによる福音書 , ヤコブの手紙 , ルカによる福音書 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書

ホームシック ウイリアム・モーア宣教師

聖書:コリントの信徒への手紙二5章1−10

1:わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。2:わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています。3:それを脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません。4:この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着たいからです。5:わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として"霊"を与えてくださったのです。6:それで、わたしたちはいつも心強いのですが、体を住みかとしているかぎり、主から離れていることも知っています。7:目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。

8:わたしたちは、心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。9:だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。10:なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。


【ホームシック】
今年の春に中国の上海に行きました。初めての中国の旅ですから、とても面白かったです。特に向こうのキリスト教会の現状と中国の経済的発展を自分の目で見る事は良い勉強になりました。しかしながら、そのツアーの最後の日になると、不思議にどうしても家に帰りたい気持ちがあったのです。

その気持ちになったのは別に上海が嫌い訳ではありませんでした。本当に刺激的な所で、いつかもう一度また来てみたいと思いました。けれども、向こうの環境の違いの故に、家を憧れ帰りたかったのです。言葉は通じなし、食べ物も慣れていませんでした。ホテルのベッドは板のように固くてよく眠れませんでした。また、上海の道が分からなくて自由に動きが取れないと言うのも不便でした。ですから、馴染みが深い神戸と我が家を憧れ帰りたかったのです。と言うのは。

恐らく私はちょっとホームシックになったかも知れません。誰でも遠く離れると、いくら良いと言っても、やはり、楽にさせる家の事や慣れて来た環境をなつかしく思う心があります。

2008年08月03日 | カテゴリー: コリントの信徒への手紙二 , フィリピの信徒への手紙 , ヨハネの黙示録 , 新約聖書