サムエル記下

占星術の学者達から学ぶ事 ウイリアム・モーア宣教師

聖書:マタイによる福音書2章1−12節
 
【東方から来た占星術学者】
今日の御言葉に於ける占星術学者達の物語は神秘に包まれています。と言うのは、その人物の事についてあんまり知られていません。聖書には彼等の 国と人数、また名前さえも載ってありません。ただ、「占星術の学者達が東の方からエルサレムに来た」と記されています。ですから、長年にわたってその学者達について伝統が結構生じて来ました。例えば、彼等は主イエスに黄金(おうごん)、乳香(にゅうこう)、モツ薬の三つのお贈り物を献げたので、恐らく学者達三人で来たと思われますが、聖書を注意深く読んで見ると、それは確かな事ではありません。また、国はペルシア、つまり現代のイランと言う伝統がありますが、聖書にはただ、彼等は「東の方から」来たと書いてあります。ですから彼等はバビロニアかアラビアから来た可能性もあります。伝統によりますと学者達の名前はガスパルと、メルチオルと、バルテャザルですが、実際にその名前も不明です。さらに彼等はラクダに乗って来たと言う固定的なイメージがありますけれども、それも憶測に過ぎません。
 
【占星術の学者とは】
「占星術の学者」と日本語に訳されたギリシャ語の原語は「マゴイ」です。マゴイはその時代の学問が一番優れた人物でした。色んな課目を学んだ彼等は、当時の学者、あるいは博士でした。彼等の優れた学問の故、中東の諸国でマゴイは国王の顧問になり、地位のとても高い者でした。そして、彼等が学んだ課目の中で天文学と占星術が重要でした。星と惑星の位置と運行によって人や国家の運命が分かると信じた彼等は常に夜の空を研究しました。

2007年12月16日 | カテゴリー: サムエル記下 , ヘブライ人への手紙 , マタイによる福音書 , ヨハネによる福音書 , ローマの信徒への手紙 , 創世記 , 新約聖書 , 旧約聖書

神の信実・神への忠信 ―ダビデ王とその家臣― 市川康則牧師/神戸改革派神学校教授

(歴代誌上11章15‐19)

序.
 歴代誌上11章15‐19は、ダビデとその家臣が共々に、またそれぞれに、神に対して忠義であり、真に献身したことを伺わせる一つのエピソードを記しています。この箇所の並行記事がサムエル記下23章13‐17にありますが、そこでは、三勇士の武勲は、ダビデの生涯と事績を記す一連の物語の終わりのほうに位置しています。今朝の箇所では対照的に、ダビデがサウルに代わって登場してくるのを書き始める部分―長いダビデ物語の初めのほう―に位置しています。
 
神の民、イスラエル王国の要とも言うべきダビデ王朝の勃興・形成の物語の最初期から、ダビデ自身の事績のみならず、彼の忠義な家臣団が―各自の名前が連ねられて―述べられていることは意義深いことです。イスラエル王国の基礎固めがなされ、それを通して主なる神の主権的支配が着実に進んで行く背景には、ダビデだけなく―ダビデ一人ではどうにもなりません!―彼が自らの王の任務を遂行することができるように、彼に仕えた多くのイスラエルの家臣がいたことが、読者には初めから印象付けられます。神はご自身の御業の遂行のために、ダビデの忠実な家来をも(ダビデと共に)用いられたのです。

2006年11月26日 | カテゴリー: コリントの信徒への手紙二 , サムエル記下 , ヨハネによる福音書 , ルカによる福音書 , 創世記 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 歴代誌上

世代を貫く神の契約的信実 ―キリスト教の"因果応報"― 市川康則神戸改革派神学校教授

(聖書:サムエル記下21章1‐14)
 
序―因果応報
 「因果応報」はすぐれて仏教的な言葉ですが、しかし、単純に「原因結果」の意味に取れば、キリスト教信仰にも当てはまります。キリストを信じるなら(原因)、罪を赦され、救われます(結果)。ある哲学者は、キリスト教が日本で受容されない原因の一つは、祖先崇拝を粗末にしてきたからだと言います。私たちは祖先を「崇拝」しませんが、しかし、祖先がいたから私たちが今ここにいるということは事実です。そればかりか、私たちはしばしば、良きにつけ悪しきにつけ、祖先のしたことに影響を受けたり、条件付けられたりします。私たちは前後の時代の人々といっしょに歴史を担っており、その中で自分たちの役割を果たします。よく果たせば、次の代の人たちは助かりますが、しかし、悪く果たすと、迷惑な置き土産をすることになります。

こういうことは信仰生活や教会形成にも当てはまります。今朝学びます聖書の箇所も、このことを教えています。しかし、最も重要なことは、単に先祖と私たちの間の、また私たちと子孫の間の因果関係だけを意識するのではなく、すべての時代にわたって恵み深く主権的に支配しておられる神に、私たちの意識を向け、神様にこそ信実、忠実に関わることです。神への誠実・礼節こそ、人々へのふさわしい態度をとることができる土台です。祖先をいたずらに美化したり、あるいは非難することなく、神の御心―聖書の教え―に照らして、良いことは良い、悪いことは悪いと判断、評価できるのです。

2006年10月22日 | カテゴリー: サムエル記下 , 旧約聖書

神の前に一人の人間として ―ダビデ王の信仰と悔い改め― 市川康則牧師/神戸改革派神学校教授

聖書:サムエル記下12章13‐23

13:ダビデはナタンに言った。「わたしは主に罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。 14:しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ。」 15:ナタンは自分の家に帰って行った。主はウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれ、その子は弱っていった。
16:ダビデはその子のために神に願い求め、断食した。彼は引きこもり、地面に横たわって夜を過ごした。 17:王家の長老たちはその傍らに立って、王を地面から起き上がらせようとしたが、ダビデはそれを望まず、彼らと共に食事をとろうともしなかった。
18:七日目にその子は死んだ。家臣たちは、その子が死んだとダビデに告げるのを恐れ、こう話し合った。「お子様がまだ生きておられたときですら、何を申し上げてもわたしたちの声に耳を傾けてくださらなかったのに、どうして亡くなられたとお伝えできよう。何かよくないことをなさりはしまいか。」19:ダビデは家臣がささやき合っているのを見て、子が死んだと悟り、言った。「あの子は死んだのか。」彼らは答えた。「お亡くなりになりました。」 20:ダビデは地面から起き上がり、身を洗って香油を塗り、衣を替え、主の家に行って礼拝した。王宮に戻ると、命じて食べ物を用意させ、食事をした。
21:家臣は尋ねた。「どうしてこのようにふるまわれるのですか。お子様の生きておられるときは断食してお泣きになり、お子様が亡くなられると起き上がって食事をなさいます。」22:彼は言った。「子がまだ生きている間は、主がわたしを憐れみ、子を生かしてくださるかもしれないと思ったからこそ、断食して泣いたのだ。 23:だが死んでしまった。断食したところで、何になろう。あの子を呼び戻せようか。わたしはいずれあの子のところに行く。しかし、あの子がわたしのもとに帰って来ることはない。」

【はじめに】
 ダビデ王と言えば、イスラエルの名君であり、今日でもイスラエル国旗は「ダビデの星」と言われるデザインのものです。また旧約時代、将来現われる真の救い主が「ダビデの子(子孫)」と言われたほどに、ダビデは神の救いのみ業において大きく用いられた人物でした。しかし、ダビデは決して"聖人君子"ではありません。欠けがあり、弱さがある罪人に過ぎません。彼は一国の王として一般国民とは比べ物にならない大きな権力を行使でき、これによって、神のみ業を前進させ、そして神から大きな祝福を受けることもできます。しかし、その反面、罪を犯し、神に罰せられることにおいても、国民にまさっています。

2006年09月24日 | カテゴリー: サムエル記下 , 旧約聖書

神は本当に私を愛するか ウイリアム・モーア

サムエル記下9章1-13

【旧約聖書のお話】
毎月のバイブル・クイズを通して私達は旧約聖書に於けるお話を少しづつ学んで来ました。ハンナとその息子サムエルの事や、イスラエルとペリシテの戦いや、国王サウルの政権や、ダビデと巨人ゴリアトの決闘などについて学びました。ある面でこのお話は面白いです。何千年前の人の考え方と行動が映画の場面のように目に浮かびます。その劇的な王と預言者のストーリは今を住んでいる私達に興味を起こさせます。しかし、旧約聖書のお話はいくら面白くても、その出来事の数千年後に生きる私達と何の関係がありますか。キリストの教会はその大昔のストーリを現在も、「御言葉」、すなわち、私達の為の神からのお話としてなぜ大事にするのでしょうか。

【選民イスラエル】
実は、旧約聖書のおもなお話は全能の唯一の神と御自分が特別に選んだ民イスラエルとの関係を記録してあります。つまり、その民の為の神の愛と恩寵が語られています。ですから、主イエス・キリストの贖いによって神の家族に加わえられた私達は、旧約聖書のお話を通して父なる神の愛が分って来ます。変わらぬ神はイスラエルを愛したように私達も愛して下さいますので、その古代のストーリは私達のストーリになって、それを学んで大事にします。

【サウル王の孫メフィボシェット】
今朝、与えられた個所は、ダビデ王とサウル家の物語ですけれども、実際にこのお話を通して私達に対する神の愛と恵みが悟らされます。

まだ小さい子供だったサウル王の孫メフィボシェットは、一生その恐ろしい日を忘れる事が出来ませんでした。戦地から宮殿にこの悲しいニュースが届きました。「サウル王と息子三人は戦死されてしまいました。」イスラエルの長年の敵ペリシテは戦争でイスラエルの王と息子達を皆殺しました。その上、内戦の相手ダビデはサウルに代って、イスラエルの王になりました。ですから、祖父サウルとお父さんヨナタンを亡くした若いメフィボシェットは自分の命も危なかったのです。その時代、王家が代ると、勝った方が負けた王家を全滅しました。なぜなら、前の王家を二度と立ち上がらせない為でした。

2006年01月08日 | カテゴリー: サムエル記下 , 旧約聖書