2009年4月

井戸端会議 ウイリアム・モーア宣教師

詩編42篇2−3a

2:涸れた谷に鹿が水を求めるように/神よ、わたしの魂はあなたを求める。3:神に、命の神に、わたしの魂は渇く。

ヨハネによる福音書4章◆イエスとサマリアの女

1:さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、洗礼を授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、2:――洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである――3:ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。4:しかし、サマリアを通らねばならなかった。5:それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。6:そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。

7:サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。8:弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。9:すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。10:イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」11:女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。12:あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」

13:イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。14:しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」15:女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」16:イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、17:女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。18:あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」19:女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。20:わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」21:イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。22:あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。23:しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。

24:神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」25:女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」26:イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」


【渇きの記憶】
皆さん、喉が大変渇いた覚えがありますか。夏にお庭や畑で働いて汗をかくと、冷たい麦茶はとても美味しいですね。でもそれは本当の渇きではありません。もし本当に渇いたら、飲む事しか考えられなくなります。喉だけではなく、口も渇いて来て、倒れるかと思う程の渇きの体験がありますか。

私はその体験が一度ありました。それは12歳ぐらいの時なんですけれども、父と一緒に山の奥の小屋に上る時でした。夏の一番暑い時期、空に雲一つない焼きつくような日でした。道の先に泉があると思ったので、水筒の水を全部飲んでしまいました。眩しい日の下に山を登りながら、その泉の爽やかな水に憧れました。ようやく泉の所に着いた時、すぐ水のもとに行って、飲もうと走って行きました。しかし、冷たい湧き出る水の代わりに、乾いた石と泥しか残っていませんでした。やはり長い間雨が降らなかった為、泉の水が枯れてしまいました。言うまでもなく、私は大変がっかりした。しかし、水が沢山ある山の頂きまでには、まだまだ時間がかかりましたが、山の上に向けて頑張るしかありませんでした。渇いた口を少しでも楽にさせる為、父が小さい石を拾って口の中に入れて下さって、舐めるように言われたけれども、それはあんまり効果がありませんでした。そして、今度は足が疲れて来て、痙攣を起こして、殆ど歩けなくなりました。

皆さん、笑ってしまうかも知れませんが、私は山道の中で死ぬかと想像しました。しかし、父が側で助けて、何とかして山の頂上に着きました。すぐその時、素晴らしい水を一杯飲む事が出来ました。それだけではなく、頭も足にも爽やかな水を掛けました。その瞬間まるで生き返るような気がしました。その40何年程前の事は今も生々しく覚えています。

2009年04月26日 | カテゴリー: 旧約聖書 , 詩篇

イースターの約束 ウイリアム・モーア宣教師

ルカによる福音書24:1−12;36−49

◆復活する

1:そして、週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料を持って墓に行った。2:見ると、石が墓のわきに転がしてあり、3:中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。4:そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。5:婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。6:あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。7:人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」8:そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。9:そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。10:それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、11:使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。12:しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。

◆弟子たちに現れる

36:こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。37:彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った。38:そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。39:わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」40:こう言って、イエスは手と足をお見せになった。41:彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。42:そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、43:イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。44:イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」45:そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、46:言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。47:また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、48:あなたがたはこれらのことの証人となる。49:わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」


【主イエスの受難】

悪夢のような一週間でした。しかし、それは幻想ではありません。明白な事実でした。全く信じられない事が起ってしまいました。祈る為に主イエス・キリストと御自分の弟子達がエルサレムに近いオリブと言う山へ行くと、突然、刀と棒を持った群衆が現れました。そして、十二の弟子の一人、ユダは、その群衆から出て来て、「先生、いかがですか」と挨拶して、主イエスを接吻しました。そうすると主はこのように言われました。「ユダ、あなたは接吻をもって人の子を裏切るのか。」

2009年04月12日 | カテゴリー: ルカによる福音書 , 新約聖書

なぜわたしをお見捨てになったのですか ウイリアム・モーア宣教師

マタイによる福音書27章27−50◆兵士から侮辱される

27:それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。28:そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、29:茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。30:また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。31:このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。

◆十字架につけられる

32:兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。33:そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、34:苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。35:彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、36:そこに座って見張りをしていた。37:イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。38:折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。39:そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、40:言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」41:同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。42:「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。 43:神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」44:一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。

◆イエスの死

45:さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。46:三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。47:そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。48:そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。 49:ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。50:しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。



【東独・放送タワーに現れた十字架】

旧東ドイツの共産主義の時代、あるシンボルがその国のキリスト者に大きな慰めと希望を与えました。それは高層テレビ放送タワーでした。政府がその放送タワーを通して無神論宣伝を国民に送りましたが、一つの問題があったのです。それはタワーの天辺に球状の形のレストランがありました。そして、太陽の光がその球状に当たると、いつも眩しい十字架が映されました。その十字架は有名になり、共産党の政権を当惑させられました。ですから、当局がその十字架を消す為に、あらゆる手段を尽くしました。ペンキを塗ったり、球状の表面にあったガラスにコーテイングを付けたりしましたが、全く役に立ちませんでした。十字架は尚更眩しく映され、キリスト者に大きな励みになりました。ある牧師が十字架の現象についてこのように言いました。「当局がいくらで無神論主義を主張しても、十字架を私達の国から消す事は出来ない。」

2009年04月05日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , 新約聖書