2009年7月

「明日のことを思い悩むな-今日を生きる」 淀川キリスト教病院伝道部長田村英典

聖書:マタイによる福音書6章25~34◆思い悩むな

 25:「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。 26:空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。27:あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。  28:なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、    注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。29:しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。30:今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。  31:だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。32:それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。  33:何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。34:だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」


 
【思い悩むな】
マタイ福音書6章25節以降の「思い悩むな」というイエス・キリストの教えを今日も学びます。
人間誰しも好き好んで思い悩む訳ではありません。思い悩まないのに越したことはありません。しかし、現実にはあれこれ思い悩んでしまいます。しかも、そこには私たちを神から引き離そうとするサタンの働きがあります。ですから、イエスは私たちにこの問題についてお教え下さるのです。

2009年07月26日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , 新約聖書

「まず神の国と神の義を」淀川キリスト教病院伝道部長 田村英典

聖書:マタイ6:25~34◆思い悩むな

 25:「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

 26:空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

 27:あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

 28:なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

 29:しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

 30:今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。

 31:だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。

 32:それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

 33:何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

 34:だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」


 

【思い悩むな】
今日もマタイ6章25節以降の「思い悩むな」という主イエス・キリストの御声に耳を傾けたいと思います。

前回お話しましたが、自分の将来についてよく考え計画することは、神がご自身に似せて造られた私たちに求めておられることです。しかし、あまり先々のことまで心配し思い悩むことは、神の御心ではありません。

2009年07月19日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , 新約聖書

「御言葉の力」伊丹教会執事 八尋孝一

聖書Ⅰテサロニケ2章13節~16節 

13:このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。 14:兄弟たち、あなたがたは、ユダヤの、キリスト・イエスに結ばれている神の諸教会に倣う者となりました。彼らがユダヤ人たちから苦    しめられたように、あなたがたもまた同胞から苦しめられたからです。15:ユダヤ人たちは、主イエスと預言者たちを殺したばかりでなく、わたしたちをも激しく迫害し、神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し、16:異邦人が救われるようにわたしたちが語るのを妨げています。こうして、いつも自分たちの罪をあふれんばかりに増やしているのです。しかし、神の怒りは余すところなく彼らの上に臨みます。

 

【自己紹介】

西谷の会堂を訪れたことはありましたが、礼拝を共にするのは初めてです。顔をお見かけして、よく知っておられる方もおられますが、初めてお会いする方もあります。プロフィールにありますが、八尋といいます。珍しい名前ですが、九州にはわりと多いです。10年ほど前に九州は福岡から兵庫へきまして、現在関西学院の高校で世界史を教えています。よく教師なのだから、人前で話すのはお手の物でしょうと言われますが、礼拝で御言葉を語るのは、教室でローマ帝国やフランス革命の話をするのとはわけが違います。今日は、緊張しつつ皆さんの前に立っています。

2009年07月12日 | カテゴリー: テサロニケの信徒への手紙一 , 新約聖書

癒されて知った神の愛 神戸改革派神学校専任教授牧野信成牧師

神戸改革派神学校専任教授牧野信成牧師

聖書:ルカによる福音書17章11-19節

重い皮膚病を患っている十人の癒し11:イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。12:ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、13:声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。14:イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。

15:その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。16:そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。

17:そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。18:この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」

19:それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」


【重い皮膚病】

今朝の御言葉は、ルカ福音書だけに記されています10人のらい病人についての話です。「重い皮膚病」というふうに病名が替わっておりますけれども、重要なことはそれが聖書で指定された重病であったことです。死に至る恐れのある、伝染性の病であり、その深刻さの故に、感染した者は社会から隔離された生活を強いられました。そんな深刻な病に冒された10名の患者を、主イエスは一時に癒された、と福音書は伝えます。憐れみ深い神を示す、大きな救いの御業です。

2009年07月05日 | カテゴリー: ルカによる福音書 , 新約聖書