2006年5月

愚かな者にならないように ウイリアム・モーア

聖書:詩編53編2-3

【愚かな者】


「神を知らぬ者は心に言う、『神などない』と」

と今日の御言葉、詩編第53編に記されています。それは新共同訳聖書ですが、1955年改訳聖書はこのようにヘブライ語の原文を翻訳します。

「愚かな者は心のうちに『神はない』と言う。」

「神を知らぬ者」と「愚かな者」、相違があるから、どちらが良い翻訳かを調べました。原文を見ると「愚かな者」が正しい訳と思います。つまり、

「愚かな者は心のうちに『神はない』と言う」

の方が原文により近いです。はっきり分りませんけれども、恐らく、

「愚かな者」

と言う表現はあまり強いので、新共同訳聖書は

「神を知らぬ者」

を用います。しかし、聖書には、神を知らない事と愚かな事は全く同じ意味になります。例えば、箴言にはこの御言葉があります。

「主を恐れる事は知恵の初め、聖なる方を知る事は分別の初め。」(9:10)

逆に言えば、「主を畏れない事は愚かである、神を知らぬ事は分別のない表れになります。」結局、聖書に於ける「愚かな者」と「神を知らぬ者」は同じ者です。しかしながら、ここでの「愚かな者」はばか者、あるいは白痴ではありません。ここでの愚かな者は、現実について大間違いをする人です。つまり、現実について間違った仮定のもとに自分の判断と行いを築く者です。

【神の存在を疑う愚かさ】
ですから、今日の詩編第53編によりますと、「神はない」と思う者は大変間違った仮定の上に現実を判断してしまいます。その故に、彼らは愚かな者です。神の存在はあまりに明白な事実ですから、「神はない」と主張する者の理解力が乏しいと言う意味です。詩編第19編はこの事について聖書の思想を明白に表します。

「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。話す事も、語る事もなく、声は聞こえなくても、そのひびきは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。」

2006年05月07日 | カテゴリー: 旧約聖書 , 詩篇