2014年2月

2014年2月23日説教「福音の真理と自由」金田幸男牧師

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2014年2月23日説教「福音の真理と自由」金田幸男牧師

 聖書:新約聖書ガラテヤ人への手紙2章1~5

1 その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒に、テトスをも連れて、再びエルサレムに上った。

2 そこに上ったのは、啓示によってである。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、「重だった人たち」には個人的に示した。それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。

3 しかし、わたしが連れていたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼をしいられなかった。

4 それは、忍び込んできたにせ兄弟らがいたので――彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためであった。

5 わたしたちは、福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかった。

 

(説教要旨)

【その後十四年たって】

「その後十四年たって」とありますが、1章18の「三年後」から数えてさらに14年経ったと考えていいのではないかと思われます。つまり、パウロがイエス・キリストの顕現を経験し、回心し、宣教者に召されてから17年過ぎたと見るわけです。この17年は、いわゆる満何年というのではなく、足掛け3年と14年と受け止めることもできます。

 

【パウロの回心とダマスコ宣教】

この間の出来事は、使徒言行録9章以下の記事と対照する必要があります。使徒言行録9章1-19にはパウロの回心の記事が記され、19節以下で、ダマスコでキリストを宣教し始めたことが記されます。パウロはユダヤ人の憎しみを受け、彼に対する暗殺計画が立てられます。2コリント11章32によれば、それはダマスコを一時支配したアレタ王の反ユダヤ的な政策と関わりがあったと推測されます。

 

【パウロのエルサレム行き】

使徒言行録9章26以下で、パウロはダマスコを脱出したあと、エルサレムに行きます。それはエルサレム教会に加わるためでしたが、かつてのキリスト教迫害者パウロは容易に受け入れられませんでした。数週間だけエルサレムに滞在し、ペトロとヤコブとは話をすることができました。

 

おそらくは地上の歩みをされていたイエス・キリストの言行を学んだのでしょう。ペトロとヤコブほど人間として歩まれたキリストの言動を伝えるのに相応しい人物はいません。

 

【タルソス宣教】

エルサレムでも生命の危険を感じて、パウロはその後、タルソスに向かいます(使徒9章30)。タルソスがパウロの出身地でした(使徒9章11)。パウロはふるさと伝道を試みたのですが、そこでの動向は使徒言行録から知ることができません。伝道は不成功であったのではないかと推測されていますが確かなことは分かりません。

 

【シリア・アンティオキア伝道】

その間にシリア・アンティオキアでは、伝道が進展します。特にここではギリシア語を語る人々(ユダヤ人)への働きかけが推し進められました。おそらく異邦人への働きかけも彼らを通して行われたのではないかと思われます。

 

このとき、エルサレム教会からアンティオキア教会に派遣されたバルナバはパウロのことを思い出し、わざわざタルソスまで出かけて行き、そこでパウロを見つけ出し、アンティオキアに連れてきて彼の同労者にします。この間1年間とあります(使徒言行録13章19-26)。サウロはここで頭角を発揮し出したのでしょう。

 

【エルサレム教会の飢饉を助けるバルナバとパウロ】

まもなく、エルサレム教会が飢饉に直面し、困難を味わっているとき、救援の品を携えて行ったアンティオキア教会の代表者はバルナバとパウロでした(使徒9章27-30)。

 

【パウロの第1回伝道旅行と第1回エルサレム会議】

その後、使徒言行録13-14章に記されている通り、2人はアンティオキア教会から派遣されて、キプロスと現在トルコがある、小アジア半島の伝道に従事します(第1回伝道旅行)。この伝道では多くの異邦人がキリスト者になります。ここで問題が生じました。使徒言行録15章に記されるのですが、ユダヤからアンティオキアに下ってきた人の中に、キリスト者になった異邦人信者にも、「割礼を受けなければ救われない」と教えるものがいました。そのために、教会内で大きな論争が巻き起こります。こうして、教会はエルサレムに代表者を送り、そこで、この問題を協議することになったのです。

 以上のように、使徒言行録の記事をガラテヤの信徒への手紙を比べれば、ガラテヤ2章1-10は、使徒言行録15章に記される、いわゆるエルサレム使徒会議と合致します。そこでは異邦人キリスト者の割礼問題が取り上げられています。

 

【エルサレムに再び上り】

そうするとひとつ問題が生じます。パウロは2章1で「エルサレムに再び上りました」と記します。この言葉は「二度目」を表しています。使徒言行録では、少なくともパウロは3度エルサレムに赴いています。すると、エルサレムが飢饉に見舞われ、そのためにアンティオキア教会からパウロが派遣されたエルサレム訪問を書いていないことになります。この省略を取り上げて、聖書の記述は不正確だと批判する人がいます。聖書は誤りなき神の言葉と言われているが、このように間違いがある、したがって聖書を「誤りなき神の言葉」というのは言い過ぎだというわけです。このような間違いと見える個所を探し出しては、躓きを感じるのです。しかし聖書の読み方としては正しくありません。聖書の一字一句が矛盾しないのでなければ聖書は信用に値しないのでしょうか。そうではありません。聖書はそのような潔癖さを求めていません。あるいは求めても仕方がありません。

 

パウロが二度目のエルサレム訪問を省略したところで聖書が信のおけないことを記していると即断してはなりません。パウロにとって問題はエルサレム教会の困難の援助ではなく、エルサレム教会の信仰理解の一致にあります。福音理解が一致しているかどうか、これがパウロの関心事です。

 

【福音理解の一致こそ本質】

ガラテヤの信徒への手紙の主題は、教会間の助け合いではなく、福音理解の一致にありました。本質的問題はここにあります。この本質に触れ、強調するために、パウロはエルサレム訪問を二度であるかのように記しているだけのことです。細かなところで矛盾しているかのように見えても問題の本質から見れば、記述は誤りではなく、まして、パウロを信用の置けない人物と見るべきではなく、聖書を信用できない書物と即断すべきではありません。この聖書の読み方は他の場面でも適用されるべきなのです。

 

 パウロはエルサレムに上り、最初にしたことは個人的にエルサレム教会の「おもだった人たち」とあって話をすることでした。つまり、密かにエルサレム教会の指導者と会ったという意味です。当時、エルサレム教会には12人の使徒だけではなく、組織の拡大に連れて、以前よりも多く教会の指導者たちも立てられていました。

なかには長老と呼ばれていた人もいたと思われます(使徒15章2、4、6)。

 

パウロはなぜこういういわば根回しのようなことをしたのでしょうか。会議での混乱を避けるためであったのかもしれません。いきなり問題の核心部分を持ち出せば議場が大混乱という事態に陥るかもしれません。そういう事態を回避するために予めパウロは工作したのだとするわけです。パウロは会議を重んじる人でした。会議の決定を通して神の意志を知る慎重さも持ち合わせていました(ガラテヤ2章1)。いわゆる天啓も啓示ですが、こうして一連の手続きを経て教会が決したことも啓示の方法と受け止めていたのです。

 

パウロにとって会議が混乱のうちに収拾がつかなくなるような事態を避けるために事前に教会の指導者と話し合ったことも可能です。しかし、それは議論を円滑にするためであって、パウロの福音理解の調整などではありません。エルサレムの教会指導者に合わせて自分の意見を修正するつもりではありません。むしろ、教会の指導者と意見が一致するかどうかを確かめるつもりであったのです。

 

【パウロの慎重さ】

 意見が一致しなければどうなるのでしょうか。教会は分裂です。パウロはむろんそのような分裂を避けるためにエルサレム教会の指導者と事前に意見をすり合わせるつもりなどありませんでした。彼自身の福音理解は決して修正されるべきものではありません。しかし、パウロは慎重でした。何よりも、エルサレム教会の指導者たちと福音理解が一致していることを確認してから、公の使徒会議に出て意見を述べるつもりであったのです。意見を異にすれば初めから会議には出ないつもりであったかもしれません。パウロにとってこの個人的な会見は重大問題でした。でも、パウロの心配は杞憂に終わります。

 

エルサレム教会の指導者たちはパウロが異邦人に宣教している福音信仰を否定することはありませんでした。

その証拠がテトスの存在です。テトスはギリシア人でした(3節)。テモテのように(使徒16章19)母がユダヤ人、父がギリシア人の可能性もありますが、全くの異邦人であった可能性も否定できません。ところが、エルサレム教会のおもだった人たちはテトスに割礼を要求などしなかったのです。

 

このことは、異邦人キリスト者が割礼を受けなければ救われないとか、教会の交わりに参加させないとかと、エルサレム教会が主張していたのではなかったことを示します。そのように主張するものをパウロは偽りの兄弟と呼びます。一見して教会の交わりの中にあるようで、その実、兄弟でもない、そのような危険なものたちをパウロは評価しています。彼らは、イエス・キリストが勝ち取られた罪からの自由を損なうものでしかありません。

 

再び、律法の行いの束縛、つまり、律法の行いがなければ救われないというような、パウロが語り宣べ伝えていた福音破壊を語るものは偽者の兄弟でしかないとパウロは明言します。

 

【教会の多様性と福音信仰の一致】

パウロにとって重大なのは教会の一致です。その根拠は、福音信仰の一致です。救われるのはただ神の恵みのよるのであって、よき業などではありません。生まれ素性、才能能力、品性のよさ、禁欲、善行、難行苦行の類で、私たちの救いが左右されることがありません。救いはイエス・キリストを信じる信仰を通して、ただ神の恵みによるのです。それ以外の何ものでもありません。

 

大切なことは、教会はその出発点からこの一致を保ち、その上に教会が建設されてきた事実です。教会は、その起源から、この信仰において一致してきました。ある人は、教会はユダヤ主義とヘレニスト、あるいは原使徒とパウロ、ユダヤ人教会と異邦人教会と初めから分裂していたのだと主張しますが、そんなことが決してありません。聖書に記されている通り、教会は初めから信仰において一致がありました。福音を信じる信仰において教会はいつも一致していました。キリストの直系の弟子たちも、その後教会に加わった人たちも、みな福音において一致していました。

 確かにいつの時代にも教会には多様性があります。キリスト者も同様です。いろいろな考え方、生活の仕方、ものの感じ方があり、そのような考えの違う人が教会を構成します。多様性があります。しかし、肝心なことは違いにあるのではなく、福音信仰の一致にあります。(おわり)

 

2014年02月23日

2014年2月16日説教「福音信仰を告知する」金田幸男牧師

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2014年2月16日説教「福音信仰を告白する」金田幸男牧師

 

聖書:ガラテヤの信徒への手紙1章18-24

18 それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、19 ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。

20 わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません。

21 その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。

22 キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。

23 ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、24 わたしのことで神をほめたたえておりました。

 

 

 (説教要旨)

【サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか】

パウロは劇的回心を経験しました。天からの突然の光と「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」という声に圧倒され、地に投げ倒され、目が見えなくなり、人に手を引かれてやっとダマスコの町に入ります。そして、そこで主に遣わされたアナニヤという人に導かれて、キリスト者になり、そればかりではなく、福音の宣教者、使徒に召されました。このような一連の体験を通じて彼は福音の真理を獲得しました。この劇的体験は神の特別な働きによるものであり、啓示経験でした。

 

【天からの啓示】

パウロの受けた福音は、その点では天からの啓示であり、彼の思索の所産であるとか、彼の独創、創作ではありませんでした。また、他の人から教えられて到達した結論でもなく、つまり二番煎じの教説ではありません。まして、人に喜ばれ、歓迎されるために福音の真理を歪曲したものではありません。

 

【アラビアに退いた】

イエス・キリストの啓示によって、この福音を受けたのだとパウロは強調します。エルサレムでなく、その後アラビアに退いたとありますが(17節)、これもアラビアの静かな、人のいないところで祈りつつ瞑想しながら、イエス・キリストからさらに深く福音の真理を教えられたと受け止めていいのではないかと思います。

 

【ただ、神の恵みにより】

ただ、神の恵みにより、イエス・キリストを信じる信仰によって人は救われます。律法の行いではなく、善行でもなく、生まれ素性でもなく、才能能力によらず、経歴に関わりなく、人は神の恵みにより永遠の命に至る道を確保できます。

 

この福音は、パウロはイエス・キリストの啓示によったのです。すなわち、彼が奉じている福音は神的起源を持つのです。人間から出たものではありません。だからこそ福音は信じるに値する価値があります。パウロはこの福音の啓示性を強調しますが、それこそが福音が信じる根拠となるのです。

 

【ダマスコを脱出】

ところで、パウロは18節以下で、3年後にエルサレムに行ったことを記します。実は、使徒言行録9:23-25には、ダマスコを去った経緯が記されます。当時、ユダヤ人の陰謀があり、パウロを見張るものがいました。そこで、パウロは城壁から籠で釣り下ろされてやっとのことで脱出しました。

 

【アレタ王】

さらに、2コリント11:32で、アレタ王がパウロを逮捕しようとしていたと記します。アレタ王(アレタ4世=BC9AD40)は、娘がユダの支配者ヘロデ・アンティパスの妃となります。ところがヘロデ・アンティパスは彼女と離婚し、兄弟フィリポの妻であったヘロデヤと再婚しました。このために起きた事件は、洗礼者ヨハネがこれを非難し、そのためヘロデの怒りを買い、ヨハネは逮捕され、のちに理不尽にも殺害されたことです(マタイ14:1-12)。

 

また、アレタ王は娘に対するヘロデの行為を怒り、戦争を仕掛けます。戦いはアレタ王の勝利でした(AD36)。しかし、ローマはヘロデの味方をし、アレタ王を懲罰に処する計画に至るのですが、皇帝ティベリウスの急死で実行されないままに終わります。その後、カリグラ帝の時に、アレタ王はダマスコを一時占領します。彼の反ユダヤ的感情はダマスコのユダヤ人を圧迫する行動に駆り立てたかもしれません。

 

【エルサレム教会】

ユダヤ人とキリスト者の対立を口実に両者を追放する計画であったのではないかと思います。パウロは危うくこのような計画を逃れ、エルサレムに赴きます。使徒言行録9:26では、パウロはエルサレム教会に加わろうとしたとあります。ところがエルサレム教会の会員はパウロを信用しなかった、つまり彼の加入を認めなかったのでしょう。このような経過をパウロ自身、ここで記していません。それらはガラテヤ教会と関係なかったせいでしょう。

 

【ペトロと主の兄弟ヤコブに会う】

パウロの関心はエルサレムで、ケファ=ペトロと知り合いになろうとした点を強調しています。彼はエルサレム教会から拒否された形になりました。しかし、そういうことよりも、ペトロと知り合いになったことを強調しています。さらに主の兄弟ヤコブとも知り合いになったとも語ります。この2人だけに会ったとパウロは言おうとしているのです。エルサレム訪問のはじめには、他のキリスト者とは親しくなることが出来ませんでした。ただ、ペトロとヤコブだけに会ったのです。この2人はもちろんエルサレム教会の重鎮でした。だから、他の信徒から拒否されてもこの二人に会えたことでエルサレム行きの目的は充分に満たされました。そう考えてよいと思いますが、それだけではありません。

 

なぜ、パウロはこの2人にだけ会ったことを強調しているのでしょうか。このことは嘘偽りではないと強い調子で語っていますが(20節)、なぜそんなに強調するのでしょうか。エルサレムでは当初はエルサレム教会の仲間になれなかったことよりも、ペトロとヤコブに会ったことをなぜそんなに力を込めて言うのでしょうか。

 

【ペトロ】

会ったのがペトロとヤコブでした。この2人に共通しているところを考えます。言うまでもなく、ペトロはイエス・キリストの弟子の筆頭に位置します。彼はキリストの働きを親しく見聞きできる立場にありました。実際、ペトロはイエス・キリストのもっとも親しい弟子の一人でした(他はヨハネとヤコブ)。ペトロほどイエス・キリストの説教された言葉をよく記憶し、また、さまざまなところで行われた奇跡の目撃者はいません。

 

マルコ福音書は、著者がペトロから聞いたところを文章化したといわれていますが、それが事実なら、ペトロはイエス・キリストの地上での歩みをよく記憶し、詳細に伝えることが出来る人物であったからです。

 

【ヤコブ】

ペトロは、キリストの肉の兄弟(肉親)で、キリストが復活してからキリスト教会に加わり、指導者になったと考えられている人物ですが、ヤコブほどイエスについて知る人はいなかったでしょう。幼少期からイエスと共に生活しました。彼はイエスについてよく知っていました。

 

パウロは15日にわたり、この2人と雑談したなどとは考えることは出来ません。パウロは詳細に、そして明確に、イエス・キリストについて聞いたはずです。イエスが地上にあったとき何をし、何を語ったのか、パウロは15日間ずっと聞き続けたのでしょう。ペトロとヤコブから肝心なところを聞いたのです。15日間があまり長い時間と取ることも可能かもしれませんが、ぶっ通して聞くとなればそれで十分であったのではないでしょうか。

 

【キリストの贖罪の真理】

パウロはガリラヤ、ユダヤでのイエスの言動を一生懸命になって聞き取ったと思います。特に、キリストの最後のとき、つまり十字架の苦難をめぐるイエス・キリストの言葉と行為を聞いたと思います。そして、パウロの福音理解にはそれは決定的に重要でした。パウロはキリストの十字架の死を、贖いの死、私たちの罪のための犠牲として受け止めています。パウロの書簡にはその真理がちりばめられています。

 

例えば、ローマの信徒への手紙3章23,24をご覧ください。「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で(自由に、何の支払いをせず、ただで)義とされ」救われ、永遠の命を与えられます。このパウロの使信はイエス・キリストが地上にある間になされたみわざと決して切り離せないことを明確に示しています。

 

【罪を除いて私たちと同じになられてキリスト】

キリストが人間であったことはパウロの信仰の重要な要素でした。キリストは人間として私たちの罪の犠牲となってくださり、身代わりを果されたのです。キリストは罪を除いては私たちと全く同じになり、私たちのあらゆる重荷を背負ってくださいます。だから、キリストは私たちのすべての思いを理解してくださるお方なのです。十字架のキリストはパウロの福音の欠くべからざる内容でもあります。

 

その中核部分をペトロやヤコブとの会話から確信できたと思います。むろん、これを二人にあって発見したとか、創作したということではありません。それはパウロが今まで否定してきたところです。ただ、ペトロとヤコブの証言を通じて、その会話によって、地上に生きて行動したイエス・キリストのみ姿をパウロはありありと実感できたのだと思います。キリストの人間性を信じることは私たちのキリスト教信仰の本質です。

 

【エルサレムにとどまり】

パウロは、このあと、しばらくエルサレムにとどまり、他の使徒と連絡はあったようです(使徒言行録9:28、使徒たちと自由に行き来した)。ただ、彼らからパウロは宣教している福音を教えられてはじめて受け入れたというのではないのは明らかです。

 

【シリアとキリキヤに行く】

パウロはシリアとキリキヤに行ったとありますが、この順序は時間的経過ではありません。使徒言行録によればパウロはキリキヤに行きます。そこには彼の出身地であるタルソスがあります。彼はそこで宣教に従事したはずです。ところが使徒言行録もガラテヤの信徒への手紙でもこのタルソス伝道の成果については沈黙しています。ユダヤの諸教会という表現が出てきますが(22節)、ユダヤ人が主である教会という意味でしょう。

 

キリキヤの故郷でも彼はユダや人の教会に出入りしたと思われます。彼はキリスト教会で受け入れられたようですが、伝道が推進されたことについては沈黙しています。

 

【シリアのアンティオキア】

後にバルナバがタルソスまで来て、パウロを探し出します。そして、シリアのアンティオキアに連れて行きました。当時のアンティオキアはこの地方最大の都市で、キリスト教会も成長をしていました。パウロはそこで教師となって聖書を教える立場を得たのですが、その後バルナバと共に異邦人伝道を推し進めることになりました。書かれていませんが、パウロの故郷の伝道は芳しい成果はなかったのではないかと推測されます。

 

【異邦人に福音を】

よく顔の知られているところでの伝道はいつの時代でも難しいもので、イエス・キリストも故郷では受け入れられませんでした(マタイ13:53-58)。バルナバはパウロの才能を見出した、というよりもパウロの信奉している福音を正当に評価して、パウロをアンティキアに誘い出したのだと思われます。そして、異邦人に対する働きにおいて、彼の福音は大きな力を発揮します。神の計画はパウロを通して大きく前進することになりました。(おわり)

2014年02月16日

2014年2月9日説教「神の恵みによる選び出し」金田幸男牧師

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2014年2月9日説教「神の恵みによる選び出し」金田幸男牧師

 

聖書:ガラテヤの信徒への手紙1章11-17

11 兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。

12 わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。

13 あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。

14 また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。

15 しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、

16 御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、

17 また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。

 

(要旨) 

【熱心なユダヤ教徒であったパウロ】

パウロは自らの過去を振り返って語り出します。キリスト教信徒となる前は信心深いユダヤ教徒であり、父祖たちから伝えられた律法とその行いに熱心でありました。その熱心さは他の宗派を排斥し、迫害することに表されました。宗教的熱心はしばしば他の宗派の属する人たちや教団と敵対し、圧迫し、攻撃するなかで示されるという場合は珍しくありません。むろん、信仰に熱心でありながら他の宗教に寛容である人はたくさんいます。信仰の熱心は必ずしも他の信仰者とは敵対的であるというわけではありません。パウロの場合は他の宗教に排他的、しかも暴力的であることによってその熱心さを表現しようとしたのです。

 

【神の教会の迫害者パウロ】

パウロは「神の教会を」を迫害したといいます(13節)。むろんこれはそのときパウロがそう思っていた言葉ではありません。のちになって振り返って自分がしていたことは「神の教会」を迫害することであったというのです。「神の教会」とはそこに神がいます教会、神がそこで働かれる教会という意味です。それは結局神に敵対するという恐ろしい行動でした。そのときは熱心で教会を迫害しました。それは英雄的行動と思っていました。そのような行動は、しかしながら、それは神に敵対するような振る舞いであったのです。

 

【「劇的な回心」を語るパウロ】

 ところで、パウロは単に過去の自分の言行を反省するためにだけ語っているのではありません。また、単なる過去の罪を告白しようとしているのではありません。「劇的な回心」を語ろうとしています。かつてのキリスト教の迫害者から、キリスト教信仰の福音の伝道者になったのです。それは全く180度の方向転換でした。

 

【私たちの信仰の証し】

私たちは「信仰の証し」をする場合、パウロのような劇的な回心を語らなければ証しにならないと思うことがあります。

しかし、信仰の道に入るあり方はひとつではありません。キリスト教徒の家庭で育ち、いつの間にか信仰に入っていたという人もいます。

いろいろな書物を読み、知らぬ間に入信していたという場合もあります。

友人の感化を受けて、その友人のような生き方をしていたらキリスト者の仲間になっていたというように、あまり強烈な自覚もなく信徒になったという人もいます。

そういう人は、自分には他人に言うほどの信仰もないと謙遜になって、信仰の証しをできるだけしないようにするのですが、それは正しくありません。

 

【一人一人違うキリスト者】

10人のキリスト者がおれば10の信仰への道があります。神はそれぞれに相応しいとき、場所、方法で私たちの魂を導く方です。

 パウロは劇的な回心をしました。このことは、ダマスコ途上の経験を結びついています。彼はエルサレムでキリスト教会を迫害していました。ところがダマスコに行く途中、突然の光に打ち倒されます(使徒言行録9:1-17)。サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのかという声を聞きました。彼は目が見えなくなり、ダマスコまで人に手を引かれていくという特別な経験をします。その後、アナニヤというキリスト教信徒に導かれて、主の言葉を聞きます。洗礼を受け、それだけではなく、キリスト教の福音の宣教者とされます。この経験は、パウロの回心の契機となったものです。それは驚くべき経験でした。パウロ独自の経験です。

 

【選びによって】

パウロはなぜこのような劇的な回心を語らなければならなかったのか。それは彼の語っている福音が神からの直接の啓示であることを強調するためです。ここでは、選びによって、異邦人への宣教者として送り出されることになったと言おうとしています。

 

パウロの語る福音は人間に起源を持つものではありません。パウロが研究した結果の結論ではありません。また、あとのところで強調しますように、誰かから伝えられて教え、つまり二番煎じの教説ではありません。それは神からの啓示によるのです。神からの啓示であるゆえに信頼に値する信仰なのです。

 

神からの啓示を受けることになったのは、それはパウロが優秀な才を持っているからではありません。生まれ育ちのせいではありません。むろん偶然ではありません。それは神の選び分けによるものなのです。神はパウロが生まれる前から選ばれていました。彼が福音の宣教者とされたのは生まれる前から神が決めておられたことなのです。このことはパウロが述べ伝えている福音の神的起源を強調することになります。

 

【福音宣教のために選ばれる】

わざわざ神はパウロを選び出して、信仰を与えただけではなく、福音を宣教する使命を与えられたのです。選びは彼が伝道者となったことで明らかになります。選びは、狭い意味では時間に先立って救いに選ばれる選びを指します。ある人は神の決定によって生まれる前から救いに定められているのです。この選びよりも広い意味での「選び」もあります。伝道者だけではなく、神への奉仕者として選び出される選びもあります。選びに「召し」が付随します。パウロは選び出され、恵みによって、伝道者、宣教者に召されました。もっと言えば「使徒」に召されました。

 

【自分と他者の選びについて】

選びはしばしば密かなこととされ、分からないこととされています。確かに他者が選ばれているかどうか分かりません。教会役員を見て、どうしてあの人が神から選ばれて教会役員にされたのか疑問を持つ場合もありましょう。そのとおりです。私たちは他人の選びに関しては分からないといわざるを得ないのです。

 

【選びの確信】

しかし、自分自身についての選びは確信できます。パウロは福音の伝道者として選び出され、召されたとき、それを確信できました。神の選びは確かであると確信できました。選びは伝道者になる選びだけではありません。救いに選ばれます。そのとき、わたしが神を信じ、神に従おうとしているときには、それは選びを明らかにする神の働きです。この選ばれているという確信が、私たちの信仰を固くします。どんなことがあっても神がわたしを選んでいてくださっているという思いが私たちを支えます。

【神からの直接啓示であるパウロの語る福音】

パウロはこの選びによって神から啓示を受け、そして福音を宣教しているのです。だからこそ彼は正しい福音を語っていると自負したのです。なぜ、こんなことを言わなければならなかったかといえば、彼が語っている福音に対して疑問を呈するものがいたからです。パウロの語る福音は間違いだというのです。

パウロは、人が救われるのはただ神の恵みによるのであって、律法の行いによるのではないと語っていました。反対者は、律法、例えば割礼を受けることを救いの条件にしていました。そして、パウロを強く批判をしていました。パウロの語っていることは間違いである。なぜなら、パウロはどこかでそういう教えを発明した、あるいは誰かから教えられたこと、つまり偽者であり、二番煎じであるから権威がない、したがって信じるに値しないなどといってパウロを攻撃していたに違いありません。

 

パウロはそのために彼が宣教している福音は神からの直接啓示であり、そのような啓示を受けたのは神の選びによると断言して憚らなかったのです。

神が何よりもイニシャティブを取って働かれたのだとパウロは語ります。だからこそ、彼が語る福音は真実です。人は恵みにより救われます。

この福音は今も価値があります。

救いのために何かが必要と思う人が多いのです。たとえば一定の長さの信仰生活や教会が必要だという人がいます。信仰生活が短ければ未熟でそれは救いの妨げになると思っています。ある人はある程度の修養や修行が必要だと思っています。それが足りなければ救われないと思っています。

人間がよくならないとだめだと考える人もいます。そういうことはありません。

 

救いはただただ恵みによるのであって、福音を信じ受け入れることによります。これは単純至極、しかし信ずべき福音そのものなのです。

 

パウロはこの福音を異邦人に宣教するために召されました。異邦人に受け入れやすくするために福音を捻じ曲げるようなことをしたのではありません。

 

【パウロのアラビア行き】

パウロはキリストの出現に出くわし、そのとき、劇的に回心しました。それから、どうしたのか。彼は血肉、すなわち親類同族に相談せず、また、先輩使徒たちのところにも行きませんでした。

エルサレム在住の使徒たちに教えを受けて、あるいは彼らから任命されて、異邦人伝道に従事するようになったのではありません。何よりも彼が教えた福音は誰かから示唆されたとか、手ほどきされたというのではありません。彼はアラビアに行ったと言います。

 

アラビアは、広大な砂漠を想像しますが、彼はアラビア砂漠の真ん中にまで出かけて行ったのではありません。アラビアは人が住まない地域を指し、孤独な日々を過ごしたということを表していると思われます。野宿をしたと考える必要なありません。パウロがどういうところにどれくらいの期間そこにいたのか分かりません。パウロは具体的に書きません。彼にはそんなことは知らせるに値すると思っていなかったのです。

 

確かに分かりません。パウロはアラビアにいて何をしたか記されていませんが、想像できます。ダマスコの途上の経験は劇的でした。キリストと出会い、また、キリストから伝道者として任命されます。それですべて了解したのではなく、アラビアで彼は一人になり、キリストから福音をさらに示されたと考えていいのだろうと思います。

その間、聖書の言葉を紐解き、あるいは祈り、瞑想したのでしょう。こうして、さらに福音の真理を学んだに違いありません。この経過に特別超自然的現象が伴ったと思う必要はありません。

自然な、しかし、静かな一人になる時間において彼はキリストから啓示を受け続けたのです。

 私たちはパウロとは異なります。しかし、私たちも、神の御霊に導かれて、さらに福音の豊かさに進んでいきたいものです。(おわり)








2014年02月09日 | カテゴリー: ガラテヤの信徒への手紙

2014年2月2日説教「神の啓示による福音」金田幸男牧師

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2014年2月2日説教「神の啓示による福音」金田幸男牧師

 聖書:ガラテヤの信徒への手紙1章10-12節新約聖書

10 こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。

11 兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。

12 わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。

 

(説教要旨)

【人に取り入ろうとしているのか】

まず、10節でパウロは、人に取り入ろうとしているのか、人に気に入ろうとしているのかと自問を繰り返します。パウロがこのように批判されてきているのではないかと推測されます。

 

 人からとやかく言われる場合、全く心当たりのない、的外れな批判、非難もあります。それは大変悔しい思いをさせられます。しかし、10節の場合、パウロには非難されるような言動があったかもしれません。むろん、それはいわれない批判でありましたから、パウロはそれについて明確に反論をしようとしていることは明らかです。

 

【割礼問題】

パウロが批判されるような言動は、ここからは明確に語られていませんが、想像することはできます。その中のひとつは割礼問題ではなかったかと思われます。そして、それはガラテヤの信徒への手紙の主題である、律法の行いに関わります。

 

 パウロは、忠実な仲間であったテモテには割礼を受けさせました(使徒言行録16:3)。そこではユダヤ人の手前、割礼を受けさせたのです。ところが、伝道者の一人であり、同僚であったテトスには全然割礼を受けさせるようなことをしていません(ガラテヤ2:3)。

 

【テモテの場合】

パウロはユダヤ人として、当然割礼を受けています。そして、割礼を否定していません。テモテには彼が半ユダヤ人(父はギリシヤ人、母がユダヤ人)であるという理由だけではなく、ユダヤ人の手前、つまり、ユダヤ人伝道のために、割礼を受けさせたのです。割礼を重視しているように見えました。ところが、ガラテヤ5:6では「割礼の有無は問題ではない」と言います。

 

【テトスの場合】

そして、テトスには何ら割礼について要求などしませんでした。このようなパウロの言動は矛盾している。あるいは、首尾一貫しない。言行不一致。二枚舌。異邦人に媚を売るような行動に過ぎない。いったいパウロは何を考えているのか。あれやこれや言われていたのだろうと考えられます。こうして、パウロに対する批判を生んだのだと思われます。

 

【律法と信仰】

律法の問題はユダヤ人にとっては重大問題でした。だから、パウロは割礼の問題を軽視していたわけではありません。しかし、信仰にとって死活問題というのではありません。パウロは救いに関して律法や割礼が根本問題ではないというのです。これがガラテヤの信徒への手紙の根幹に関わる主題です。

 

キリスト教に対する偏見は、キリスト教は大変偏狭だという批判があります。キリスト教では、あれをしてはいけない、これをしてはいけないという制約が多いので、好きになれない、自分はキリスト者になりたくないというものです。改革派信仰はもっとそれがひどいとされます。

 パウロは割礼問題では、首尾一貫しない。あちらでこう言い、こちらでは別のことを言う。それは人に取り入って好意を得ようとしている人気取りだと批判されていました。特にユダヤ人同胞を裏切って異邦人の好み、あるいは、傾向に迎合しているとされたのかもしれません。

 

【福音宣教】

パウロが言おうとしていることは、人に迎合するためという動機で福音を宣教しているのではないと強く語ります。人に媚を売るためにだけ、あるいは人が受け入れやすいように福音を語っているのであれば、パウロ自身キリストの僕ではないと言い切っています。

 

彼にとって、救いに関わる福音に関しては妥協などしないと言おうとしています。それ以外のことでは、彼は妥協している、曖昧だと言われても自分の正当性を強弁するようなことはなかったと思います。

 

【救いの本質】

このようなパウロの生き方は私たちがキリスト教信仰に持っているイメージを壊してしまうものに違いありません。キリスト教的な生き方において、救いの本質に関わらないこともたくさんあります。そういうことをあたかも信仰の本質部分だと主張することはパウロの立場ではなかったのです。このような考え方はファリサイ派の出身であるかつてのパウロには想像も出来ない生き方、歩み方であったといわざるを得ません。

 

どちらでもいい問題にこだわり、救いに関わる福音を曖昧にすることは許されません。パウロの姿勢はこのようなものであったといえるのです。

 

 救いの福音に関しては、妥協しません。福音は、彼自身の発明ではありません。また、ほかの使徒から伝えられたものではありません。つまり二番煎じではないというのです。今問題となっていることは救いはただ神の恵みにより、信仰によってであるという点でした。割礼を始め、律法の行いによって救われるのではない、これがパウロの堅い信念であり、確信でした。

 

【キリストの啓示】

この福音の出所はどこか。パウロはそれがキリストの啓示によると断言します。

 

啓示とは暗闇に光が差し入り、そこにあったものが明らかにされることを意味しています。闇の中では何も見えません。しかし、一条の光が差し込むとき、目の前にすべてが明らかになります。

 

神の啓示はそれまで暗い霊的状態にあるものの心に入ってきて、すべてが明らかにします。

 

死の影の谷に歩んでいたものが今や光のうちを歩むことが出来るようになります。罪の結果である悲惨に沈んでいたものを神はいのちの光に生かされます。

 

悪が支配する世で、神の啓示により、真理の道を歩むことが出来るようにされます。私たちの心の闇は、啓示による、まことのいのちに至る真実によってだけその闇は打ち払われます。

 

【パウロの回心】

パウロが啓示を受けたのはいつか。使徒言行録9章1-19に記されている経験であることは確かです。彼はキリスト教迫害者としてダマスコという町に向かっている途中、イエス・キリストと出会います。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」という呼びかけの声を聞くのです。サウルは目が見えなくなり、人に手を引かれてダマスコまで行くのですが、そこで、アナニヤという人物に導かれて洗礼を受け、また宣教者として働きを始めます。この経験がパウロにとってキリストの啓示を受けた瞬間であったと思われます。その後、パウロがキリストの啓示を受けた経験は使徒言行録では若干ありますが(例えばマケドニア人の幻=使徒言行録16:6-10)、頻繁にそのような特別な経験があったのかどうか、記されません。

 

パウロが書簡を書いているとき、いわゆる恍惚状態で書いたということはほとんど可能性はありませんが、そのとき、キリストの啓示とは無関係であったとも考えられません。とにかく大切なことはパウロの宣教している福音は神からの啓示であるということです。そこに真実性の根拠があります。

 

 繰り返して申しますが、この福音はパウロ自身の作り出した宗教的確信というのではありません。また、ほかの使徒から学んだことではないとも言います。むろんパウロはアナニヤという神からの働き人を遣わされた経験をしています。しかし、福音そのものはキリストから直接教えられたことだとパウロは強調します。この点は決して譲ることは出来ないとします。

 

その点、パウロが宣教する福音は独自のものというわけではありません。そうであれば、キリストの12人の使徒たちと異なった福音を語ったことになります。むしろ、福音そのものは同一であって、それゆえに、使徒たちとパウロは同等の権威を持っていると結論できます。福音の真理性に関しては決して他の使徒に劣るものではありません。

 

パウロが語った福音

パウロの語った福音は、今私たちが聖書によって知らされ、また信じています。私たちの信じているこの信仰はパウロという宗教的天才の考え出した教説ではありません。また、パウロが異邦人を獲得するための方便でもありません。おそらくパウロはそのように批判されていたのでしょう。パウロが語った福音を信じるとは、キリストからの啓示による真理を信じていることであってこれは確かな信仰です。

 

この価値は忘れられてはなりません。私たちが信じている信仰は誰かの作り物ではありません。出来栄えがいくら素晴らしくでも所詮人間から発生した教えは人間を永遠の命に導いていくことはありません。キリスト教が優れているというのであれば、その教えはあらゆる哲学よりも卓越していたり、優秀であっても、所詮人間由来の教えは救いにとって危うい根拠の上に立っていると言わなければなりません。

 

教会はパウロの教えを自らの宣教の内容としてきました。この教えはキリストの啓示によるというパウロの証言に根ざしています。

 私たちはパウロの経験と同じ経験をすることはできません。何か特別な体験や経験をしているわけではありません。しかし、だからといって私たちが信じている信仰が頼りないものだということにはなりません。

 

【聖霊のお働き】

パウロの語ったことを、真実と受け入れることが出来るようになったのは、そこでキリストの働き、特に聖霊の業を抜きにして考えることができません。聖霊は、私たちが福音を信じるように導いてくださいました。だから、福音を信じることができるようになったのは、私たちの個人的な決断や決心だけによりのではありません。私たちの存在を無視して神は働かれるわけではありませんが、キリストの御霊は私たちに「奇跡的に」働かれます。だからこそ、頑な不信仰に凝り固まった私たちの心を打ち砕いて、キリストは福音受容に導かれます。

 

だから、私たちの確信は、福音そのものが持っている特質、その素晴らしさに動かされたという側面を無視できませんが、同時に、上から聖霊が特別に、そして個人的に働かれたという、言うに言えない不思議というべきなのです。(おわり)

 




2014年02月02日