2005年7月

イエスに聞け ウイリアム・モーア

◆イエスの姿が変わる(マルコによる福音書9章2-8節) 2:六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、    

3:服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。

4:エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。
5:ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」

6:ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。

7:すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」

8:弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけ が彼らと一緒におられた。

【新約時代における父なる神の御声】
考えて見ますと、新約聖書に於ける天の父なる神の直接な御言葉は本当に僅かです。実は、新約聖書の証しによりますと、父なる神は二度だけ御自分の口を開いて下さいました。一度は主イエスが洗礼者ヨハネによって洗礼を受けた直後でした。マタイによる福音書に記されていますが、「イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた.その時、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。その時、『これは私の愛する子、私の心に適う者』と言う声が、天から聞こえた。」(3:16~17)。これはとても短い宣言ですけれども、父なる神はその僅か16字で最も大事な事を語られました。天地万物の造り主、唯一の全能の神はイエスについてこのようにおっしゃいました。「これは私の愛する子、私の心に適う者。」つまり、「イエス・キリストは私の愛する子、また私の心に適う者ですから、皆が彼に従うべき」と言う大事な御言葉です。

2005年07月24日 | カテゴリー: マルコによる福音書 , 新約聖書

川の方が良い ウイリアム・モーア

聖書:詩編46篇

【四万十川】
先々週、木曜日と土曜日に、四国で二つの学校の理事会がありました。その間の金曜日が暇になりましたので、高知県の四万十川を私のゴム・カヤックで下りました。実は、去年から、「日本の最後の清流」と呼ばれる四万十川を下りたかったのです。去年の秋、会議の帰りに一度川を調べに行きました。山の奥の源流から河口(かこう)までの196キロの全長を車で辿りました。そうすると、四万十川の美しさが分かりました。工場や大きな町がない田舎の田舎ですから、大自然が奇麗に残されています。しかも、川は山地を流れているので、景色はすごく美しいです。その時から、私の気持ちは近いうちに四万十川を下ろうと強くなりました。

2005年07月17日 | カテゴリー: ローマの信徒への手紙 , 旧約聖書 , 詩篇

「神が望んでおられる事」ウイリアム・モーア

聖書:テモテへの手紙一2章

1:そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。 2:王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。

3:これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。

4:神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。

5:神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。 6:この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。

7:わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。

【ドーナツ好きの男】
ある男の人が大変太って来て、健康に障るので、体重を減らすようにと医師によって注意されました。そうしないと、早く死ぬと言われた彼は早速ダイエットを始めようと決心しました。しかし、一つの問題があったのです。それはドーナツが大好きでした。毎朝、仕事へ通う時、必ずドーナツ・ショップに止め、ドーナツ四つを買って、コーヒーを飲みながら食べる習慣がありました。命の問題ですから、ドーナツを食べてはいけないと思っても、誘惑に負けました。そして、ドーナツ・ショップの近くに来ると彼はこのように祈りしました。「神様、どうか、御心を現して下さい。今朝だけですが、もしドーナツを食べても構わないのなら、ドーナツ・ショップの直ぐ前に駐車のスペースを開いて下さいますようにお願いします。」

2005年07月10日 | カテゴリー: テモテへの手紙一 , 新約聖書

がらくたを捨てる ウイリアム・モーア

聖書:テサロニケの信徒への手紙一5章21-22

21:すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。

22:あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。

【ゴミ屋敷の主人】

数年前に見たテレビ番組ですけれども、なかなか忘れられません。それはゴミ屋敷についての番組でした。あるリポーターがその事を調べる為に町の有名なゴミ屋敷を訪ねました。家の周りはゴミだらけでした。古い故障した自転車数十台がお庭に山積(さんせき)して、錆びた電気製品も沢山置いてありました。また、古いぼろぼろになった家具も結構あったのです。近所の人によりますと、主人はいつも在宅していましたが、リポーターが玄関のベルを鳴らすと、誰も出て来てくれませんでした。そして、リポーターはコンビ二へ行ってお土産としてお弁当を買って、玄関の外に置いて帰りました。次の日にも同じ事をしましたけれども、ベルを鳴らしても主人はドアを開けてくれませんでした。やっとその次の日、お弁当を持って来た時、主人はドアを少し開けましたので、リポーターは話掛けることができました。優しく語りましたので、主人はやっとリポーターを玄関まで迎え入れてくれました。しかし、入るとびっくりしました。その家の中は床から天井まで物で一杯でした。そして、使えそうな物は殆どなくて、大半はがらくたでした。さらに臭い臭いがする生ゴミまでも置いてありました。そこに置いた新聞をちらっと見ると、大変驚きました。20年前の日付でした。家の中を自由に歩けない程ゴミが置いてありました。その上、階段はゴミがあんまり沢山積んであったので、ニ階へは全く上がれませんでした。

2005年07月03日 | カテゴリー: テサロニケの信徒への手紙一 , 新約聖書