「神が望んでおられる事」ウイリアム・モーア

聖書:テモテへの手紙一2章

1:そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。 2:王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。

3:これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。

4:神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。

5:神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。 6:この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。

7:わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。

【ドーナツ好きの男】
ある男の人が大変太って来て、健康に障るので、体重を減らすようにと医師によって注意されました。そうしないと、早く死ぬと言われた彼は早速ダイエットを始めようと決心しました。しかし、一つの問題があったのです。それはドーナツが大好きでした。毎朝、仕事へ通う時、必ずドーナツ・ショップに止め、ドーナツ四つを買って、コーヒーを飲みながら食べる習慣がありました。命の問題ですから、ドーナツを食べてはいけないと思っても、誘惑に負けました。そして、ドーナツ・ショップの近くに来ると彼はこのように祈りしました。「神様、どうか、御心を現して下さい。今朝だけですが、もしドーナツを食べても構わないのなら、ドーナツ・ショップの直ぐ前に駐車のスペースを開いて下さいますようにお願いします。」

その夜、彼の奥さんは、「ドーナツのような甘い物を食べてはいけないと言われたね。まさか今朝、ドーナツ・ショップへ行かなかったでしょう」と言いました。そして、彼は自分が祈った事を奥さんに語りました。「神様、どうか、御心を現して下さい。今朝だけですが、もしドーナツを食べても構わないのなら、ドーナツ・ショップの直ぐ前に駐車のスペースを開いて下さい。」奥さんは「どうかしましたか。駐車スペースがあったんですか」と聞くと、彼はこう答えました。「実は、あったよ。ドーナツ・ショップを10回目に回った時、神様がやっと入口の直ぐ前に場所を開いて下さいました。全くの奇跡だと思ったよ」と言いました。

【神の御心に従う】
神の御心を知ろうと言っても、多くの人は実際に自分の意志と希望に合うように神の御心を曲げようとします。そして、また、「主の御心はあんまり不思議ですから、知るのは難しい」と言う者が大勢います。しかし、私達の問題は御心を知るよりも、もうすでに知っている御心に従う事だと思います。

愛する神は御言葉に、つまり聖書に、望んでおられる多くの事をはっきりと啓示して下さいます。そして、今朝、与えられた箇所で、神は御心の三つの大事な事を教えられます。その事は決して複雑な、分かり難い事ではありません。
さて、その三つの神の御心を今朝の聖句から発見しましょう。

【その一:神は全ての人々の救いを望んでおられます】
4節を見て下さい。「神は、全ての人々が救われて、真理を知るようになる事を望んでおられます。」

天地万物の造り主、唯一の全能の神は何よりも御自分が創造された全ての人間(被造物)の救いを望んでいらっしゃると記されています。神の永遠の救いはある国の人々に限られていません。または、酷い罪を犯した者だけに必要ではないです。そして、神の救いは私達が好む人のみに提供されていません。神は、全ての人々が救われるようになる事を望んでいます。何故なら、神は愛です。私達一人一人を心から愛し、御自分の豊な祝福を授けたいのです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る為である」と聖書に書いてある通りです。

神の救いがなければ、私達と全ての人類は一人も残らず、滅びに向かっています。人間は神が教えて下さった生き方を拒否して、その故に主との関係が駄目になって、永遠の死と言う罰を受けてしまいました。しかし、神の独り子イエス・キリストが私達の代わりに、十字架でその罰を御自分の身に受けて、私達を贖って下さいました。そして、イエスを信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る事になりました。すなわち、神の救いは真理である福音を聞く事と心から受け入れる事によります。そして、今日の聖句に記されているように、神の御心は全ての人類が真理を聞いて、御自分の救いを頂く事です。

神の愛はどんなに大きいでしょう。御自分の指導と祝福と交わりを拒否し、罪人になった私達の救いの為に、御独り子主イエスを死に至るまでも犠牲にして下さいました。それは決して口先だけの愛ではないのです。確かにそれは歴史上の最も深い愛の表れになります。そして、その救いと愛は全ての人々の為です。
ある人々は、「もし神は全ての人々の救いを望んでおられるのなら、主は人間の業以外でその目的を果たす」と信じました。約200年前まで、それは一般的なプロテスタントの態度でした。ですから、多くの人は海外宣教が神の御心ではないと思いました。「もし遠い国の人々の救いが神の御心だったら、主は宣教者を使わずに何とかしてその人々に福音を述べ伝える」と主張しました。ですから、神の知恵を尊敬した信者は、何もしなくても良いと言っていました。
それは決してこの箇所を書いた使徒パウロの信仰ではありません。5節から見ますとその事は明確です。「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただお一人なのです。この方は全ての人の贖いとして御自身を捧げられました。これは定められた時になされた証しです。私は、その証しの為に宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。私は真実を語っており、偽りは言っていません。」確かに、神の救いを受けるには証人がいります。つまり、救いをすでに受けた人の証しが大事です。その人は自分が経験した神の愛と真理を述べ伝え、主の救いを受け入れるように招きを差し伸べます。そのように、神は御自分の御心を果たす為に私達を用いて下さいます。ですから、神の御心を行う事は私達の大事な使命です。もし「神は、全ての人々が救われて、真理を知るようになる事を望んでおられます」と言われるなら、その御心を行うのは私達の仕事になります。

【その二:私たちが平穏で落ち着いた生活を送るため】
愛する神は全ての人々の救いを望んでおられます。それは今朝の箇所にある主の御心です。そして、第二の御心はそれと重要な関連があります。2節の後半を見て下さい。「私達が常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。」つまり、何よりもキリスト者の生活は福音の真実と力の証しになります。周りの人々はキリスト者の行動を見て、我々の信仰を評価します。ですから、全ての人々の救いを望むほかに、神の御心は「私達が常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送る」事です。(テトス2:5)テトスへの手紙にパウロはキリスト者の行動の重要性をこのように強調しました。「盗んだりせず、常に忠実で善良である事を示すように勧めなさい。そうすれば、私達の救い主である神の教えを、あらゆる点で輝かす事になります。」(2:10)更に、信者の良い行いの為、「敵対者は私達について何の悪口も言う事が出来ず、恥じ入るでしょう」とパウロが書きました。(8)行動と生活が良ければ、人々は必ずそれを見て、キリスト信仰の証しになります。主イエスが言われたように、「あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々は、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになる為である。」(マタイ5:16)

【その三:全ての人々の為に祈る】
神は全ての人々の救いを望んでおられます。そして、良い証しを立つ為、キリスト者に相応しい行動を示すべきです。更に、祈る事は神の私達の為の御心であると記されています。祈る事によって私達は神との直接なコミュニケーションが出来ます。考えたら、それは驚くべき特権と光栄です。全能の万物の造り主は小さい罪深い私達の祈りを聞いて下さるとは何て素晴らしい事でしょう。祈りを通して私達は神に頼って、主の助けを求めます。「願いと祈りと執り成しと感謝とを全ての人々の為にささげなさい」とパウロが勧めます。神は全ての人々の救いを望んでおらますので、私達は全ての人々の為に祈ります。特に、周りの者の救いの為に祈ります。その者の心が福音に開かれる為に、証しする機会が与えられるように、神の祝福がその者の上にありますようにと祈るべきです。そして、神は必ず私達の祈りに答えて下さいます。

【王達や全ての高官の為にも祈りを捧げよう】
その上、2節を見ますと「王達や全ての高官の為にも(祈りを)ささげなさい」と記されています。パウロの時代の状態を覚えたら、このお勧めはびっくりさせられます。その時代のローマ帝国の為政者は暴君であり、キリスト教会を迫害しました。実は、使徒パウロ自身は為政者によってかなり苦しめられました。それにもかかわらず、「王達や全ての高官の為にも(祈りを)ささげなさい」と教えられました。何故かと言えば、為政者が良くなると、私達は「信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送り」やすくなります。逆に、政治家が悪くなると、平穏で落ち着いた生活は色々な面で難しくなり、信心と品位を保つ事も難くなります。そして、その場合は良い証しを立つ事も困難になり、全ての人々の救いが遅くなります。

皆さんの祈りはよく分かりませんが、為政者の為の私の祈りはまだ足りないです。小泉総理大臣とブシュ大統領とキム・ジョンイルの為の祈祷は少ないです。その政治家が好き嫌いの問題ではないはずです。ただ、良い平和的政治が出来るように祈りをささげなさいと教えられています。それは神の御心です。
今朝、神が望んでおられる事三つを覚えました。人々の為に祈る事は神の御心です。特に為政者の為に祈るべきです。為政者が良くなると平和な社会が出来、私達は証しを立てる事が自由になります。そして、証しが出来ると神はそれを用いて、「全ての人々が救われて真理を知るようにな」ります。

2005年07月10日 | カテゴリー: テモテへの手紙一 , 新約聖書

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