2011年5月

「わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」ウイリアム・モーア2011.5.29.

聖書:ヨハネによる福音書14章15、21

 

【聖書とは何ですか】

皆さん、聖書を読むと、どう思われますか。分かり難い、難しいですか。昔々の遠い国の歴史と人物の事ばかりで、あまり自分の現実に関係がないと見えるのでしょうか。それとも、聖書の色々な「してはならない」と「しなければならない」と言う言葉はあなたにはちょっと難すぎるのでしょうか。

 

確かに聖書の全ては誰でも直ぐに分かる訳ではありません。聖書は昔の文化と外国の言葉を通して私達に伝わって来ましたので、分かり難い所があるのは当然だと思います。聖書学者さえも、ある個所の正確な意味がまだはっきり分からなくて、今も研究が続けられています。

 

難しい、分かり難いと言っても、聖書を全体的に見ると、そんなに難しくはないのです。聖書はどんな事よりも私達人間の為の神様の御業の記録なのです。

 

2011年05月31日

「わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」ウイリアム・モーア2011.5.29.

聖書:ヨハネによる福音書14章15、21

 

【聖書とは何ですか】

皆さん、聖書を読むと、どう思われますか。分かり難い、難しいですか。昔々の遠い国の歴史と人物の事ばかりで、あまり自分の現実に関係がないと見えるのでしょうか。それとも、聖書の色々な「してはならない」と「しなければならない」と言う言葉はあなたにはちょっと難すぎるのでしょうか。

 

確かに聖書の全ては誰でも直ぐに分かる訳ではありません。聖書は昔の文化と外国の言葉を通して私達に伝わって来ましたので、分かり難い所があるのは当然だと思います。聖書学者さえも、ある個所の正確な意味がまだはっきり分からなくて、今も研究が続けられています。

 

難しい、分かり難いと言っても、聖書を全体的に見ると、そんなに難しくはないのです。聖書はどんな事よりも私達人間の為の神様の御業の記録なのです。

2011年05月29日 | カテゴリー: ヨハネによる福音書 , 新約聖書

「あなたがたは何を求めていますか」ウイリアム・モーア2011.5.22.

聖書:ヨハネによる福音書1章35−42

 

 

             

【人間は神を信じるように造られた】

この間、新聞で非常に意義深い記事が目に留まりました。その記事には「研究によりますと、人間は神を信じるように造られた」という見出しがついていました。有名な英国のオックスフォード大学は3百万ドルを掛け、三年間にわたり、その研究を行いました。人類学者、心理学者、哲学者と神学者の幅広い知識を用いて、重要な結論を出しました。研究の結果では、人間は本能的に神と死後の生を肯定します。つまり、私達は人間として、生まれながら霊的な意識を持っています。例えば、子供は超自然界の存在を当たり前の事として想定します。また、人間は死ぬと、魂が残ると言う本能的な確信を私達は持っています。その確信は文化と時代を超える全人類の共通的な仮定です。

 

【神はなぜ人を創造されたか】

実は、私はその研究の結果にちっとも以外だとは思われませんでした。なるほどと思ったのです。何故なら、御言葉によりますと、愛する神は人間を創造された時、私達が御自分を信じるように、わざわざお造りになりました。さらに、御自分を愛するように、また、御自分との交わりを持つ為にと、主の大きな恵みを受ける為に私達が特別に造られました。

 

創世記1章27に記されていますように、「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。」つまり、他の造られた生き物と違って、私達人間は神を知り、神様と共に歩むことが出来ます。

 

 

【神不在の人生】

従って、そのように造られた私達は創造主である、愛する神の交わりを断って、誠の神が存在していないように生活をすると、私達は不安であり、空しいです。

 

それは私達の目的に逆らっているからです。誰かが言いましたけれども、「全ての人間には神の形の穴が空いています。そして、神のみがその穴を満たす事が出来る。」

 

2011年05月22日 | カテゴリー: ヨハネによる福音書 , 新約聖書

「神の子となった私たち」ウイリアム・モーア2011.5.15.

聖書:ガラテヤの信徒への手紙3章26~4章7

 

【韓国旅行の思い出】

数年前に家内と私は韓国の大田市で開催する、米国長老教会の宣教団の集まりに参加しました。そして、私達は帰りに用事があってソウルで二泊しました。その間にちょっと時間があったので、ある有名なデパートに入り、地下の食品売り場をうろうろしました。その中には勿論キムチの売り場や、お肉屋さんや、果物とお野菜の店などがありましたが、特に面白いのはお茶の売り場でした。何故なら、韓国は、戦争と貧困の故に、お茶の文化が大分衰えて来ましたが、最近の経済発展と伴い、お茶もブームになり、色んな昔のお茶の種類が盛んになりました。とにかく、歩きながら韓国伝統のお茶屋さんの前に止まりました。丁度試飲の時で足も疲れていたので、招待されるままに茶屋に座りました。

家内は座る途端、そのお茶の産地などを聞いたり、入れ方などで話が進みました。お茶の産地は南の方で1920年代から祖父がいた地方でもありました。

 

【ボイヨル先生】

私はお茶を頂き、「カムサハムニダ」と一言言いました。そしてお茶屋さんの御主人は私の顔をずーと見ながら「ボイヨル先生、ボイヨル先生」と言いました。実はボイヨルという名前は祖父の韓国名でした。

 

言うまでもなく、私はびっくりしました。全く初めて会ったお茶屋さんの主人が私の顔を見ると、40年以前に亡くなった祖父を思い出しました。私はそれ程祖父に似ていなかったと思っていたのですが、祖父に多少は似ていたようです。

 

もう少し話すと、お茶屋さんはキリスト者で、教会の長老でもありました。青年の時、私の祖父が携わったミッション・スクールの生徒であって、よく覚えていて祖父に助けてもらった話もしました。帰りにはお茶とか色々なお土産までくれました。

 

2011年05月15日 | カテゴリー: ガラテヤの信徒への手紙 , 新約聖書

「主こそ栄光に輝く王」ウイリアム・モーア2011.5.8.

 

聖書:詩編第24篇1−10

 

【神の本質と人間との関わり】

皆さん、今日与えられた御言葉、詩編第24篇を通して神様は、私達に誠の信仰の最も大事な真理を啓示して下さいます。

 

それは、神御自身はどのような神なのか、神が私達人間とどう言う関係を求めておられるのかという事です。

 

実は、この二つの基本的な事が分からなかったら、本当の信仰は不可能になります。ですから、少なくとも信仰の対象である神の事と、その神と私達の関わりが分かる必要があります。そうしないと、信仰はあまりにも漠然な物になり、意味はあまりありません。

2011年05月08日 | カテゴリー: 旧約聖書 , 詩篇

「父の愛の中で」城下忠司(伊丹教会長老)2011.5.1

聖書:ヨハネの手紙Ⅰ・228節~35

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【父の涙】

私、最近歌の歌詞を、特別気にするようになりました。讃美歌についてだけではなく、この世の歌全てについてもそうです。何年か前に神戸長田教会で、岩淵まことさんという福音歌手のコンサートがありました。その折に聞いた「父の涙」という歌がとても気に入りまして、その後、この歌が大好きになって、自分でも歌えるようになりました。どんな歌詞かを紹介します。

1、心にせまる父の悲しみ

愛するひとり子を十字架につけた

人の罪は燃える火のよう

愛を知らずに今日も過ぎてゆく

「十字架からあふれ流れる泉

それは父の涙

十字架からあふれ流れる泉

それはイエスの愛」

2、父が静かに見つめていたのは

愛するひとり子の傷ついた姿

人の罪をその身に背負い

父よ彼らを赦してほしいと、(繰り返し)

 

【父なる神よ】

今日与えられた御言葉から教えられたいと思います。

天の神さまに向かって、イエスさまは語りかけたり、あるいは祈ったりする時には、いつも神さまを父と呼んでおります。山上の説教の中には、17回も神さまは父であるという言葉が用いられていると言われます。福音書の中のイエスさまの言葉をみますと、天の神さまを御自分の父であるとの言及があちらこちらに出てまいります。たとえばイエスさまがまだ子供のころのことですが、神さまを礼拝する神殿で「自分の父の家にいる」(ルカ246)と答えられています。また、十字架の上のことですが、「父よ、私の霊を御手にゆだねます。」と祈られたことが記されています。

 

2011年05月01日 | カテゴリー: ヨハネの手紙一 , 新約聖書