「わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」ウイリアム・モーア2011.5.29.

聖書:ヨハネによる福音書14章15、21

 

【聖書とは何ですか】

皆さん、聖書を読むと、どう思われますか。分かり難い、難しいですか。昔々の遠い国の歴史と人物の事ばかりで、あまり自分の現実に関係がないと見えるのでしょうか。それとも、聖書の色々な「してはならない」と「しなければならない」と言う言葉はあなたにはちょっと難すぎるのでしょうか。

 

確かに聖書の全ては誰でも直ぐに分かる訳ではありません。聖書は昔の文化と外国の言葉を通して私達に伝わって来ましたので、分かり難い所があるのは当然だと思います。聖書学者さえも、ある個所の正確な意味がまだはっきり分からなくて、今も研究が続けられています。

 

難しい、分かり難いと言っても、聖書を全体的に見ると、そんなに難しくはないのです。聖書はどんな事よりも私達人間の為の神様の御業の記録なのです。

 

【神の選民】

私達の為に唯一全能の神は始めに天と地を創造して下さいました。そして、全人類を祝福する為に、御自分の特別な民を選び、その民をエジプトでの奴隷の家から解放して、約束された地カナンまで導いて下さいました。また、その民から、この世の全ての人々を救う為に神は御自分の御子イエス・キリストをお生まれにならせられました。

 

【救い主イエス・キリスト】

イエス様は私達人間に優れた生き方を教え、私達の永遠の救いの為に、御自分の十字架の死によって私達の罪を贖って下さいました。そして、神の力によって主イエスは三日目に蘇られました。天に上げられる前にイエス・キリストは聖霊、すなわち、御自分の臨在を私達に残し、教会も創立されました。

 

【再臨】

更に、キリストが御自分の再臨を約束して、その時、信じる者を天に連れて下さいます。それは聖書の主な内容であります:人間の為の神様の素晴らしい御業です。

 

【神の協力者としての人間】

大変意味深い事ですが、全能の神は御業を行うとき、出来るだけ人間を用いて御自分の働きをなさいます。勿論、全知全能の神は人間を使わずに御自分で何でも出来ます。しかし、神は出来るだけ私達人間を通して働きたいのです。私達は聖書を読むとその事が明確であります。御自分の協力者として神が私達一人一人を特別にお造りになりました。また、御自分と交わりを持つ為に私達を素晴らしく創造されました。

 

愛する兄弟姉妹、全知全能の唯一の神の協力者になるのは誠に大した事です。考えて見て下さい。小さい罪深い私達はその神と一緒に働く事が出来るとは、何と驚くべき素晴らしい特権なのでしょう。「しかし、あれはわたしの事じゃない。極普通の人間である私は神様の協力者になるはずがない。それは聖人や特別な才能を持つ人の事。私のような弱い人はどうして神の仕事が出来る。」自然にそのような考えが出て来ると思います。しかし聖書の中の人物はどうだったのでしょうか。御自分の御業を行う為に神様がどのような人を用いましたか。協力者として優れた学歴を持つ人や、力強い人物や、特に素晴らしい人格者などを選んだのでしょうか。一緒に調べて見ましょう。

 

【マリア】

マリアと言う聖書の人物を思い出します。マリアは実に大事な役割を果たしました。神様が御自分の独り子イエス・キリストを人間の母マリアを通してこの世に遣わして下さいました。そして、イエスの養育と訓練もマリアに委ねられました。この世の唯一の救い主の母親になるのは本当に大事なお働きでした。彼女はいったいどんな資格を持って神の協力者になり、救い主を産んだのでしょうか。

 

実は、マリアは極普通の乙女でした。更に、神の奇跡によって妊娠した時、彼女は多分まだ18歳になっていなかったのです。そして、その時代のユダヤ人の女性と同じように教育は殆ど受けていませんでした。しかし、神様は御子イエス・キリストの母親になる為に、わざわざマリアを選びました。もっと賢い、もっと身分の高い乙女が沢山いましたのに、彼女をその最も大事な役割を果たすように選びました。

 

【マリアの従順】

何故でしょうか。何故と言えば、マリアは素直に神の言われた事に従いました。神の御使いが現れて、聖霊の力で妊娠した事を聞いて、マリアが何と言いましたか。ただ、「私は主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように。」(ルカによる福音書1章38)

 

 

ヨセフと結婚する前に神の力で妊娠したのは大変難しい立場でした。皆によって軽蔑される恐があって、結婚も出来なくなる可能性も十分ありました。神を断る理由があったのに、マリアは神を信じ、喜んで服従しました。その故に、神の最も大事な御業の協力者になりました。

 

【ヨセフの従順】

ヨセフも神の言う事を素直に聞いて従いました。マリアが妊娠になるとヨセフは彼女との縁を切る権利が十分あったのに、御使いが言われたように彼女を妻として迎えました。ヨセフはごく小さい町の大工で、マリアのように学歴のない貧しい平民でした。しかし、神の言われた事を直ぐに従いましたので、神はヨセフを選んで、彼を用いて御業を行いました。

 

【弟子たちの従順】

また、イエス様の弟子達はどんな人間だったのでしょうか。彼らも全く平民で、特別な才能や地位がなかったです。ある弟子は漁師で、他には軽蔑された徴税人もいました。しかし、イエス様が弟子達を呼んだ時、彼らは直ぐに自分の仕事をおいて、主に従って来ました。

 

漁師のペテロとその兄弟アンデレを呼ぶと、マタイによる福音書によりますと、「彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従いました。」つまり、仕事に大事な道具をそのまま海辺に於いて、イエス様の「私について来なさい」と言う招きに忽ち答えました。

 

弟子達は本当に極普通の人間でしたが、彼らは素直にイエスの命令に従いました。その特徴の故に彼らは主から沢山の恵みを受け、主の大事な協力者になりました。

 

聖書の人物だけではなく、私達も毎日の生活に於いて神に素直に従う事はとても大事であります。何故と言えば、少なくとも三つの理由があります。

 

【人生の幸福の秘訣】

先ず、神に従う事は人生の幸福の秘訣です。旧約聖書の申命記にこの神の御言葉が記されています。「もし、私が今日あなたたちに命じる戒めに、あなたたちがひたすら聞き従い、あなた達の神、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くして仕えるならば、私は、その季節季節に、あなたたちの土地に、秋の雨と春の雨を降らせる。あなたには穀物、新しい葡萄酒、オリーブ油、の収穫がある。わたしはまた、あなたの家畜の為に野に草を生えさせる。あなたは食べて満足する。」(申命記11章13−15)

 

記された通りに、神によく聞き従う事によって恵みが伴います。砂漠の国に住むイスラエルの人々にとっては雨が大変大事で、神の恵みの徴でした。雨が降らなかったら飢饉で命が危なくなりました。しかし、神の恵みのお陰で十分な雨が降ると、国は豊かな緑におわれて、豊作を刈り入れ、家畜も肥えて来ました。同じように、私達は愛する神の生き方に従ったら、最も人間らしい、幸福と喜びのある生活が出来ます。しかし、神が備えて下さった正しい道から離れ、ただ都合の良い道を歩んだら、本当の幸福と喜びが分からなくなり、主の救いを受ける事が難しくなります。

 

【主の良き協力者となる特権】

神に素直に従う理由はまたあります。それは、主の良い協力者になる為です。神様と一緒にこの世で御自分の国を築く事は我々キリスト者の素晴らしい特権です。

 

しかし、素直に神に服従しないと、私達の努力はあんまり役に立たなくなります。例えば、家を建てる時、職人達はどのように働くのでしょうか。皆、それぞれ、自分が好きな通りに働きますか。とんでもありません。そうすれば建築は目茶苦茶になってしまいます。家を建てる時、もちろん大工の頭領の言う事をちゃんと聞かなければなりません。そうすると、立派な家を立てる事が出来ます。同じように、神の国を築くには、私達の頭である主イエス・キリストに従わなければなりません。それは当たりの前の事ですが、よく忘れがちです。神様の戒めに心から従ったら、主の立派な協力者になり、神の国の為に素晴らしい働きが出来ます。

 

【神に愛される者となる】

神に従う理由がもう一つあります。それは服従を通して、私達の主に対する愛を示すのです。主イエスはこのように言われました。「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。・・・私の掟を受け入れ、それを守る人は、私を愛する者である。私を愛する人は、わたしの父に愛される。」(ヨハネによる福音書14:15、21)

 

【神の愛に応える者となる】

私達の為に主イエスが天国の完全な栄光を捨て去って、肉体を取り、この世に降りました。更に、私達の為に神の福音を教え、全人類を救うために御自分の命を捨てて、十字架で死なれました。その大きな愛に対して、私達は何をなすべきでしょうか。やはり、愛されたなら、愛するでしょう。すなわち、イエス様を愛します。そして、主イエスが言われたとおりに、服従を通して私達の愛を示すべきです。

 

【親と子】

神に従う重要性が分かるように親子の関係を御一緒に考えて見ましょう。子供が常に親の言う事を反対したり、文句を言ったりするとどうなりますか。子供が親の指導をいつも無視するのなら、どんな関係ですか。それは幸福な家庭ですか。いいえ、逆に不幸な家になります。親子の関係が駄目になって、家庭は不安定になり、いやな雰囲気になります。

 

そして、そのような家族は何が出来ますか。子供は親と協力して良い楽しい家庭が作れますか。それはとても難しいです。また、子供達はそのようにして、親に対する愛を示す事が出来ますか。とんでもありません。逆らう事によって愛よりも、親に対する憎しみが増えるばかりになります。

 

【どの掟が最も重要ですか】

愛する兄弟姉妹、私達は天の父なる神の戒めに素直に従っていますか。私達は真剣にその点について考えた方が良いのだと思います。しかし、「具体的にどんな戒め」と聞くと、イエス様はこのように答えるでしょう。

 

ある律法学者がイエスを試そうとして質問をしました。「『先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。』イエスは言われた。『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイによる福音書22章37−39)

 

【あなたがたは、私を愛しているならば、私の掟を守る】

やはり、その愛の戒めに従ったら、神の全ての掟に従う事が出来ます。神の助けと力でこの戒めに従ってみましょう。そうすると、この世に主の恵みを受け、神の協力者となり、そして同時に、私達は主に対する愛を示す事が出来ます。「あなたがたは、私を愛しているならば、私の掟を守る」とおっしゃる主イエスに従いましょう。(おわり)

        

 

 

2011年05月29日 | カテゴリー: ヨハネによる福音書 , 新約聖書

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