2012年10月

2012.10.7.説教「神の目に尊いあなた」ウイリアム・モーア宣教師

2012.10.7.説教「神の目に尊いあなた」ウイリアム・モーア宣教師

聖書:ヨハネによる福音書3章
16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。18 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。
19 光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。
20 悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。21 しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。

説教要約(文責近藤)

【韓国映画製作者の来訪】
先々週、韓国から家内のYWCA関係のお客さんの訪問がありました。イタリア・ベネチアの国際映画祭で彼女が製作した作品「ピエタ」が最優秀賞ゴールデンライオン賞を獲得したそうです。韓国で初めての国際的受賞だったのでメディアは大騒ぎしたそうです。
「おめでとう」と言いますと、彼女は本当にうれしいことは監督のキムがフラシュを浴びたことです。韓国は学歴社会なので小学校しか出ていない彼には依頼する映画はありませんでした。別の有名な韓国人監督の作品がフランス・カンヌ映画祭でセリフ部分で賞を受けた時は韓国から大勢の報道陣が駆けつけましたが、「ピエタ」のときには韓国から3人のメディアが来ただけです。本当に大きな神様の働きを見ました。神は彼の弱さを用いて強くしてくださいましたからです。

【この世の評価】
この世では学歴ある人や富のある人、社会的に成功した人は高く評価されます。
オリンピック選手でもメダルを獲得した人は有名になりますが反対にメダルを取れなかった人は忘れられてしまいます。

【叔母の飼っていた猫】
私の一人の叔母は猫を飼っていました。ねずみを取るのでもなく一日中食べては寝てばかりでのんびり過ごしています。食物も牛レバしか食べません。家具も爪で傷付けます。そんな猫ですが叔母は長く可愛がりました。この猫が死んだとき叔母は大変悲しみました。何十年たってもこの猫の話をします。何故そんなにこの猫を大切にしたか分かりません。ただ自分の猫だから愛しました。

【神様の愛】
驚くべきことに神様のやり方もこの世とは全く別で、人を学歴、富で量りません。私たちが長所を持っているからでもありません。私たちのように罪深い欠点だらけの者がどうして神様の愛を受けられたのでしょうか。
実に私たちの全能の神は私たちをありのままで受け入れ愛して下さいます。私たちは神によって愛され神に象って創られた者です。どんなに堕落しても足りないものでも私たちは神に愛されたものです。

【イスラエルの歴史を通して御自身を顕される神】
どうしてその無条件の愛が分かりますか。
それは歴史的に聖書を通して分かります。とくにイスラエルの歴史を通して分かります。
イスラエルはエジプトで400年間奴隷でした。モーセに率いられてカナンの地まで700キロ、40年間の旅をしてやっと自由を得ましたがカナンにたどり着くまで不平不満を言い立てさらにカナンで自分たちの神を忘れ金の子牛を作って拝みまたカナンの地の偶像を拝みました。しかしそれでも神は忍耐してイスラエルの民を愛し見守って下さいました。

【無条件の愛】
理由と言えば無条件の愛です。忍耐強く彼らが神に立ち返るのを待って下さいました。

旧約聖書ホセア書11章
「8 ああ、エフライムよ/お前を見捨てることができようか。イスラエルよ/お前を引き渡すことができようか。アドマのようにお前を見捨て/ツェボイムのようにすることができようか。わたしは激しく心を動かされ/憐れみに胸を焼かれる。9 わたしは、もはや怒りに燃えることなく/エフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない。」

オリンピックでメダルを獲得するためには血のにじむ努力が必要ですが、そのような必要もありません。それは両親が自分の子どもを無条件に愛するのに似ています。

【ある長老の息子】
アメリカの教会で牧会していた時のころ教会のある長老の息子が大きな犯罪を犯しました。そして終身刑を受けました。その息子は空軍士官として勤務していた自慢の息子でした。両親は毎週刑務所を訪れ祈りました。弁護士も雇い息子を助けようとしました。当時75歳の父は自分が身代りになれるものならそうしたいと思いました。わが息子だからこそ犯罪を犯した息子を愛するのです。長老夫妻は10年ぐらい前に亡くなりましたがその後は妹たちが彼を訪ねています。

【神の愛と犠牲】
思いと言葉も大切ですが犠牲的行為も大切です。例えば婚約するときには男性は女性にダイヤモンドの指環をプレゼントしますが愛を顕すために犠牲を払って高価なダイアモンドを買います。

今日の聖書箇所ヨハネによる福音書3章16
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

【神の犠牲的愛】
神は思いと言葉だけでなく犠牲的行動で愛を現されました。それは独り子を私たちに賜うほどの大きな愛の現れです。

主はこの世においても貧しい生活を耐え忍ばれ更にそのうえ神様の愛を語り伝えたにもかかわらず、強い敵が主を残酷的に十字架につけてそのお命を奪いました。

パウロの言葉の通りです。
ローマの信徒への手紙 5章8 「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」

【永遠の命を得るため】
神様の犠牲的愛にはもっとも重要な目的がありました。
新約聖書ヨハネによる福音書3章16節「 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

主イエスの贖いの死を通して罪人の私たちは神に和解されました。つまり罪の全くない主イエスは私たちが支払うべき罰を受けて、私たちの代わりに死んでくださいました。だからこそキリストを信じる者が神様に許されご自分の子供にされ永遠の命を得られます。
神は罪人の私たちを裁くとき罪の全くない御子イエスを見るのです。

【神を信じ、主との交わりを求める】
愛する兄弟姉妹。あなたのための神の大きな犠牲的愛を見ると私たちはどうしますか?
無条件でそんなに愛されたらどうしますか?

第一に神を信じ主との交わりを求めて下さい。
神によってそんなに愛されたら誰でも神を深く知り神とともに歩むことを求めるはずです。
私たちを神に似せて創造された理由は神がご自分との交わりを持ちたいからです。
神に祈って御言葉を学んで毎日の生活に実行し、遜って神とともに歩むなら、神の恵みを経験しながら唯一の神に愛と感謝と服従が自然に出てくるでしょう。

ある敬虔なキイスト者の証があります。
「わたしの70年を生涯を振り返って一つのことが言えます。現在の私にある平安と歓びと希望について言えることが一つあります。それは私が神によって愛されたという確信です。」
愛する兄弟姉妹。どうかその真の素晴らしい信仰を持つように祈りましょう。(おわり)

2012年10月07日 | カテゴリー: ヨハネによる福音書