2007年10月

「聖なる祭司として」
淀川キリスト教病院牧師 田村英典

聖書:ペトロの手紙Ⅰ 2章1~10

◆生きた石、聖なる国民   1:だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、2:生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。3:あなたがたは、主が恵み深い方だということを味わいました。4:この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。5:あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。6:聖書にこう書いてあるからです。「見よ、わたしは、選ばれた尊いかなめ石を、/シオンに置く。これを信じる者は、決して失望することはない。」7:従って、この石は、信じているあなたがたには掛けがえのないものですが、信じない者たちにとっては、/「家を建てる者の捨てた石、/これが隅の親石となった」のであり、8:また、/「つまずきの石、/妨げの岩」なのです。彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです。   9:しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。10:あなたがたは、/「かつては神の民ではなかったが、/今は神の民であり、/憐れみを受けなかったが、/今は憐れみを受けている」のです。

 


【宗教改革】
毎年10月31日は宗教改革記念日ですので、今朝はそれを覚えて説教をさせていただきます。
御承知のように、ヨーロッパの宗教改革は実際には中世の終りから色々な人たちが始めていま
した。イギリスではウィクリフ、ボヘミヤではフス、フィレンツェではサヴォナローラなど、当時の教会の腐敗に多くの人が心を痛めていたのです。ただ、全体的運動には至りませんでした。
 
それを変えたのがルターでした。1517年10月31日、ヴィッテンベルク城の教会の扉にルターは95か条の公開質問状を張り付けました。これは特に過激な方法ではなく、当時よく使われたものです。ルターは自分の疑問について公に討論をしたかっただけで、大ごとになるとは全く考えていませんでした。彼の思想も神学もまだ十分整理されていませんでした。
 
しかし、印刷技術の発達やその他の理由で、事態は思わぬ大きな展開を見せ、その中で彼の考えも整理され、展開し、成熟していきました。更にルターだけでなく、ブーツァー、ツヴィングリ、カルヴァン、ノックスなど、当時のヨーロッパの色々な人たちにこの運動は広がり、大きな困難の中にも定着していきました。改革派教会は、この宗教改革に源流を持つ教会です。

2007年10月28日 | カテゴリー: エフェソの信徒への手紙 , ペトロの手紙一 , ヨハネの黙示録 , 新約聖書

「キリスト者と迫害」
淀川キリスト教病院牧師 田村英典

聖書:マタイによる福音書5章1~10節

10:義のために迫害される人々は、幸いである、/天の国はその人たちのものである。

 

【キリスト者と迫害】
3節から始まるイエス・キリストの幸福の教えを学んで来ました。今日は最後の8番目、10節に進みます。本当は11、12節も関係していますが、今朝は10節だけを取り上げます。
まず前後関係から気づくことがあります。
第一に、これは3節から始まった一連の教えの最後で、いわば締めくくりです。つまり、クリスチャンを完全な形で描く上で、迫害に触れない訳にはいかないということです。厳しいですが、クリスチャンと迫害は切り離せません。
 
第二に、これは9節

「平和を実現する人」


についての教えの後に来ています。クリスチャンが神の御心に従い、平和を実現しようと努力した結果が、しばしばこの世から迫害だということです。悲しいですが、これが現実です。
 
第三に、この教えに付いている約束は3節と同じで、

「天の国はその人たちのものである」


と主は言われます。主はまず3節で人々の心を永遠の天国に向けさせ、またこの最後の教えでもう一度人々の関心を栄光の天に向けようとされます。
 
「迫害はある。だが忘れるな。あなたが受けようとしているものは、生れつきの人が如何にしても手に入れることのできない神の永遠の祝福、天の国である。当座は辛い。だが迫害は決して永遠ではない。あなたは永遠のものを受けようとしている。だから、忍耐して戦い抜きなさい」と励ましておられます。
 
以上、前後関係から簡単に見ました。もう一度10節を見ます。

「義のために迫害される人々は幸いである。」


これが既に永遠の天の御国に国籍をいただいている幸いな人の紛れもない特徴の一つなのです。
主は正直です。「私を信じたら、何もかもうまく行く。いやなことなどなくなる」とは言われません。それは大嘘つき、またサタンの言うことです。サタンはマタイ福音書4章8節でイエスを誘惑して言いました。

「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これをみんな与えよう。」


「これ」とは「世の全ての国々とその繁栄」だ。要するに、何でも思い通りになる、万事OKということです。しかし、これは嘘です。イエスは事柄を曖昧にされません。率直に事実を告げられます。「あなたに信仰の故に迫害はある。それが激しいか緩いかは、天の父の御心による。だが迫害を受けるなら、それこそ、あなたが天に国籍を持ち、永遠の神の国の住民であることの明確な証拠である」と主は断言されます。

2007年10月21日 | カテゴリー: テモテへの手紙二 , ペトロの手紙一 , マタイによる福音書 , ルカによる福音書 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書

知恵の初め ウイリアム・モーア宣教師

聖書:箴言1章1−7
 
【ソロモンの願い】
皆さん、突然の質問ですけれども、もしある日、神様があなたに現れ、一つの願いを聞いてあげようと約束されたら、どう言う事を願うのでしょうか。その事について考えた事がありますか。何よりも、神からどう言うものを頂きたいですか。多分人によってその答えが異なると思います。例えば、飢えている者には、食べ物を願うでしょう。病気で苦しむ者だったら、何よりもその病気から癒されるのを切に願う事でしょう。経済的に困っている人にはもちろんお金を願い、そして、寂しい人は多分相手になる友人を求めるでしょう。
 
実は、聖書によりますと、ある日神はイスラエルの王になったばかりのソロモンの夢に現れ、このようにおっしゃいました。「何事でも願うがよい。あなたに与えよう」と約束しました。ソロモンには欲しい事が何でも頂ける一生のチャンスでした。もし、彼は富や、幸せや、権力や長命などを願ったら、きっとそのものは手に入れられるけれども、彼はそのようなものを神に願いませんでした。その代わりに、ソロモンは知恵を神に願ったのです。このように願いました。「どうか、あなたの民を正しく裁き、善と悪を判断する事が出来るように、この僕に聞き分ける心をお与え下さい。そうでなければ、この数多いあなたの民を裁く事が、誰に出来ましょう。」(列王記上3:9)ソロモンは神の民に仕える為、神から知恵を願ったのです。
 
神はその願いを聞いて、喜びました。そして、ソロモンに言われました。

「あなたは自分の為に長寿を求めず、富を求めず、また敵の命も求める事なく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、私はあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。あなたの先にも後にもあなたに並ぶ者はいない。私はまた、あなたの求めなかったもの、富と栄光をあたえる。生涯にわたってあなたと肩(かた)を並べうる王は一人もいない」


(列王記上3:10−13)とソロモンに約束しました。
 
ソロモン王は一番貴重なもの、知恵を願いましたので、神は知恵だけではなく、他にも祝福を豊かに与えて下さいました。列王記上5:9によりますと、

「神はソロモンに非常に豊かな知恵と洞察力と海辺の砂浜のような広い心をお授けになった。」

    ソロモン王は神から本当に価値あるものを頂きましたね。そして、

「あらゆる国の民が、ソロモンの知恵をうわさに聞いた全世界の王侯のもとから送られて来て、その知恵に耳を傾けた」

(列王記上5:14)と書いてあります。          

2007年10月14日 | カテゴリー: 列王記上 , 旧約聖書 , 箴言

私達の避けどころ ウイリアム・モーア宣教師

聖書:詩編2篇(全)
 
【毎朝の新聞】
私は毎朝起きると、すぐメールボクスへ行って、新聞を取って読みます。それは私の永年の習慣になりました。何故なら、新聞は何よりも、私を眠りから目覚めさせる力があるからです。ある人はコーヒを飲む事によって目が覚めると言います。また、他の人はシャワーを浴びると言いますが、私には新聞を読むのが一番効果的な目覚め方です。と言うのは新聞を読むと、すぐに心拍数が上がり、目が大きくなります。恐ろしい事と、とんでもない事と、腹が立つ事と、涙を流せる事ばっかりで、眠気が完全に消え、すっかり目覚めて、新しい一日を迎えます。特に戦争の事はその効果があります。アフガンとイラクの終わりのない戦争、テロの事、又、北朝鮮とイランの核兵器問題は震えさせ、煩いの種になります。
 
【主に逆らう支配者たち】
以前より、今の時代は特別に恐ろしいようですね。確かにテロの脅しと核兵器拡散は新しい心配の種になります。しかし、考えて見ますと戦争の事と暴力行為と国際不安定は決して新しい現象ではありません。約2,300年前にある詩人が神の霊に導かれ、このように書き記しました。

「何故、国々は騒ぎ立ち、人々は空しく声をあげるのか。何故、地上の王は構え、支配者は結束して、主に逆らうのか。」

2007年10月07日 | カテゴリー: 旧約聖書 , 詩篇