2007年3月

聖書に於ける最も大事な質問 ウイリアム・モーア宣教師

使徒言行録16章25−34
 
 【聖書に於ける最も大事な質問:救われるためにはどうすべきか】
聖書には色々な大切な質問が問われていると思います。たとえば、創世記で神に逆らったアダムとエバが善悪の知識の木から実を取って食べると、彼らはその罪の故に神の顔を避けて自分たちの身を隠しました。そうすると、主なる神はアダムを探し出す為に、このような質問を問いました。「どこにいるのか。」また、新約聖書で主イエス・キリストは御自分の弟子達にこの重要な質問をしました。「あなたがたは私を何者だと言うのか。」そう聞かれると、シモン•ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答え、始めてのキリスト信仰の告白をしました。(マタイ16:15−16)。この二つの質問は大事で意味深い問ですけれども、恐らく今日の御言葉に問われた質問はもっと大事であると思います。そして、その答えは私達には、いや、私達だけではなく、この世界の全ての人々に最も重要であります。その質問は今日の朗読の30節にあります。つまり、

「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」


それは使徒パウロとシラスに問われたフィリピと言う町の監獄の看守の質問でした。

2007年03月25日 | カテゴリー: 使徒言行録 , 新約聖書

私達の弁護者 ウイリアム・モーア宣教師

聖書:ヨハネの手紙一2章1−6節
 
 
【高価なシガーに保険を掛けたずる賢い弁護士】
 アメリカで実際に起こった事件です。ある弁護士が一箱の非常に高価なシガー、すなわち葉巻を購入しました。ちょっと信じがたいですが、その24本の葉巻を手に入れる為に1万五千ドル(約170万円)程の代金を支払いました。あんまり高かったので弁護士はそのシガーに火災保険をかけました。そして、彼は一ヶ月以内でその24本の高価なシガーを全部吸ってしまいました。そうすると、彼は保険会社に対して要求を起こしました。葉巻が一連の小さい火事で焼けてしまったと弁護士は主張しました。保険会社は弁護士が通常のようにシガーを消費したともちろん支払いを拒否したのです。しかし、弁護士はその判断を受け入れなかった為、保険会社に対して訴訟を起こしました。そして、驚くことに彼は勝ちました。裁判管は原告の主張が軽薄であると保険会社に同意しました。しかし、保険の契約書にはどのような火事は当たらないと言う事が詳しく載ってないので、残念ながら、保険会社は原告の要求を払う義務があると裁判官が述べました。その判決を受けると保険会社は弁護士にシガーの価値、1万5千ドルをちゃんと払いました。そして、保険のお陰で無料でその優れたシガーを楽しめたと弁護士は大笑いしました。
 
しかし、弁護士がその代金を受け取ると、保険会社は弁護士を裁判での証言に基づいて、すぐに放火罪で彼を逮捕させました。そして、弁護士は保険をかけられた資産を故意に燃やした罪で有罪判決を受けてしまいました。放火罪で彼は刑務所の24ヶ月と2万4千ドルの罰金を宣告されました。驚きますが、この事件は本当にあったのです。

2007年03月18日 | カテゴリー: イザヤ書 , ヨハネの手紙一 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書 , 旧約聖書

恵みの賜物 ウイリアム・モーア宣教師

ローマの信徒への手紙5章12−21
 
【何を問題とすべきか?】
皆さん、毎日、新聞を開いてニュースを読むと、その内容のおもなテーマは何でしょうか。ニュースの内容は色々ありますが、一つのテーマは他のテーマよりも、遥かに大きいです。また、私達はこの世を見ると、その同じテーマがいつも出て来ます。さらに、自分自身の人生と生活を振り返って見ると、不思議にそのテーマも明確になります。その大きなテーマはやはり「問題」です。新聞に載ってる問題はテロや、戦争や、温暖化や、犯罪や、核兵器の拡散などのようなものです。そのようなものがなかったら新聞は大変薄くなります。また、自分の人生を見ても、どの問題も大きなテーマになると思います。経済的問題、子供の問題、夫婦の問題、心の問題、仕事関係問題、健康の問題などです。次々とそのようなものに襲われると、人生はおもに問題の扱いで形成されているかのように思いがちです。
 
【何が一番大きな問題か?】
皆さん、私達の問題の中で何が一番大きいでしょうか。そのように聞かれると、「それは人によって違います」と答えるかも知れません。人々は様々な背景があって性格も違いますので、当然一番大きい問題が共通しません。また、ある時は一番大きい問題が解決されると、そのものの代わりに他の問題が一番のもんだいとなります。

2007年03月11日 | カテゴリー: コリントの信徒への手紙一 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書

主は備えてくださる ウイリアム・モーア宣教師

創世記22章1−19
 
【男はなぜ溺れ死んだか】
急な大洪水の故にある男の人は避難出来なくて、自分の家に閉じ込められてしまいました。洪水が家の一階に入ると二階へ逃げました。そして、二階にも水が上がって来たので、屋根に上りました。やがて、ヘリコプターが飛んで来て、彼を救う為に梯子を屋根まで下ろしました。ヘリコプターの人が、「梯子を引っ掴んで下さい。上まで引っ張るから」と叫びました。そして、男の人はこう断りました。「結構です。神が私を救うから、いいですよ。私の神は備えて下さる。」洪水の水がだんだん上がるとまた救助隊が今度は船でやって来て男の人を救おうとしました。「溺れてしまうから、船に乗って下さい」と言いましたのに、男の人はまたこのように答えました。 「結構です。神が私を救うから、いいですよ。私の神は備えて下さる。」水が屋根の天辺まで上がった時、 救命胴衣(どうい)を引っ張った犬が男の人の方へ泳いで来ました。しかし、彼はもう一度、「結構です。神が私を救うから、いいですよ。私の神は備えて下さる」と断りました。
 
丁度その瞬間、大きな波が襲って来て、男の人を屋根からさらわれ、彼は溺れ死んでしまいました。彼はイエス・キリストを信じたので天国に着きました。そして、彼は早速主に聞きました。「どうして私を洪水から救いませんでしたか。大きな信仰を持って神の助けを待ちました。神が備えて下さると信じたのに。」そうすると、主は彼を見てこのように返事をしました。「私はヘリコプターと船と犬までもあなたに送ってやりましたが、あなたはその全てを断ってしまったね。それは私が備えてやったのに。」

2007年03月04日 | カテゴリー: 創世記 , 旧約聖書 , 詩篇