2008年2月

「罪を赦す権威者イエス・キリスト」 泥谷逸郎教師

 聖書 ルカ福音書 5章17~26 

◆中風の人をいやす  17:ある日のこと、イエスが教えておられると、ファリサイ派の人々と律法の教師たちがそこに座っていた。この人々は、ガリラヤとユダヤのすべての村、そしてエルサレムから来たのである。主の力が働いて、イエスは病気をいやしておられた。18:すると、男たちが中風を患っている人を床に乗せて運んで来て、家の中に入れてイエスの前に置こうとした。 19:しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかったので、屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。 20:イエスはその人たちの信仰を見て、「人よ、あなたの罪は赦された」と言われた。  21:ところが、律法学者たちやファリサイ派の人々はあれこれと考え始めた。「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」 22:イエスは、彼らの考えを知って、お答えになった。「何を心の中で考えているのか。 23:『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。24:人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう。」そして、中風の人に、「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」と言われた。 25:その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、寝ていた台を取り上げ、神を賛美しながら家に帰って行った。 26:人々は皆大変驚き、神を賛美し始めた。そして、恐れに打たれて、「今日、驚くべきことを見た」と言った。



【はじめに】
「中風の人をいやす」出来事のあらすじは次の通りです。 
主イエスがご自分の町カファルナウムに帰ってこられたある日のことです(マタイ9:1、マルコ2:1)。そこに、大勢の人々がやって来ました。主イエスに批判的なファリサイ派や律法学者たちも座っていました。
ファリサイ派は、律法主義者で、先祖たちの言い伝えを守るのに熱心な人々でした。律法学者とは、モーセ律法をはじめ、旧約聖書の学者のことです。彼らは歪んだ律法解釈のために主イエスが誰であるか分からなくなっていました。


2008年02月24日 | カテゴリー: ルカによる福音書 , 新約聖書

イエスにお目にかかりたい ウイリアム・モーア宣教師

ヨハネによる福音書12章20−26

【イエスにお目にかかりたいのです】
今日の御言葉によりますと過越しの祭りの為に何人かのギリシア人がエルサレムに上って来ました。その外国人はイスラエルの神を信じ、わざわざエルサレムの神殿まで来て、礼拝を捧げました。そして、都にいる間に彼らは主イエスの弟子フィリポにやって来て、願うことがありました。「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と求めました。フィリポはその嬉しいお話を聞いて、直ちに弟子同士のアンデレに知らせて、その二人は主イエスの元へ行って、ギリシア人の事を伝えたのです。

 【イスラエルの王に】
弟子達は知りませんでしたが、その時、主イエスの受難が近付いて来ました。数日の内にイエスはユダヤ人の当局によって逮捕され、十字架で処刑されてしまいます。イエスはその事をよく御存知ましたが、弟子達にはさっぱり分かりませんでした。実は、主がエルサレムに入った時、都の大勢の住民が向かえに来て、イエスの為に熱烈な歓迎をしました。国王を迎えるように、人々はなつめやしの枝を道にひいて、ロバに乗っていたイエスを都に案内しました。更に、群衆はこのように叫び続けました。

「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に。」


(ヨハネ12:12−13)

2008年02月17日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , ヨハネによる福音書 , 新約聖書

盾となる神のお守り ウイリアム・モーア宣教師

詩編5篇1−13
 1:

【指揮者によって。笛に合わせて。賛歌。ダビデの詩。】   2:主よ、わたしの言葉に耳を傾け/つぶやきを聞き分けてください。3:わたしの王、わたしの神よ/助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。 あなたに向かって祈ります。   4:主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出て/あなたを仰ぎ望みます。5:あなたは、決して/逆らう者を喜ぶ神ではありません。悪人は御もとに宿ることを許されず6:誇り高い者は御目に向かって立つことができず/悪を行う者はすべて憎まれます。   7:主よ、あなたは偽って語る者を滅ぼし/流血の罪を犯す者、欺く者をいとわれます。   8:しかしわたしは、深い慈しみをいただいて/あなたの家に入り、聖なる宮に向かってひれ伏し/あなたを畏れ敬います。   9:主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き/まっすぐにあなたの道を歩ませてください。わたしを陥れようとする者がいます。10:彼らの口は正しいことを語らず、舌は滑らかで/喉は開いた墓、腹は滅びの淵。11:神よ、彼らを罪に定め/そのたくらみのゆえに打ち倒してください。彼らは背きに背きを重ねる反逆の者。彼らを追い落としてください。  12:あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝い/とこしえに喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られ/あなたによって喜び誇ります。13:主よ、あなたは従う人を祝福し/御旨のままに、盾となってお守りくださいます。

 
【讃美の歌】
今日は私達の詩編の学びを続けたいと思います。月一回、順に詩編の教えを受けて来ました。そして、今日は詩編第5編になります。覚えていらっしゃると思いますが、「詩編」と訳されたヘブライ語の単語の意味は「讃美」あるいは、「讃美の歌」です。ですから、信仰において私達の先祖は個人と集団の礼拝に詩編を歌いました。私達が讃美歌を歌うように、彼等は詩編を歌ったのです。実は、私達が歌う多くの讃美歌は詩編の歌詞に基づいています。例えば、先程歌いました讃美歌88番は詩編90編の影響を受けました。
 
【慰められ、喜ぶ事】
聖書の全ての書の中で詩編は特別な役割があります。特に、傷つけられた時、落胆の時、又、危機に陥っている時、詩編を読むと、魂が生き返られ、悲しみの中にいても、慰められ、喜ぶ事が出来ます。
 
【ダビデの詩】
今日の御言葉の一節によりますと、詩編第5編はイスラエルの王ダビデの詩です。ダビデは自分の生涯に色んな事を経験し、良い時があれば難しい時も沢山ありました。彼はもちろん正しい行いもすれば、罪も結構犯してしまいました。しかし、ダビデはその全てにおいて、神との関係を何よりも大事にし、常に主の御前に生きたのです。神御自身が彼を「御心に適う人」と呼んだのです。(サムエル記上13:14)

2008年02月10日 | カテゴリー: サムエル記上 , 旧約聖書 , 詩篇

私達の金の子牛は何か ウイリアム・モーア宣教師

聖書 出エジプト記32:1−14
 
【出エジプトと十戒】
今日与えられた御言葉は旧約聖書の劇的な出来事の中でも、非常に印象的であります。もしデミル監督の有名な映画、「十戒」を見られたら、今日の個所を描写する場面をよく覚えていると思います。
 
【モーセとアロン】
イスラエルの民族が全能の神の奇跡的力によってエジプトの奴隷の家から導き出された時です。エジプトから約束された地カナンまで旅中の事件ですが、彼等のリーダー・モーセは神から十戒を含んだ律法を頂く為、独りでシナイ山に登りました。その帰りが遅いと思った人々はモーセの兄弟また助手であるアロンに行って、このように願いました。「さあ、我々に先立って進む神々を造って下さい。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか、分からないからです。」
 
【金の子牛】
そして、不思議に思うのですが、アロンはその願いに応じて、皆が寄付した金の耳輪で、拝む為に子牛の鋳像(ちゅうぞう)を造りました。そしてその偶像を見ると人々はこのように言いました。「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ。」
 
【モーセの怒り】
すると、アロンは祭壇を作り、翌日に行うお祭りを宣言しました。人々は金の子牛を拝んで、飲み食いし、わいわいしました。モーセは山から下り、その光景を見ると大変怒りました。救い主である本当の生ける神の戒めをすぐ忘れ、偶像を造って拝むと言うのは信じられませんでした。モーセは子牛の像を取り、粉々に砕いて、水の上にまきちらし、罰として人々にそれを飲ませました。

2008年02月03日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , ヨハネによる福音書 , 出エジプト記 , 新約聖書 , 旧約聖書