2005年2月

神への献身ーダビデ王に見る感謝・喜び・希望の人生ー 市川康則 神戸改革派神学校教授

◆神殿建築のための寄贈     歴代誌上29章1~9節
1:ダビデ王は全会衆を前にして言った。「わが子ソロモンを神はただ一人お選びになったが、まだ若くて力弱く、この工事は大きい。この宮は人のためではなく神なる主のためのものだからである。
2:わたしは、わたしの神の神殿のために力を尽くして準備してきた。金のために金を、銀のために銀を、青銅のために青銅を、鉄のために鉄を、木材のために木材を、縞めのうの石、象眼用の飾り石、淡い色の石、色彩豊かな石などあらゆる種類の宝石と大量の大理石を調えた。
3:更にわたしは、わたしの神の神殿に対するあつい思いのゆえに、わたし個人の財産である金銀を、聖所のために準備したこれらすべてに加えて、わたしの神の神殿のために寄贈する。4:建物の壁を覆うためにオフィル産の金を三千キカル、精錬された銀を七千キカル寄贈す。
5:金は金製品のため、銀は銀製品のためであり、職人の手によるすべての作業に用いられる。今日、自ら進んで手を満たし、主に差し出す者はいないか。」 6:すると、家系の長たち、イスラエル諸部族の部族長たち、千人隊と百人隊の長たち、それに王の執務に携わる高官たちは、自ら進んで、7:神殿に奉仕するために金五千キカル一万ダリク、銀一万キカル、青銅一万八千キカル、鉄十万キカルを寄贈した。
8:宝石を持つ者は、それをゲルション一族のエヒエルの手に託して主の神殿の宝物庫に寄贈した。
9:民は彼らが自ら進んでささげたことを喜んだ。彼らが全き心をもって自ら進んで主にささげたからである。ダビデ王も大いに喜んだ。


【Ⅰ.王としてのダビデの願い―神殿建立】
 
歴代誌上29章1‐20節は、ダビデ王による神殿建立の準備と、その直後のダビデの祈りを記しています。これは、神に対するダビデの熱心さと献身振りがよく現われた言動です。しかし、このダビデの言動は単に熱心な献身振り、あるいは民への良き模範ということだけではなく、実に、神の前における王たる者の謙遜で従順な行為です。ここに記されるダビデの神殿建設に向けた大いなる寄進には背景があります。それは、全会衆とソロモンとに対するダビデの説明の言葉に明らかですが(28:1‐10)、その元の出来事は17章1‐15節に記されています。ダビデは元々、神殿を建てること自体を発願しました(17:1以下)。これは王であるダビデにとって重要であり、また当然でした。
 古代国家は押し並べて祭政一致国家でした。特に異教国では王が神格化されることが多く、また宗教家が政治に関与することも普通でした。たとえ実際には政治権力者と宗教従事者が異なっていても、しばしば、そのいずれかがもう一方の領域にも関与し、あるいはは支配していました。イスラエルではもちろん、王は直接に宗教祭儀に従事しませんでしたが、しかし、政治であれ、宗教であれ、他の何であれ、すべては主なる神の統一的支配の下に置かれていました。
 
イスラエルの民はダビデ王の時代に初めて、国内統一および外国との和平が成りました。既に移動遊牧社会から農耕を主とした定住社会を形成し、政治体制もその時代に適合して、隣接列強諸国のそれと相俟って、王朝国家となりました。この国には確かに真の神がいますということを、時代状況にふさわしい方で表現することが必要でした。もちろん、生けるまことの神は天地の創造者であり、万物を超越しておられますから、幕屋であろうが、神殿であろうが、神の臨在と働きには何の変わりもありません。幕屋から神殿に変わったところで、神の救いの効果に違いが生じる訳ではありません。しかし、諸国民の只中にいるイスラエルにとっては、神殿と幕屋とでは、その政治的、社会的、心理的影響は大きく異なります。
神殿は、イスラエルにおける主なる神の臨在と救いの、旧約時代における最も典型的な象徴でした。したがって、神の救いの歴史的進展という観点からも、統一王国の成立にとって、神の臨在と救いの象徴形態が幕屋から神殿に変わることはふさわしいことでした。それゆえ、ダビデは王としての権限と責任から、神殿建立を目指した訳です。

2005年02月27日 | カテゴリー: 旧約聖書 , 歴代誌上