マラキ書

イエス・キリストのアドベント ウイリアム・モーア宣教師

聖書:マラキ書3章1−4
 
【アドベント:明けましておめでとうございます】
皆さん、明けましておめでとうございます。そうです。明けましておめでとうございます。実は、今日は正にアドベント、すなわち待降節の始まりの日で、キリスト教暦年の元日になります。大昔からキリスト教会はクリスマス前の約四週間の間、世界の唯一の救い主であるイエス・キリストの御降誕を祝う心の準備をして来ました。そして、更に、将来、主が再びいらっしゃる事、主の再臨を私達はアドベントに心から待ち望みます。アドベントと言う単語の文字通り意味は、「出現」、あるいは、「いらっしゃる(来臨)」と言う事です。ですから、アドベントに私達は喜びを持って主イエスの降臨を記念すると同時に、大きな希望を抱き、これからの主の御再臨を待っています。
 
キリスト教会は結局主イエスの御降誕に起源を持ているので、当然教会暦年はアドベントで始まります。2007年前に父なる神は御自分の独り子イエス・キリストをこの世に遣わして下さいました。そして、主イエスの救いを通して私達は新しい命と新しい希望が与えられたのです。その比類なき程素晴らしい再出発を記念して、今日私達はアドベントの始まりと教会暦年の元日を覚え祝います。明けましておめでとうございます!
 
【アドベント•リース】
アドベントを豊かに守るように、毎年のように、今年も津村姉妹がまた私達の為にアドベント•リースを準備して下さいました。長い伝統ですから、リースはシンボルとして色々な深い意味を生じて来ました。先ず、リースの円形によって私達は神が始めもなければ終わりもない永久の神である事を覚えます。また、神の愛と憐れみは限りがないと言う意味もあります。そして、リースの常緑の葉っぱはイエス・キリストが賜って下さる新しい誕生と永遠の命を示します。更に、ろうそくの火は神の光、イエス・キリストのシンボルになります。
 
【世の光・主イエス】
世の光である主イエスの御降誕の際に、神、御自身がこの世にいらしゃって、救いと愛の光を全人類に照らして下さいました。アドベントの毎週、主の日に、外側のろうそくを一本ずつ点す事によって、イエス・キリストの御降誕を待ち望んでいると言う意味なのです。そして、真ん中のろうそくは「キリストのろうそく」と言われています。私達はやがてクリスマス礼拝を迎えるとそのろうそくを点します。神の光である主イエスはクリスマスの中心だけではなく、この世の歴史の中心である事の印になります。
 
外側の赤いろうそくは、一本、一本も特別な意味があります。それは主イエスの御降誕から来る、私達が頂いた賜物なのです。今日点すろうそくは希望を現します。来週のろうそくは平和を意味します。そして、その次のろうそくは喜びと、その次は愛を表します。今年のアドベントにその四つの貴重な賜物を覚えながらクリスマスを迎える準備を皆さん一人一人と共にしたいと思います。アドベント•リースを用いて私達は今年もクリスマスを記念し、共にその神の賜物、希望と平和と喜びと愛を新たに経験したいです。

2007年12月02日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , マラキ書 , ルカによる福音書 , 旧約聖書

『悔い改めにふさわしい実を結べ』吉田 謙千里摂理教会牧師


*聖書 マタイによる福音書3章1節~12節
 
【そのころ、洗礼者ヨハネが現れて】
今、朗読いたしました記事は、

「そのころ、洗礼者ヨハネが現れて」

という言葉で始まっています。では、ここで言われている「そのころ」とは、いったい、いつ頃のことなのでしょうか。4つの福音書の全てが、今日の洗礼者ヨハネの登場を告げていますけれども、その中でも歴史家とも言われる福音書記者ルカは、洗礼者ヨハネの登場をこのように述べています。

「皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。」

( ルカによる福音書3章1~4節)。

2007年06月17日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , マラキ書 , ルカによる福音書 , 新約聖書