がらくたを捨てる ウイリアム・モーア

聖書:テサロニケの信徒への手紙一5章21-22

21:すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。

22:あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。

【ゴミ屋敷の主人】

数年前に見たテレビ番組ですけれども、なかなか忘れられません。それはゴミ屋敷についての番組でした。あるリポーターがその事を調べる為に町の有名なゴミ屋敷を訪ねました。家の周りはゴミだらけでした。古い故障した自転車数十台がお庭に山積(さんせき)して、錆びた電気製品も沢山置いてありました。また、古いぼろぼろになった家具も結構あったのです。近所の人によりますと、主人はいつも在宅していましたが、リポーターが玄関のベルを鳴らすと、誰も出て来てくれませんでした。そして、リポーターはコンビ二へ行ってお土産としてお弁当を買って、玄関の外に置いて帰りました。次の日にも同じ事をしましたけれども、ベルを鳴らしても主人はドアを開けてくれませんでした。やっとその次の日、お弁当を持って来た時、主人はドアを少し開けましたので、リポーターは話掛けることができました。優しく語りましたので、主人はやっとリポーターを玄関まで迎え入れてくれました。しかし、入るとびっくりしました。その家の中は床から天井まで物で一杯でした。そして、使えそうな物は殆どなくて、大半はがらくたでした。さらに臭い臭いがする生ゴミまでも置いてありました。そこに置いた新聞をちらっと見ると、大変驚きました。20年前の日付でした。家の中を自由に歩けない程ゴミが置いてありました。その上、階段はゴミがあんまり沢山積んであったので、ニ階へは全く上がれませんでした。

この主人は長い間、何も捨てませんでした。家の中に物を沢山持って来ましたが、何も手もとから離す事が出来ませんでした。ただ全てを家に置きました。リポーターは、「どうしてこんなに物が置いてありますか」と聞きますと、主人が、「捨てるのはもったいないです。全ては必要な物よ。いつか役に立つんだよ」と返事をしました。さらに、荒ゴミの日に捨てられた物をよく拾いに行くと言っていました。その方法で良い物を沢山得たと自慢しました。

皆さん、ゴミ屋敷の主人の事を聞いてどう思われますか。「信じられない」と思いがちですね。「ゴミを捨てられない人はどんなに愚かな迷惑者でしょう」と軽蔑すると思います。間違いなく、私達は家をがらくたで一杯詰める人は病気だと考えるでしょう。その番組を見た私はそう思ったのです。実は我が家では私はゴミ捨ての担当です。毎週の火曜日と金曜日は燃えるゴミの日です。第二と第四の水曜日は空きカンと空きビンの日。そして、第一と第三の水曜日は荒ゴミです。私は特に臭い生ゴミを捨てるのは好きです。そのような汚いゴミを家から出すのは良い事と思って、喜んで近所のクリーン・ステーションまで運びます。また、使えない物を処分するのも好きです。出来るだけ家からいらない物を取り除きたい気持ちがあります。ですから、私はゴミ屋敷の持ち主をなかなか理解出来ません。


【人生のガラクタ】
しかし、よく考えて見ると、多くの人は自宅をとても奇麗にするにもかかわらず、自分の人生をゴミとがらくたで一杯に積んでしまいます。そして、その汚い、いらない物を決して捨てません。私たちそれぞれは色々な経験や環境があって、そのものは私たちの人生と時間と精神を益々一杯にします。その中には良いものもありますが、決して全てが良い訳ではありません。そして、余計なものを捨てないと、人生があまりにも散らかってきて、私たちの中の良いものを探し出すのが難くなります。ですから、人生がゴミ屋敷のようにならないように注意しなければなりません。


今朝の聖書の朗読は私たちがゴミ屋敷のようにならない為に授けられた御言葉です。もう一度お読み致します。テサロニケの信徒への手紙一5章21と22節です。

「全てを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい」と記されています。つまり、人生には判断が常に必要であります。そして、正しい判断によって良いものを持ち続ける事が出来、また悪いものを人生から捨てるのです。


【正しい判断をするための原理】
先週の説教に、どのようにして正しい判断が出来るかと言う事を学びました。

アブラハムが息子イサクの為に嫁を探す方法から四つの原理を見出しました。

第一に神の御言葉を知る事が大事です。良い判断が出来るように神が御言葉を通して語って下さいます。そして、第二に、私達は神の御心を行う意志が必要であります。第三に、神の摂理と忠実な事を信頼すべきです。そして、最後に正しい判断が出来るように、知恵と主の導きを祈らなければなりません。その原理に従ったら吟味が正しくなされ、持ち続けるべきものと捨てるべきものとを区別出来ます。


【偽金に騙されるな】
「全てを吟味して」と今朝の箇所は教えます。この表現「吟味」の原語は特別な意味があります。昔の人々は金と銀のような貴金属が本当かどうかを調べた時、吟味と言う表現を使いました。本物である事を確かめる為、テストがあったのです。ちゃんと吟味しないと、だまされて金でない偽物を買ってしまう恐れが十分ありました。ですから、「全てを吟味して」と言うこのお勧めは、だまされないように全ての事の真実を調べる事です。


【霊的真理と偽りの宗教】
今日の箇所の背景を見ると、使徒パウロはおもに霊的な事について語っています。つまり、霊的真理と偽りの宗教を区別する必要性を強調しました。この世には色々な宗教的思想が盛んです。そして、言うまでもなくその全ては真理ではありません。ですから、当然吟味しなければなりません。つまり、神から授けられた御言葉を標準として用いて霊的事柄全てを吟味すべきです。そして、聖書の証に合わない事を絶対に受け入れないように気をつける方が良いです。


人生の他の面においても、吟味すべきだと思います。人から聞いた事全ては真実ではありません。ほとんどの広告と宣伝は大げさです。マスコミで聞いた事も注意した方が良いです。また、特に政治家の言う事を吟味する必要があります。全ての事を受け入れると、私達の魂と人生はゴミ屋敷のように散らかって来て大変困ります。


【本当によいものを大事に】
続いて私達は「良いものを大事にしなさい」と教えられています。すなわち、良いものなら、そのものをしっかりつかんで持ち続けるべきです。この世には悪いものがあれば、良いものもあります。そして、悪いものと良いものを区別して、悪いものを捨てながら、その良いものを忘れないで大事にしなければなりません。フィリピの信徒への手紙に使徒パウロはこう書きました。「私は、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要な事を見分けられるように」(1:9~10)と記されています。特に主イエス・キリストから教えられたものをつかんで実行すべきです。間違いなく、そのものの良さと真実が保証されています。

【自分自身の中にあるガラクタから遠ざかるには】
最後に、私達は「あらゆる悪いものから遠ざかりなさい」と勧められています。つまり、悪を憎んで、特に自分自身の中にある悪を憎んで捨ててしまう方が良いです。それはもちろん罪を犯す事を止める事です。しかし、それだけではないと思います。人に対する自分の中にある怒りと恨みや、馬鹿にされたり傷つけられたメモリーなども捨てないと、その事がだんだん重なって腐ってしまいます。自分から生き甲斐と喜びを奪ってしまいます。悪いメモリー、悪い癖、悪い友人、悪い信仰と悪い考えと言葉などは人生を目茶苦茶にして駄目にさせます。そのようながらくたがあれば、是非捨てて下さい。自分をその事から奇麗にしなさい。


イエス・キリストが神によってこの世に遣わされたのは私たちをそのがらくたから救う為なのです。主を心から信じ、自分の救い主として受け入れて全ての罪の赦しを頂きます。そして、主は罪やがらくたや悪いものなどを自分の人生から捨てるように助けて下さいます。


【エンジントラブルに陥った爆撃機】
戦争の時、あるイギリスの爆撃機がドイツの上空で、故障の為、四つのエンジンの中で急に三つが駄目になりました。その状態で本土まで帰るのは大変難しいと思って、仲間の中のある者は皆の命を救う為、その飛行機を出来るだけ早く着陸させた方が良いと言いました。しかし、敵地に着陸すると住民によって殺されるか、捕虜(ほりょ)になる可能性が非常に高かったのです。ですから、パイロットはその提案を受け入れませんでした。「イギリスの基地まで帰りましょう。飛行機を軽くするなら、何とか出来ると思う」と皆に言いました。そして、搭乗員は早速必要でない物を飛行機から投げ出し始めました。弾薬と、食物と、椅子と、着る洋服までも脱いで飛行機のドアから投げ出しました。余計な物なら、全てを捨てました。そうして軽くなった飛行機はやっとイギリス海峡を超え、無事に基地に着陸出来ました。


どうか、私たち皆は御言葉のお勧めを聞いて実行出来ますように。

「全てを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。」
   

2005年07月03日 | カテゴリー: テサロニケの信徒への手紙一 , 新約聖書

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