クリスマスの平和 ウイリアム・モーア

ルカによる福音書2章1−20

【パックス・ロマ−ナ】
真っ暗なパレスティナの夜でした。羊は牧場の草の中でぐっすり眠っていました。しかし、羊飼い達は狼や泥棒などの危険の為、寝ずに夜番をして、羊の群れを見守っていました。夜は寒いので羊飼い達は焚き火を囲んで体を暖めました。そして彼等は長い夜の時間を潰す為、羊の群れの番をしながら、ゆっくりとお互いに色んな話をしました。町に住んでいる自分の家族の事や、次の日の予定や、病気の羊の問題や、最近のうわさ話などもしました。話は様々ですが、最後に彼等はいつも一つの話題に戻っていました。それは自分の国イスラエルの不幸な状態です。つまり、長い間、外国の支配を受けて、イスラエルはローマ帝国の三流植民地になってしまいました。以前は独立した国としての自由な存在であったのに、ローマの兵士は自分の国に侵攻して、剣で住民を食い物にしてしまいました。ローマの暴君によってこの状態は「パックス・ロマ−ナ」と呼ばれました。すなわち、the peace of Rome 、ローマの支配による平和と言う意味です。しかし、イスラエルの人々にはそれは決して平和ではありませんでした。却って、何よりもテロの状態でした。イスラエルの住民はローマの政権に厳しく監督され、ローマの市民ではないから、人権は殆ど守られていなかったのです。更に、貧しい者からも無理に税金が徴集されました。また、ローマの政権は全ての反対者を冷酷に扱いました。必ず謀反の報酬は拷問と残酷な死でした。

羊飼い達は自分の国の悲惨な現状を話し合うと、彼等にとって一つの事が明白になりました。いくら言っても、外国の兵士の靴がイスラエルの土地を踏む限り、平和は自分の国に来ません。何よりもローマの圧迫からの解放の日を待ち望んでいました。イスラエルの預言者イザヤはその日を予告して、このように宣言しました。

「主は、御自分の右の手にかけて力ある御腕にかけて、誓われた。私は再びあなたの穀物を敵の食物とはさせず、あなたの労苦による新しい酒を異邦人に飲ませる事も決してない。穀物を刈り入れた者はそれを食べて、主を賛美しぶどうを取り入れた者は聖所の庭でそれを飲む。」(イザヤ書62:8--9)

【天使が羊飼い達に現れた】
羊飼い達とすべての愛国者はその解放の日を憧れましたが、現状を見ると、その日はなかなか遠い話だと思いました。

焚き火を囲んで悲しそうにその事を話している時、突然驚くべき出来事が起こりました。大空に眩しい光があって、天が裂け神の御使いが現れました。言うまでもなく、その天使との出会いは全く初めてですから、彼等は心が騒いで非常に恐れました。息が出来ない程びっくりした事でしょう。そして、天使はこのように語りました。

「恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたの為に救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(ルカ2:10--12)

つまり、イスラエルは長い間待ち望んでいた救い主・平和の君がやっとこの世にいらっしゃると言う素晴しいニュースでした。そして、その救い主を羊飼い達の目で確かめる為、徴(しるし)が与えられました。その子はベツレヘムと言う町で飼い葉桶の中に寝ていると教えました。天使はその素晴しいニュースを発表した後、それから、突然、天使の大軍が天から下って来て、神を讃美し、神御自身の御子イエス・キリストの御降誕を高らかにお祝いました。

そして、天使の大軍はどう言う事を告げましたか。今日の聖句の14節を見ますと、その言葉が記されています。

「いと高き所には栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」「地には平和、御心に適う人にあれ。」

【地には平和】
羊飼はその言葉を聞くと大きな希望が湧き出て来たと思います。何故かと言えば、「地には平和」と言う宣言の意味は、ローマ軍の占領の終わりが近づいて来たと受け取られた可能性が高いからです。もし天使達のメセージはそう言う意味だったら、それは真に良いニュースです。外国の政権が去って行って、イスラエルの自由が回復し、平和がやっと自分の国に戻って、恐れずに生きる事が出来ます。それこそは「地には平和」ではないかと羊飼い達が思った事でしょう。

私達も羊飼いと同じように天使の言葉を聞くと何よりも「地には平和」を憧れます。特に現在世界の平和は本当に必要であります。新聞を開くと、テロと戦争の話は日常茶飯事のようになってしまいました。少なくとも毎日何処かで一つの自爆テロの事件が起きていて、国と国の間はもちろん、また、国内でも戦いはあちこちにあります。あまりにも聞きなれ、見なれた話のように思いたくありません。そして、それはよその国の問題だとも思いたくありません。実は全世界が巻き込まれているのです。なかなか解決方法の見当たらない状況であります。その結果は何ですか。テロは私まで届くかと思う恐れと不安に包まれます。

私達も世界平和を望んでいるけれども、この世の歴史は主イエス・キリストの御降誕の前と同じように、御降誕以来もずっと戦争と争いの歴史です。数え切れない程の戦争があって、数え切れない程の犠牲者が出ました。

旧ソ連の崩壊で冷戦が終わって、世界の多くの人々は新しい平和の時代を期待しました。この世から戦争を無くす夢がやっと実現されたと思った人が結構いました。そして、軍事費用が減らされ「平和の配当」のお陰で、色んな素晴しい事が出来ると信じた者も大勢いました。しかし、言うまでもなく、その「平和の時代」は現れませんでした。すぐ湾岸戦争になり、あちこちで次々と他の争いが起こりました。平和の配当どころか、世界の軍事支出が増えてしまいました。

ですから、私達はその晩天使の大軍が発表した「地には平和」と言う約束はいったいどうなったかと聞いても、ちっともおかしくはありません。もしその平和が戦争とテロからの解放であったら、私達はまだその平和を待っています。

先週、私達はアドベント・リースの「希望」と言うろうそくを灯しました。そして、今朝、灯したもう一本は「平和」のろうそくと言います。しかし、主イエスはいったいどのような平和を私達に提供しに来ましたか。

【イエス・キリストが与える平和とは】

実は、平和の君、イエス・キリストが齎して下さった平和は戦争とテロからの解放ではありませんでした。実は、


「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くたろう」と主は私達に警告しました。(マタイ24:6)

将来、主イエスは栄光に輝いて再びこの世にいらっしゃると、もちろん全ての戦争と争い、苦難と悲しみも、廃止して下さいますが、その日が来るまで人間の罪の故に、争いはこの世の状態です。戦争を減らすのは良い目標であり、キリスト者はその為に勤めるべきですが、実際に全ての争いをこの世から無くすのは人間にはなかなか難しいです。

そしたら、主イエスが今、提供して下さる平和はどう言うものでしょうか。イエスは御自分の受難を前にして、天国に帰る前に弟子達にこのように約束しました。

「私は、平和をあなたがたに残し、私の平和を与える。私はこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」と主がおっしゃって下さいました。(ヨハネによる福音書14:27)

イエス・キリストは私達の為に平和を残して下さいました。しかし、その平和は特別な平和です。御自分だけが提供出来る平和を授けて下さいました。

【神との間の平和】
それは第一に私達と神の間の平和です。私達は自己中心になり、愛する神の道よりも自分のわがままな道を選んで、神との関係を壊してしまいました。ですから、その罪の故に私達は神の敵になって、神御自身の正しい裁きを受けるべき者です。言うまでもないが、これは平和の状態ではありません。却って、人間には全能の神の敵になる事は一番恐ろしい運命です。

幸いに、愛である造り主は私達を憐れんで、一つの救いの道を開いて下さいました。私達の為に神の御子イエス・キリストが天国の全ての特権と栄光を捨てて、最初のクリスマスに肉体を取って、人間としてこの世に生まれました。私達と同じ楽しみと苦しみを味わって、遂に十字架で私達の贖いになりました。つまり、罪の為、私達が支払うべき罰を御自分の身に受けて下さいました。ですから、主イエスを心から信じる者は罪の赦しのお陰で神と和解され、永遠に神御自身の愛された子供になります。死んでも、神の力によって復活され、永久に神と共に生きる事が出来ます。これこそがこの世が絶対に与えられない主イエスのみが賜って下さる平和です。

信仰によって主イエスの賜物を受けた私達は神との平和が与えられました。ですから自分の心は平安です。つまり、神によって全ての罪が赦されているので神の裁きを恐れず、また私達の良心に恥じがありません。しかも、全能の神は私達の愛する味方ですから、思い煩らわなくても良いのです。何故なら、私達の為に御自分の独り子を惜しまない方は、もちろんどんな事があっても、私達を助けて支えて下さいます。

【隣人を赦し、愛する】
愛する兄弟姉妹達、このような素晴しい平和を経験すると、私達と周りの者との関係にも影響されるはずです。つまり、神が先ず私達を愛して赦しましたので、私達は隣人を赦し、愛する事が出来ます。更に、主イエス・キリストによって私達は一つになります。先ず神に和解されているから、私達人間はお互いに和解されるべきであります。

皆さん、まだ赦してない人がいますか。まだ神に告白していない罪がありますか。告白して見て下さい。赦されます。まだ赦していない人がいれば、今年のクリスマスを通して赦しましょう。

平和の君、イエス・キリストは、何よりも御自分の平和を私達に授けたいのです。その為に主イエスは父なる神によってその初めのクリスマスに私達の世に遣わされました。その為に十字架で私達の罪を贖って下さいました。この救いの平和は主イエスを信じる全ての者に与えられています。どうかクリスマスの際に私達一人一人も、そして全世界の人々も主イエスを信じ、御自分の救いの平和を経験出来るように祈ります。

      祈祷--クリスマスの平和

愛する私達の天の父なる神、あなたの御子イエス・キリストによって大きな、大きな恵みを頂いて心から感謝します。特に、主イエスは御自分の平和を私達に与えて下さりありがとうございます。罪の赦しのお陰で私達はあなたに和解され、永久にあなたの愛された子供のように扱われ、力と希望を毎日与えて下さいます。私達はクリスマスの準備をしながら、あなたの平和の比べられない程の恵みを新に覚え、喜びを持って周りの者にその平和の証人になりますように助けて下さい。イエスの御名によって、アーメン。

2005年12月04日 | カテゴリー: イザヤ書 , ルカによる福音書 , 新約聖書 , 旧約聖書

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