2015年年11月8日説教「神の宮、祈りの家」金田幸男牧師

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聖書:マルコによる福音書11章

15 それから、一行はエルサレムに来た。イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いしていた人々を追い出し始め、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくり返された。

16 また、境内を通って物を運ぶこともお許しにならなかった。

17 そして、人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしてしまった。」

18 祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、イエスをどのようにして殺そうかと謀った。群衆が皆その教えに打たれていたので、彼らはイエスを恐れたからである。

19 夕方になると、イエスは弟子たちと都の外に出て行かれた。



要旨 

【エルサレムに入場】

 イエス・キリストはホサナと叫ぶ群衆と共に、エルサレムに入場されました。キリストは預言者ゼカリヤの言うようにろばに乗って行かれます。その日はベタニヤ村に戻られ、翌日、再びエルサレムに向かわれます。途中季節外れではあるが実を結んでいないいちじくの木にキリストがのろいの言葉を投げかけられたという記事が挿入されます。

 

【宮清め】

都に入っていくのはキリストとその弟子たちだけで昨日の群衆はもういません。弟子たちと神殿に入って行きますが、そこでキリストがなさった働きを「宮清め」と一般に言われています。ヨハネ福音書にも宮清めの記事が記されていますが、キリストの公的な働きの初期に属します。マタイ、マルコ、ルカ(共観福音書)はその終わりに属します。同じ記事なのに時期が違うのでどちらかが間違いという説もありますが、わたしは二度宮清めがあったと解釈しています。

 

【キリストの怒り】

ところでここに記されているキリストの行動はまことに過激というか、乱暴なものです。神殿で物を売り買いし、両替をしている商人の机や椅子をひっくり返すというものです。明らかにキリストは暴力を使ったというので、あの、おやさしい、心温かいキリストがそんなことをするとは、と驚く人もいるかもしれません。それ以上に、キリストは怒りをあらわにされています。しかし、福音書において、しばしばキリストが怒り、憤ったということが記されています。

 

マルコ10:14では、祝福をしてもらおうと連れてこられた幼児たちを阻もうとした弟子たちにキリストは憤られます。また、ヨハネ11:33では、ラザロという人物が死に、多くの人たちが嘆いているのを見て、激しく憤ったと記されます。その他にもキリストの怒りが爆発する場面が描かれています。キリストは怒る方でした。

 

 怒りはどのような場合に起きるのでしょうか。まず正義が損なわれているところだろうと思います。特に社会的正義と言われるものが無視されたり、蔑ろにされているときにだれもが怒ります。あるいは思っていること、願っていることが実現しないとき人は怒ります。あるいは大きな悲しみに圧倒されるとき激しい怒りにさらされます。

 

 キリストは何を怒られているのでしょうか。

 従来、二つのことが言われてきました。ひとつは、神殿で商売が行われていた点です。神殿にはたくさんの巡礼が各地から上ってきます。神殿では犠牲がささげられます。時期は過越の近くでしたが、過越には子羊がささげられます。また、神殿ではいろいろな儀式が行われています。そのとき、牛や山羊のような家畜が犠牲として屠られました。貧しいものは、鳩のような鳥も変わりにささげられることが認められていました。このような犠牲の動物を遠方から連れてくるのはたいへんです。

 

【両替と宗教的指導者】

そこで、このような家畜を売る商人たちが神殿の庭で店を開いたのです。また、当時はローマ帝国が発行した貨幣が使用されていましたが、その表面には皇帝の像が刻み込まれていました。イスラエルは出エジプト30:11にあるように、イスラエルの男子は年に半シェケルの銀を神殿税として収める義務がありました。当時、人間の像を刻んだローマの貨幣が通用していましたが、神殿税とすることはできません。像が描かれているだけでも忌避されるべきですが、ローマの皇帝は神として崇められてもしていたからです。これでは、神殿にささげられる貨幣としては不都合なので、これと神殿で用いられるシェケルの貨幣と交換する必要がありました。そこで両替商人が神殿で両替の商売をしたのです。当然、犠牲となる動物も市価よりも高く売られたでしょうし、両替商も不当な交換比率を設定していたのです。商人は、神殿を利用して多額の利益を獲得しました。そして、その一部は神殿の祭司長たちに上納金として吸い上げられたはずです。このような仕組みをキリストはよくご存知で、不当な利益を食い物にする連中に対して激しく怒られたのだというのです。今もそうですが、宗教は不当な利益を引き出す口実を作り出しやすいものです。キリストは私服を肥やす宗教的指導者を弾劾しようとしていると読み取ることができます。

 

【異邦人の庭】

 もうひとつの理由は、商売が行われていた場所のゆえです。神殿には三つの庭がありました。第一は「祭司の庭」で、ここは神殿の中枢部を占め、祭司だけが入ることが許されてしました。なかでも至聖所は一年に一度だけ大祭司が入ることが許されている聖なる場所でした。その隣に、「イスラエルの庭」と呼ばれる庭がありました。ここはイスラエルの成人男子だけが入れました。そして、さらにその外側に「異邦人の庭」がありました。商売人が商売をしていたのはここです。

 

【異邦人が神殿で祈りをささげるとき】

イスラエルの女性、あるいは、改宗した異邦人がここで祈りをささげることができたのです。ところがキリストはイザヤ書56章7を引用されて、すべての異邦人が神殿で祈りをささげるときが来るはずだといわれます。ところがその神殿の異邦人の庭は商人たちが商売をするところと化しています。いけにえにする犠牲の動物の鳴き声でそこは喧騒が渦巻くようなところになってしまっていました。また、両替をするものたちの取引の声が張り叫ばれていました。

 

マルコはこの場所が通行人に近道にもされていたと記しています。これでは祈りどころではありません。祈りはむろん騒がしい場所でもできるでしょうけれども普通は静かな場所で祈りがささげられるべきなのです。ところが祈りの場所が騒々しいところになってしまっています。イザヤの預言にもかかわらず、神殿でイスラエル以外の人間が祈るために備えられているところで祈れないという状況が生み出されていました。

 

エレミヤ書7章11のいうとおり、ここは厳粛な祈りの場所ではなく、強盗が割拠しているような場所に成り下がっているのだとキリストは語られます。本来信心、経験の聖なる場所がいまや喧騒の場所となっている、キリストはこれを怒られたのだというのです。

 

【神殿】

 キリストがこのような理由で怒られたことはありえます。他にも、大王と呼ばれたヘロデが建設した第三神殿の壮大さをキリストが怒っておられるという理解もあります。いうまでもなく第一神殿とはソロモンが建設したものです。それはバビロンの手で破壊されてしまいます。捕囚の地から帰国したイスラエルは、ゼルバベルらに指導されて再建を企てます。苦心してようやく神殿を再建しますが、それが第二神殿で、ソロモンの神殿に比べて見劣りのする建物でした。ヘロデは権力の座に着くと、他の地域の異教神殿に劣らない壮大な建築物を建てようとしました。紀元前20年ごろから開始され、紀元後64年ごろになって完成したと言われます。その後数年してローマとの戦争でこの神殿も破壊されてしまいます。キリストが見られた神殿はまだ建築中であったかもしれませんが、それでも規模や構造ではどこにも見劣りのしない建築物でした。しかしながら、この神殿はヘロデの権勢を誇るための政治的な意図で建てられたものです。

 

キリストはこのような意図に怒られたかもしれませんが、聖書ではキリストは第三神殿を非難された気配は見い出されません。

 

【信仰の欠如】

 キリストは何に怒られたのか。もうひとつの可能性があると思います。この宮清めの直前いちじくの木を呪われました。いちじくの木はイスラエルを比ゆ的にしまします。そのいちじくは本来3月4月ごろでは実を結ぶはずもありませんが、だからこそ常識に反することが起きると信じる信仰が求められるのです。その信仰は、山を移すほどの信仰でもあります。ところがキリストはイスラエルにその信仰が欠如していることをいちじくに託して厳しく叱責されます。

 

 キリストが神殿で見たのは信仰の欠如でした。前日、群衆はホサナと叫んでキリストの入場を歓迎しました。しかし、翌日そのような声は聞こえてきません。潮が引くように熱狂は薄れていきました。キリストはマラキ書3章1-3の預言を心に抱いておられたのではないでしょうか。

 

見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は/突如、その聖所に来られる。あなたたちが喜びとしている契約の使者/見よ、彼が来る、と万軍の主は言われる。だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。彼は精錬する者、銀を清める者として座し/レビの子らを清め/金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を/正しくささげる者となるためである。」

 

【真の過越の子羊】

キリストはメシヤ=救い主として神殿に来られました。そのメシヤは過越の時期にこられました。過越とはかつてイスラエルがエジプトで奴隷状態にあったとき、神はモーセを立てて約束に地に脱出させられます。脱出の夜、神はイスラエルの子羊を屠りその戸を玄関の門に塗れと命じられます。そうしないものに神のさばきが下されます。イエス・キリストはその過越の子羊があらかじめ示していたまことのメシヤとして来られました。そして、そのキリストの犠牲によって、イスラエルの罪は贖われます。あがなわれたものは罪の結果である死から免れ、神の国に至る特権を与えられます。

 

 過越はまさしくこのような神の救いのみわざを覚えるときでした。ところが、今どうなっているか。大半の巡礼者たちは神殿の庭の商売人との交渉で大騒ぎをしています。とてつもない多くの群衆がこのとき各地からエルサレムに来ます。一見すればユダヤの宗教の盛んさを見せつけるものです。実際それは見掛けの繁栄に過ぎません。いちじくの木が豊かな葉を茂らせているのと同様です。しかし、外見だけにとどまります。過越がどんなに盛大に守られていてもそこに神の赦しに対する信仰が欠けています。まさしく信仰の欠如がそこに見い出されます。キリストはこの信仰の決定的な欠落を見抜いておられるということができるのではないでしょうか。そして、そこには過越の祭が指し示している神の大いなる業(わざ)はかき消されています。これこそキリストが厳しい目で見られている問題の根源ではないかと思います。(おわり)


2015年11月08日 | カテゴリー: マルコによる福音書

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