2014年6月15日説教 「福音を知らせるきっかけ]金田幸男牧師

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2014615日 説教「キリストを知らせるきっかけ」金田幸男牧師

 

聖書:ガラテヤの信徒への手紙4

12 わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください。兄弟たち、お願いします。あなたがたは、わたしに何一つ不当な仕打ちをしませんでした。

13 知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。

14 そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いであるかのように、また、キリスト・イエスででもあるかのように、受け入れてくれました。

15 あなたがたが味わっていた幸福は、いったいどこへ行ってしまったのか。あなたがたのために証言しますが、あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してもわたしに与えようとしたのです。

16 すると、わたしは、真理を語ったために、あなたがたの敵となったのですか。

17 あの者たちがあなたがたに対して熱心になるのは、善意からではありません。かえって、自分たちに対して熱心にならせようとして、あなたがたを引き離したいのです。

 

 

 

 要旨

 

【ユダヤ主義者の影響】

ガラテヤに信徒たちはパウロから福音を聞いて信じました。ところがユダヤ主義者といわれる教師たちの言葉に取り込まれ、ユダヤ人がしているような宗教的習慣、例えば、ユダヤの暦の遵守、割礼の実践、食物のタブーなどを守らなければ救われないと思うようになりました。

 

つまり、キリストを信じるだけではなく、プラス・アルファが必要だと思うようになったのです。このようなガラテヤの信徒たちの変心はパウロをいたく失望させ、落胆させました。あなた方のために苦労したことは無駄になってしまったのではないだろうかと正直に彼の気持ちを語ります。ここからパウロは彼の経験に基づいて、個人的な思いを述べていきます。

 

 【パウロのガラテヤ伝道】

ガラテヤ地方へのパウロの訪問については使徒言行録に3回記されます。第1は、パウロの第1回伝道旅行の際、ピシディアのアンティオキア、イコニオム、ルステラ、デルベで伝道をしたことが記録されます。これらの町は広義のガラテヤと考えられます(13章以下)。

 

第2、第3は、使徒言行録16:6と18:23で、パウロがガラテヤ、フリギアを通過して旅行をしたと記されます。パウロははじめて福音をガラテヤで宣教したのは使徒言行録の記事のどれを指しているのか理解が違うところもありますが、第1回伝道旅行の際であるとすると、南ガラテヤ地方への伝道に当たります。あとの伝道旅行中であれば北ガラテヤ地方の伝道ということになります。

 

【体の弱っていること】

この解釈ですと、パウロが「体の弱っている」ことが何を指すか、使徒言行録に直接の言及がありません。パウロは2コリント12:7で「私の身にひとつのとげ」が与えられていたと言います。2コリント10:10では「実際に会ってみると弱々しい人に」見えたと記され、これらからパウロが目の病を得ていたと推論されます。

 

目がしょぼしょぼするような病であれば、見栄えが悪く、印象もよくなかったでしょう。しかし、この解釈よりも第1回伝道旅行の際、使徒言行録4:13が該当すると思われます。リステラの町で、「ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやってきて、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んだものと思って、町の外へ引きずり出した。」とあり、パウロはひどい目にあいましたが、パウロはもう一度リステラの町に入り、翌日はデルベの町に向かいました。

 

パウロはおそらく傷だらけで、全身包帯を巻いていたのではないかと思います。顔面は腫れ上がり、血だらけで、見るも無残な状態であったと推測します。生々しい傷を負い、よたよたと歩いていたのではないでしょうか。見栄えは最高に悪く、しかも、ユダヤ人のすさまじい乱暴は目撃されていました。一騒ぎがあったのです。

 

【ローマ帝国内でのユダヤ一神教】

当時のユダヤ人は、ローマ帝国から特別の許可を得てその信仰を守っていました。ユダヤ人の一神教信仰は、多神教世界では独善的だと思われることもしばしばで、そのために好意的に見られていたわけではありません。そのユダヤ教内部の争いです。はた迷惑に感じられたのではないでしょうか。ユダヤ人内部の争いがガラテヤの人々に持ち込まれ、騒ぎに関係のない人たちまでもが巻き込まれてしまう恐れもありました。厄介な事件が起きたと思われても当然です。

 

【ガラテヤの信徒たち】

ガラテヤの信徒たちとパウロの出会いはこのような状態の中で起きたのです。ところが、ガラテヤの人々はパウロを決してひどい扱いで接しませんでした。その逆です。彼らはパウロに不当な仕打ちをしませんでした(12節)。それどころか、まるで神の使い、天使のように受け入れ、それ以上に、キリスト・イエスででもあるかのように(14節)、パウロを見たのです。また、パウロのためにはその目を抉り出してもよいとさえ思うほどであったと記します(15節)。このようにパウロを厚遇しました。

 

【パウロを敬愛】

パウロは最悪の条件の中で伝道しました。彼は傷つき、体力もなく、おそらく口も充分聞けないような有様であったでしょう。ガラテヤ人の印象は悪かっても当然です。パウロを嫌い、彼に近づこうとしないとしても当たり前でありました。しかし、実際は反対でした。ガラテヤの人たちはパウロを親切に、敬愛をもって接しました。

 

パウロに対してガラテヤの人々は深く大きな敬愛の念を示しました。伝道者にとって最高の喜びは単に誉めそやされること、あるいは、特別待遇を受けることなどではありません。敬意と愛情をもって接してもらえることです。ガラテヤの人々はまるで天使であるかのように、それ以上にキリスト・イエスであるかのようにパウロを受け入れました。これ以上の、伝道者に対する敬愛の表現はありません。その感情表現は言葉にはなりません。

 

どうしてこんなふうにガラテヤの信徒はパウロと出会い、そしてパウロを敬愛したのでしょうか。パウロの風貌はそのとき見るも無惨な様子でした。パウロ自身、弱さの中にありました。気力、体力が衰え、伝道するどころではなかったとしても不思議ではない、そういう最悪の状態でしたが、ガラテヤの人々はパウロを受け入れました。

 

私たちは伝道するときに、伝道する側も最良の条件でなくてはならないと思います。準備万端、あらゆる備えをした上、気力の充実し、心構えも言うことなし、というような状態でこそ伝道ができるのだと思ってしまいます。あるいは、伝道者として最高の状態で伝道する、雄弁であり、言葉巧みであり、学力あり、学問もある、闘志もあり、熱心も誰にも負けない。勇ましく、勇気があり、困難など何とも思わない剛毅さがある、等々。そのようでなければ伝道できないと思うでしょうが、パウロは正反対でした。最悪の条件下でも伝道しました。息も絶え絶えとは行かなくてもパウロは伝道するに当たって少なくともベストコンディションではありませんでした。私たちも伝道する場合、好条件を整えてはじめてできるというものではありません。

 

 ガラテヤのキリスト者はどうしてパウロをこのように厚遇し、親しく敬愛の念の駆られて接することができたのでしょうか。

 

【福音のゆえに】

それはひとえに彼が語った福音のゆえです。これ以外に考えられません。ガラテヤの人々にパウロは福音を語りました。別の哲学や高遠な思想を語ったわけではありません。福音はこのガラテヤの信徒への手紙の主題でもあります。信仰によって義とされる。ただ神の恵みによって神の国を継承し、神の子とされる。これが彼の語る福音でした。

 

キリストによって罪赦され、贖われ、救われます。ガラテヤの人々はそれまでギリシアと土着の宗教の混交である信仰の中で生きていた「異教徒」でしたが、福音の恵みを知らされました。そのとき、パウロに対して好感を示し、純粋な気持ちで受け入れたのでした。感謝と喜びに満たされたのです。彼らはそのとき幸福だと思いました。キリストにあって救われる喜びこそ幸福のきわみと確信しました。

 

福音こそ、ガラテヤの信徒がパウロに示した敬愛の理由です。パウロが立派で、今まで聞いたことのないような高級な宗教講話をしたから敬愛したのではありません。パウロが信仰をこの世的な幸福の手立てであるかのように語ったからこそ敬愛したのではありません。むろん愉快な話で、誰もが分かるような、しかし内容のないくだらぬお話に感動して敬愛したのではむろんありません。

 

ただパウロが福音を語ったからこそパウロを受け入れ、認め、敬愛したのです。それ以外の理由はありません。弱さの只中で、パウロがガラテヤの人々に受け入れられたのはその福音のゆえです。

 

パウロとガラテヤの人々とは初対面であったかもしれません。その可能性が大きいと思います。パウロが語った福音は決して難解ではなかったでしょう。単純そのものであったと思います。しかし、それこそ救いをもたらすよき知らせと聞かれたのでした。

 

 今日でも同じことが言えます。私たちは言葉巧みに、相手が受け入れやすいように、また心理的抵抗がないように適当にゆがめたり、差し引いたりしたような福音で、相手から敬愛を期待できるのではないと心しておかなければなりません。人の心を巧みに誘導する説教者が敬愛を受けることはありません。朴訥(ぼくとつ)と、時には舌が回らないような下手なしゃべり方しかできなくても、福音の真理を明確に語ろうとしているところで敬愛を獲得することができます。

 

 【パウロの敵】

しかし、ガラテヤの信徒は今やパウロの敵になってしまいました。なぜか。ユダヤ主義キリスト教の教師がガラテヤの信徒の中に入ってきて、パウロとの間を切り裂き、自分たちの見方にしようとしました。

 

その結果、ガラテヤの異邦人キリスト者との間に楔が打ち込まれ、パウロとは相反するようになりました。彼らの意図は不純です、パウロから引き離し、自分たちのほうの人数を増やすためです。

 

こうして、パウロからガラテヤの信徒は遠ざかりました。パウロはむろん初期の信仰を何とかして思い起こさせようとしています。福音を信じたときの信仰をもう一度思い起こすようにしています。

 

【はじめの信仰に立ち返れ】

ガラテヤの信徒は初期の信仰では物足りないと思ったのです。幼稚すぎ、単純だと思いました。もっともっと感覚的に充実したもの、あるいは知的にも、霊的にも高級な教説でなければならないと思い、おそらく禁欲的なものこそがそれだと思ったのでしょうか。しかし、そうすることでパウロに敵対してしまいます。はじめの信仰を忘れるな。パウロはこれを強調しようとしています。最初信じた福音に立ち戻るように願います。

 パウロは彼とガラテヤの信徒の最初の出会いを思い起こさせようとするのはこのためです。パウロから伝えられた福音こそ宝物なのです。(おわり)

2014年06月15日 | カテゴリー: ガラテヤの信徒への手紙

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