2013.3.3.説教「キリストを模範とせよ」ウイリアム・モーア宣教師

2013.3.3.説教「キリストを模範とせよ」ウイリアム・モーア宣教師

 

聖書:フィリピの信徒への手紙2- キリストを模範とせよ-

1 そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、"霊"による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、2 同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。

3 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。

5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。

6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、

7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。

9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。

10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、

11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

 

説教要約(文責 近藤)

 

【キリスト者とはイエスに倣う者】

この世にある間、クリスチャンは一つの目的があります。それは救い主イエス・キリストに似ることです。クリスチャンとはキリストに似る者です。キリスト者はイエス・キリストに似ることが父なる神の御旨であって神を喜ばせることを知っています。

 

今日の御言葉は私たちがどうすればイエスに似るかを教えます。

主イエスに似ようとすれば、私たちは主と同じ態度をとらねばなりません。

 

パウロはピリピのクリスチャンに語りました。5節「 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです」

原文は「キリストと同じ考え、同じ態度をとりなさい」となります。

イエスの価値観と行動を模範とすることで私たちは主に似て行きます。

 

イエスに似るために今日は3つの態度を覚えましょう。

 

【愛をもって人に仕える】

1、主イエスと同じように人を、隣人を愛さねばなりません。

隣人を愛することは次のように言われます。

マタイによる福音書 712 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。

 

私たちは主イエスを模範として良いときにもそうでないときも積極的に人に仕えます。

 

例えば友のない者の友となり、職場の弱い者に手を伸ばし、物質的に困っている者を助け、病人を慰め、人の悲しみも慰め、希望のない者に希望を与えることはキリスト者の使命です。

主イエスがこの世を歩まれたとき主はこれら全てにおいて人に愛の業をなさいました。

主イエスに似たい私たちもそうすべきです。

 

【相手を自分よりも優れた者とする】

今日の御言葉に更にこう書かれているキリストの精神を学びましょう。

3節「 何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、4 めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」。

 

主イエスと同じように自分の立場と自分の利益より相手のことをより大事にし、そのうえ相手を自分より優れた者とすることです。それは難しいことです。私たちは本能的に自分の知恵、判断力、自分の正義感に自信があり、相手より優れた者として自分の価値を確認する者です。

相手の失敗、欠点をあげて喜び、こうして自分をそれらの人より良い人だと信じたいからです。

しかしイエスによると相手を自分より優れた者として心から尊敬すると、そうすることで私たちは精神が変わり主イエスに似てきます。

 

【トラブルの原因】

実に大抵のトラブルは自分が相手より優れた者とすることで生じます。

しかし逆に互いに相手を自分より優れた者とするなら、そして自分の都合と気持ちよりも相手のことを大事にするなら全ての問題は解決しお互い平和に暮らせます。

 

相手を自分自身よりも心より優れたものとして考え扱っていますか。この態度に立つなら、そうすれば私たちは主に似る者になり正しい道を歩んでいます。

 

続いて5節から見ましょう。

5 互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。

 

【奴隷のように】

私たちの模範である主イエスは全人類の為に僕になり、私たちに仕えるためこの世に来られた。

主は全能の神の身分があって永遠の昔から天国の全ての栄光を経験されたが、人に仕えるためすべてを捨て、人としてこの世に誕生されました。またこの世では良い条件のもとではなく貧しい植民地で貧しい家族に生まれ、権力も富もなく普通の人よりも謙って僕として生きられました。

ここで僕と訳された単語はは奴隷のことです。

人類の為に永遠の神主イエスは奴隷の身分を自ら進んでとって私たちに仕えるためにこの世に来られた。

 

【すべての人の僕に】

マルコによる福音書に主イエスのお言葉がこう記されています。 10章「42あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。43 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、44 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。45 人の子(イエス様のこと)は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。

 

主イエスは自ら進んで僕になられた。私たちも主に似たいなら進んでキリストのように人の僕にならねばなりません。

 

そうすることで主に似る者となり、この世に人生の意味と歓びを持って生きられます。

これはこの世の常識とは反対ですね。この世では人に仕えられることは幸せだと考えられています。しかし実際、人は仕えられるほど虚しく惨めになります。社会にその例がよく見られます。有名になりお金で人に仕えられると人生の意味は虚しく惨めになります。

 

そうでなく気が滅入ってきたら一番良い薬は人に仕えることです。人に仕えると、殊に自分の助けを必要とする人に仕えると、自分の問題を忘れて人生の本当の目的を悟るのです。

 

小さいことでも人に仕えるなら主に似ますので主と同様に僕の心をもって積極的にその道を探しましょう。

 

【謙遜を学ぶ】

2、次に主イエスに似たいものは謙遜を学びましょう。

 

6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず7かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。

 

「自分を無にする」とは原文では「自分を空っぽにした」となります。

 

【主イエスの洗足】

主は自分を守るため神の力を用いず、自ら進んで人としてこの世を生き、模範として身を低くして弟子の足を洗われました。

当時足を洗うのは奴隷の仕事でした。

主は弟子たちの足を洗うことで謙遜を教えられた。サンダルを履くので足がきたなくなって、家に帰るとそれを洗うのは奴隷の仕事でした。

主は弟子の足を洗うことで彼らに謙遜を示され人に仕えることを教えられました。

 

わつしたちは昔偉かった自分の立場を忘れず、まだ捨てられませんか。

これはすべて泡のようなものです。

私たちも社会的地位に関わらず主に倣って謙遜をもって謙って周りに仕えるなら主イエスに似る者になります。

 

【従順に神に従うこと】

3、最後は従順に神に従うことで主に似る者になります。

 

8 節「へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」

主イエスの使命は人の贖いとなって十字架で御自身の命を捨てることでした。

受難節にある私たちは主の最も重要な御業を学び、心に未解決の問題を十字架の主に委ねませんか。私たちが主の十字架を思うと許せない者があるでしょうか。

 

主の十字架の従順のお蔭で私たちの罪が許され、そのうえ私たちは神の家族に入れられました。

 

しかし主イエスに似たいのなら神に従わなければなりません。御言葉の教えを学び主と同じように毎日の生活にその教えを実行します。神の為に犠牲になっても従います。

 

それは私たちの使命であり、わたしたちの特権でもあります。私たちの全ての行動は私たちの愛する子供や孫や周りの人が見ています。私たちが行うことを彼らも学び同じように実行します。

 

【十字架の死に至るまで父なる神に従順であられた主イエス】

愛をもって人に仕えること、心から謙遜になること、従順に神の教えに従い実行することを主イエスに似る者は現します。主は私たちに仕え私たちに謙遜を顕し、そして私たちのために死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで父なる神に従順であられました。

 

どうか私たち一人一人も神の助けで全てにおいて主イエスを模範としましょう。主に段段に似ることは神を喜ばせ私たちにも平安と歓びの日を迎えることになるでしょう。(おわり)

CIMG0666.JPG

 

CIMG0667.JPG

2013年03月03日 | カテゴリー: フィリピの信徒への手紙

コメントする

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.nishitani-church.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/944