2013.3.10.説教「パンと杯」ウイリアム・モーア宣教師

2013.3.10.説教「パンと杯」ウイリアム・モーア宣教師

聖書:マタイによる福音書2626 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである」。27 また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。

28 これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。29 あなたがたに言っておく。わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決して、ぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」。

30 彼らは、さんびを歌った後、オリブ山へ出かけて行った。

 

【子羊の像】

あるドイツの教会にある庭に可愛らしい子羊の像が建てられています。この像が建てられた背景は意義深いものです。

ある日数人の職人が教会の屋根の修理をしていて一人が誤って足を滑らしました。そして高い屋根でしたから同僚の職人たちは転落した仲間の命はないものと思いましたが彼は何事もなかったように無事に生きていました。

彼が転落したとき丁度そこに草を食べている子羊がいたのです。その子羊の上に落ちた職人は命が助かりましたが、その子羊の命はありませんでした。

命を助けられた職人は彼が落下し子羊が亡くなった場所に子羊の像を作りその台座に「砕かれた子羊の記念に」という碑銘を記しました。

 

【最初の聖餐式】

今朝は聖餐式を守ります。

聖餐式は「世の罪を取り除く神の子羊」としてこの世に来られた主イエス・キリストの贖い死を覚え感謝するわたしたち教会の大切な聖礼典です。

今日お読みした聖書の箇所は主イエス様が制定された最初の聖餐式を記しています。

敵に渡される夜、主は弟子たちを集め、ユダヤ教の過越祭を強行しました。昔イスラエルがエジプトで奴隷であった時、神様はモーセを召してエジプトの奴隷の家からイスラエルを解放して故郷カナンの地に導かれました。

 

【過越祭】

神がエジプトのパロ王に下された裁きはエジプトの初児を皆殺されるという厳しいものでしたが、ただイスラエルの家には予め傷のない子羊を屠って入口の二本の柱と鴨井に子羊の血を塗るようお命じになりました。更に屠った子羊を焼いて食べるよう命じられました。

 

命じられた通りに入口に子羊の血を塗ったイスラエルの家はそれが印となり死の天使は過越してその家を神は守られましたが、そうでないエジプトの家は宮殿から奴隷の家まで人も動物も初児は死に絶えましたので頑迷なパロもイスラエルを去らせました。主なる神はイスラエル人がこの過越しの出来事を世々に記念すべき日、主の祭りとして祝うように命じられたのでイスラエル人にとって過越しの祭りは特に大事でした。

 

【過越祭の新しい意味】

主イエスはその晩、新しい意味を再解釈して過越祭に与えられたのです。過越しの食事の後、主イエスは驚くべきことをなさいました。いつもの儀式から離れて新しいものを制定されました。

 

26節にこう記されています。

一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べよ、これはわたしのからだである。また杯を取り、感謝の祈りをしてから彼らに与えて言われた、「みな、この杯から飲め。28 これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である。」と言われました。

 

過越祭の背景を用いて主は弟子たちに「私こそは新しい過越祭の真の子羊であって私の流す血こそがあなた方の罪を清めてあなたを救います」と教えられました。

 

主は言われます、「私の十字架の贖い死はあなたの全ての罪を赦し神の愛された子として永遠の命を与えます」。

 

【聖餐式】

主イエスはパンをとって裂き「これを食べなさい。これはあなた方の為に裂かれた私のからだである」と言われました。屠られた子羊の肉を食べるように命じられたイスラエル人と同じく私たちも「私のパンを食べるように」と聖餐式に招かれています。それは私たちの為に砕かれたイエスの体の表章シンボルになります。

 

これを食べることによってイエスの贖い死はわたしの為であって主の犠牲のお蔭で滅びに向かっていた私は救われ永遠に神の子として受け入れられます。

 

同様に杯から飲む葡萄酒は罪の洗いの為に流された主の血を飲むのです。神の敵であった私たちです。希望のない私たちの為に罪のない神の子羊は自ら進んで罪人の私たちの為ご自分の命を投げ出してくださいました。この血によって私たちは贖われ大きな希望と恵みが自由に与えられています。聖餐式の杯を飲むことによって主の愛と犠牲を覚え記念します。

 

【感謝の応答】

主の救いを覚えることによって私たちは自然にその賜物に反応します。神の御子の最高の犠牲のお蔭で贖われましたので私たちは愛と感謝と信仰をもって答えます。これはわたしたちの行動に影響します。たとえば神を愛すると言いながら隣人を憎むことは出来ません。神の赦しを経験したものは兄弟姉妹を赦すべきです。さらに神の物質的豊かさから多くを戴いたのなら貧しい者にむかって分かち合う責任があります。

 

その上イエス・キリストの永遠の救いを賜った者はこの福音を周りの者に伝える特権が与えられています。

 

愛する兄弟姉妹。聖餐式に際して私たちの為に流された主イエスの血を飲み砕かれた主の肉を食して私たちの救いを得させて下さった主の犠牲を心から共に記念したいと思います。

 

主の犠牲を心から記念し愛と感謝と信仰と憐れみをもってふさわしく主に答えたいと思います。

 

 

2013年03月10日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , 新約聖書

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