2012年9月2日説教「恐れを乗り越える」ウイイアム・モーア宣教師

2012年9月2日説教「恐れを乗り越える」ウイイアム・モーア宣教師
説教要約(文責近藤)

聖書;マタイ福音書8章23~27

23 イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。
24 そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。25 弟子たちは近寄って起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った。26 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。
27 人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。

【大いなる時の声】
聖書と福音とイエス・キリストと教会とキリスト教信仰は人間の心に対する恐れに対する大いなる時の声です。
恐れはわたしたちの大敵です。恐れが私たちに入ると私たちの生きる力、生きがい、信仰さえも奪われます。

【悪魔の業】
悪魔は恐れを用いて神と人との関係、人と人との絆を攻撃し失望させ人を孤独と無力に陥れます。地獄の悪魔はそれを大喜びします。

恐れの原因には難病になる恐れ、職場と収入を失う恐れ、裏切られる恐れ、愛するものを失う恐れ、孤独になる恐れ、事業の失敗、間違いをする恐れ、悪い癖に負ける恐れ、死の恐れがあります。恐れは神の子である真の人間性を損ない、悪魔はこの恐れをもって神の子である人間をを自分の物にしようと企みます。

誰でも恐れを経験しますし、今もこれと闘っています。

だれでも恐れの厳しい害を受けたはずです。諦める者もあります。

【豊かに生きるため】
しかし神の言葉に頼ると恐れがなく生きられます。死と恐れはイエスが征服したからですす。

主は言われた
ヨハネによる福音書10章10  盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。11 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。

私たちが豊かに生きるように主は恐れの力を克服しました。
十字架を通して主は私たちの恐れと死の力を克服し、勝利と自由に私たちを導きます。

今日の御言葉はそのことをはっきとりと教えます。もう一度今日の聖書箇所を聞いてください。(前記)

【ガリラヤ湖】
主はパレスチナを巡回して神の福音を伝え病を癒しました。主と弟子たちは主に徒歩でいきましたが、ある時は近道のためガリラヤ湖を船で渡りました。弟子の中には漁師がいました。ガリラヤ湖は琵琶湖の4分の1の大きさで、よく天候が急変しました。

24 そのとき、湖に激しい嵐が起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。

普通の突風以上の激しい嵐に漁師の弟子たちは死の恐怖に襲われました。
自分の力ではどうしようもない死を待つのみの人生の嵐というものは誰にでも襲います。

わたしたちは病気や死の恐れの嵐、家庭内の混乱の嵐、経済的混乱の嵐に襲われます。

湖に激しい嵐が起こり弟子たちは死の恐怖に襲われました。そのような時、主は何をされたか。主は眠っておられたとは普通の人には考えられないことですが、主はそれほどに疲れに襲われていたでしょう。

【主を責める弟子たち】
弟子たちは眠っている主を起こし、「主よ、助けてください。おぼれそうです」と言った、とあります。ギリシャ語原文によると「主よ、救え。死にかかっている」とパニックになって、マルコ福音書では「私たちが溺れてもかまわないのですか」と言い、主は弟子たちのことを構っておられないと訴えました。恐れは神の助けと愛を、神の力を疑い周りの者を責めます。

恐れは以前に経験した神の救いの力と助けを忘れ失望させるのです。

パニックになるとイエスの力を信じられなくします。

恐れは豊かな命を奪い、夢をもつこと、愛することなどを難しくします。

弟子たちは嵐を恐れ、自分の無力を悟ると、少なくとも主を起して「主よ助けよ、死にかかっている」と叫びました。

【主の叱責】
主イエスは言われた。「26なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。」なぜ同じ船に主がいるのにキリストの救いの力を疑うのか。
パニックになると信仰が薄くなり信頼している主さえ疑います。主は弟子たちを叱られたが、嵐をも叱られました。26節後半、

「そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。」

27節に弟子たちの反応が書かれています。

人々は驚いて、「いったい、この方はどういう方なのだろう。風や湖さえも従うではないか」と言った。

嵐の中で再び主に信頼を置くことができました。

主が同じ船に乗っていたので救いがありました。パニックにならなくても良かったのです。

【恐れるな】
主イエスの多くの話は私たちが恐れないように命じておられます。

ルカによる福音書12章
「4友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない。5 だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。
6 五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。
7 それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」

【思い悩むな】
マタイによる福音書6章25 「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

ヨハネによる福音書 14:1 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。

弟子たちは嵐の中で主を信じました。主がそばにいて同じ船におられるので恐れる必要はなかったが、しかし嵐があったからこそ彼らは救い主の力を信じました。

キリスト者にも人生の嵐があります。明日、あさって何が襲ってくるか。救い主と同じ船に乗っているなら主は嵐を鎮める力があります。わたしたちは主を信じ、どんなことがあっても恐れることなく豊かに生きることができます。(おわり)

2012年09月02日 | カテゴリー: マタイによる福音書

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