2012年7月22日(日)説教「神が選び、用いられる人とは」ウイリアム・モーア宣教師

2012年7月22日(日)説教「神が選び、用いられる人とは」ウイリアム・モーア宣教師

聖書 新約聖書コリントの信徒への手紙一1章26-31節

26 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。
27 ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
28 また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。
29 それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。
30 神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。
31 「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。


説教(要約・文責近藤)

【誇るものは主を誇れ】
神様は御自身の栄光のために誰も誇ることのない様に無力な者、身分の低い者、見下げられた者を用いたもう。「誇るものは主を誇れ」と書かれている通りです。

【教会リーダーの資格】
西谷伝道所では運営委員会のメンバーを選出しようとしています。教会(伝道所)のリーダーの資格と特性は大事なことですが、神が選び用いられる人とはどのような人でしょうか。

主イエスがこの世でお働きをされた時、だれを用いてなされましたか。
人間の常識に従えば地位のある者や才能のある者や富のある者を用いられるが神はごく普通の人を用いて御自身の御用をされるのです。今日の御言葉の26節、
「26 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。」

このように社会的地位とか学歴はなくて、ごく普通の人を神は選び用いようとされました。
27節~29節「27 ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
28 また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。29 それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。」

無きに等しい者を、あえて選ばれたので確かにそのお働きは神様の力のお蔭であると分かります。私たちの努力と知恵のお蔭でなく、神様の助けがなければ神様のお働きはできません。神様は御自身の栄光のために、ごく普通の人、私たちを用いられ御自身お働きをなさいます。

神様が用いられるのは知恵のある者、権力のある者、身分の高い者は必要ではないのです。
このようなものは却って邪魔になります。人は自身の栄光を求め、神の栄光は求めません。

私たちの力では西谷に会堂はできませんでした。全ては神様のお計らいでなりました。神様のお導きの中ですべての問題がクリアでき、素晴らしい会堂ができました。私たちは誇ることは何もできません。ただ主を誇ります。

【アイルグード先生】
人の力を神様は用いられません。
アイルグード先生は女性宣教師として中国動乱の時、かの地の孤児院の院長でした。戦火が近ずくと100人の孤児たちを安全な山の奥に避難させるために連れ出したのですが途中で女史はその遠い道のりに悲嘆にくれました。そのとき13歳の女の孤児がモーセが紅海からイスラエルを救った話をしました。しかしアイルグード先生は「わたしはモーセではない」と言いました。すると少女は「あなたはモーセではありませんが、神様は今も神様です」と言いました。奇跡的に無事に孤児たち助けた時、アイルグード先生は神様に栄光を帰すことができたのです。

【モーセの杖】(旧約聖書出エジプト記参照)
イスラエルがエジプトで400年間奴隷であった時、エジプトの王パロはへブル人が増えるのを恐れてへブル人の男の赤子をすべて殺すように命じました。モーセの両親はかわいい赤子が殺されるのは忍び難く幼子を葦の籠に入れてナイル川に流しました。それをパロの娘が拾い上げエジプトの王子として育てました。成人したモーセがあるとき同胞のへブル人がエジプト人に虐待されているのを見て憤慨しそのエジプト人を殺してしまいました。しかしこのことが知れ渡るとモーセはパロに殺されるのではと恐れてミデアンの荒れ野に逃げ込み羊飼いとして過ごしたのです。

【燃える柴の中から】
こうして40年が過ぎた時、羊の群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。そのとき、不思議な光景を見ました。彼が見ると、「見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」(出エジプト記3:章2~3)

近ずくと神は燃える柴の中からモーセに語りかけられた。
「今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」

モーセは神に言った。「わたしは何者でしょう。どうして、ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々をエジプトから導き出さねばならないのですか。」
わたしは羊飼いで何もできません。40年前にエジプトを逃げ出した私の言うことイスラエルの民は聞くはずがありません。

【あなたが手に持っているものは何か】
神様はモーセに尋ねた「あなたが手に持っているものは何ですか?」
いまさら40年間のことを言いません。現在手に持っているものは何かと神様は問われます。
それは羊飼いの杖です。それは40年間の苦労のしるしになりました。その杖を神様は用いられた。

その杖を地に投げさせると杖は蛇に変わり、手を伸ばして、尾をつかむと、それは手の中で杖に戻った。

モーセは神の言葉に従いパロの前に出ました。その杖を神様は用いられました。この杖でパロの魔術師たちと闘い彼らの蛇をモーセの蛇は呑込みました、更にこの杖で、エジプトに多くの災を負わせ、紅海を打つと水は割れ乾いた道が現れ、荒れ野では岩を杖で打つと水がほとばしり出ました。

神様は私たちにも聞かれます「あなたの手に持っているものは何か」と。
私たちは何も持っていないようでも、その持っている小さなものを用いられます。

今日の御言葉26節以下に聞いてください。

「26 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。
27 ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
28 また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。
29 それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。」

愛する兄弟姉妹。
神様は私たち一人一人を用いたいのです。小さいことでも御自身の協力者として私たちともに働きたいのです。その使命は私たちの目的と歓びのためです。その使命を果たすために私たちの弱さの代わりに神の力を与えて下さいます。神様は神の力で働こうとする者一人ひとりを選び用いられます。(おわり)

2012年07月23日

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