2012年6月10日説教「嘆きを踊りに変え」ウイリアム・モーア

2012610日説教「嘆きを踊りに変え」ウイリアム・モーア

要約(文責近藤)

 

聖書:詩編30篇1~13

 

家族の物語

どこの家でもその家族の物語があります。私の家族にもあります。その物語の主人公は私ですが、その物語の記憶が私にはありません。と言うのも私はまだ1歳未満でした。両親は韓国の宣教師で朝鮮戦争のすぐ後のことでしたが、わたしはひどい高熱で大変危険な状態のようでしたので父親の運転で5時間の砂利の悪路を病院まで走らねばなりませんでした。漸く明け方に病院に着いたのですが、その時には不思議に熱はさがって病院の先生は何処も悪くないと言いました。両親は大喜びで家路につきました。

 

ダビデ王の病気

ある時ダビデ王は病気で死にそうでした。ダビデは激しく神に祈りました。主は憐れみをもってダビデを癒してくださいました。

ダビデは今日の詩編302節~4節のように感謝しました。

 

2 主よ、あなたをあがめます。あなたは敵を喜ばせることなく/わたしを引き上げてくださいました。3 わたしの神、主よ、叫び求めるわたしを/あなたは癒してくださいました。4 主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ/墓穴に下ることを免れさせ/わたしに命を得させてくださいました。」と神を崇め、自分の回復を公に証ししました。

 

ダビデは墓穴の手前で主の憐れみゆえに命を守られました。私たちも同じような苦しみにあった時、主から助けられた経験があるでしょう。その時ダビデのように喜びの証をします。

ダビデは詩編30篇「5 主の慈しみに生きる人々よ/主に賛美の歌をうたい/聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。6 ひととき、お怒りになっても/命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも/喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。」

と自分の体験を証しました。

 

ダビデはその生涯に多くの苦しみを体験しました。その中には自分の罪に原因するものもありましたが、しかしそこに神様の慈しみと憐れみを体験しました(6節)。神の恵みは彼から離れませんでした。

 

足を折られた羊

ある若者がスイスの山に旅したときそこで羊飼いと羊の群れを見ました。その羊の群れのなかに1匹の足を折った羊を見ました。青年はどうしてその羊は足を折ったかと尋ねました。羊飼いは答えました。実はわたしがその足を折りました。なぜならこの羊は羊飼いの言うことを聞かずに危険な崖淵にたびたび行き崖から落ちそうになりました。また他の羊までもその後を追いかけるので危険でしたと羊飼いは答えました。

若者が翌日餌を与えようとすると餌を欲しがらず却って彼に噛みつきかかりました。しかしその後に餌を与えると喜んで餌をたべ舌で彼の手をやさしく舐めました。

この羊は苦しみから服従を学びました。苦しみを通し、懲らしめを通して神は私たちを御許に立ち返らせます。

 

イザヤの預言

イザヤ53章4~6「4 彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。5 彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。6 わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。

これはイエス・キリストの預言です。よい羊飼いであられる主イエス・キリストは私たちに代わって罪を負われられました。

ダビデは元気な時は7節のように言いました。

7 平穏なときには、申しました/『わたしはとこしえに揺らぐことがない』と。」傲慢になり、神のお蔭を受けていることを忘れました。しかし8節後半のようにパニックになり恐怖に陥ります。

8しかし、御顔を隠されると/わたしはたちまち恐怖に陥りました。」

 

悔い改め

そこで彼は自分の救いの源を覚え、自分の罪と、弱さを認めて祈ります、

9 主よ、わたしはあなたを呼びます。主に憐れみを乞います。

10 わたしが死んで墓に下ることに/何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげ/あなたのまことを告げ知らせるでしょうか。11 主よ、耳を傾け、憐れんでください。主よ、わたしの助けとなってください。」

 

嘆きを踊りに変え

彼ダビデが主の癒しを求めるのは神の証人となるためでした。彼は癒されると神殿に詣でて救いと力と愛の源である神にこのように歌いました。

12 あなたはわたしの嘆きを踊りに変え/粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。

13 わたしの魂があなたをほめ歌い/沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、主よ/とこしえにあなたに感謝をささげます。」

 

わたしたちもダビデのように、御子イエス・キリストによって実現した救いと与えられた聖霊の恵みによって、神と隣人に仕える必要な知恵と力を与えて下さる神にとこしえに感謝を捧げましょう。(終わり)

2012年06月11日 | カテゴリー: 詩篇

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