「再臨を待ちながら」ウイリアム・モーア2011.7.31

ルカによる福音書12章35−40

 

【はずれた預言】

今年の春の事ですが、ハロルド・カンピングと言うアメリカ人のラジオ放送牧師がイエス・キリストの再臨の日を預言しました。5月21日を「最後の審判の日」と預言し、その日、地震が発生し、信者は天国に召されるが、そうでない人は取り残され、数ヶ月にわたって世界の破壊に巻き込まれるというものです。カンピング氏は自分の独特な聖書の解釈に基づいて色々な計算をしてから、その再臨の日が悟られたと言いました。

 

実は、カンピング先生は1994年にもイエス・キリストの再臨を預言し、誤っていましたが、今年の5月21日の預言について、「いかなる疑いの影もなく成就する」と自信一杯説きました。全国のラジオ放送だけではなく、多くの広告欄で、インターネットも用いて、自分の預言を広く発表しました。

 

言うまでもないが、5月21日は来て去っても預言通りになりませんでした。ですから、カンピング先生は今もう少し勉強を続けて、将来、もう一度イエス・キリストの再臨の日時を預言するでしょう。

 

【イエス・キリスト御自身の預言】

イエス・キリスト御自身が自分の再臨をはっきりと預言しました。マルコのよる福音書に主はこうおっしゃいました。「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子(すなわち、イエス・キリスト御自身の事)が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」(13章24−27)

 

主イエスは必ずまたこの世に降って下さいます。二千年前の御自分の降臨の場合、無力の赤ちゃんとしてこの世に入られましたが、再臨の時、力と栄光に包まれ、皆が分かるようにもう一度いらっしゃいます。イエス様は間違えなく、きっとこの世に戻って下さいます。

 

しかし、その日はいつになるのでしょうか。私達は何よりもその時が待ち遠しく、知りたいですね。カンピング先生と同じように神の御子の再臨の予定日が悟りたいのです。

 

その予定日について聖書の教えは何でしょうか。実際に今日与えられた御言葉に主イエス・キリストは御自分の再臨の時についてはっきりと教えて下さいました。その個所をもう一度聞きながら再臨の日時についての事を覚えましょう。

 

ルカによる福音書12章35−40   「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕をしてくれる。主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。このことをわきまえていなさい。家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」

 

【「思いがけない時に来る」】

やはり、私達人間には再臨の時刻が悟れません。計算する事も出来ません。「思いがけない時に来る」とイエス様は迷わずに約束しました。ですから、その日を預言しようとする人々は皆誤っています。彼らは主イエスの明確な教えに逆らっているから、聞いてはいけません。

 

【目を覚ましている僕】

時間が全然分かっていないのですが、私達は必ずやがて来る主の再臨を待っています。しかし、どう言う信仰と態度を持って待つべきでしょうか。今日の御言葉にはイエス様は私達にその大事な事を教えられます。

 

与えられた個所は主に「目を覚ましている僕」と言う主イエスの譬え話に形成されています。もう一度聞いて下さい。

         「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕をしてくれる。主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸 いだ。」 

 

【婚宴】

この譬え話の背景を少し説明します。イエス様の時代の婚宴、つまり結婚の披露宴は結構長くなりました。特に、その家族の豊かさによって長くなり、二日、三日間ほどの婚宴がありました 。更に、 婚宴のお客さんは都合と気持ちに従って、途中で帰ったり最後まで参加したりしました。その故に譬え話の僕は主人の帰り時間が分かりませんでした。それにも関わらず彼らはずっと休まずに主人の帰りをよく辛抱して待っていました。

 

【腰に帯を締めて】

そして僕たちは腰に帯を締めて待っていました。その時代の人々は働く間、外側の衣を腰まで上げて、そこで締めました。そして、仕事が終わると衣を下ろしました。譬え話の僕は深夜まで待っても腰に帯を締めて、働く姿勢を守りました。

 

【ともし火を灯し】

更に、彼らは主人の帰りの為に、続けてともし火を灯しておきました。手間がかかっても明かりに油を注いで、照らし続けました。ですから主人はいつ帰っても僕は準備が出来、直ぐに戸を開ける事が出来ました。そして、主人がやっと現れると、待っている僕たちは喜んで彼を迎えいれます。更に、主人は忠実な僕の姿を見ると、感謝の気持ちを現す為に、彼らに仕えて御馳走で持成しました。

 

【忍耐・辛抱して待つ】

この譬え話から主イエス・キリストの再臨を待つ私達は何を覚えられるのでしょうか。第一に、私達 は辛抱して根気強く待つべきです。現代を生きる私達は毎日の生活においてもあまり待ちたくはありません。インスタントラーメンと自動販売機の飲み物を頂き、コンビニで買い物をし、ファーストフード・レストランで食事をとります。ある人々は車を運転すると信号待ちを嫌がり、信号を無視します。

 

また、人と会う約束をすると、5分、10分を待たせたらいらいらします。昨日、学校の理事会の為に高知へ行って、会議がちょっと長引く故、予定の帰りの列車に間に合いませんでした。次の特急は後一時間半だから、その田舎の駅で待つのはちょっと辛かったのです。

 

主の再臨を待つ私達は特に辛抱が必要です。その時刻が全く分からないからです。後1分で起るか、後100万年起るか知られていません。しかし、私達の再臨待ちは決して無意味な又、無駄な待ちではありません。神は待っている私達に成長させ、信仰を強くさせられます。そして、御自分との交わりを深められます。

 

妊婦は赤ちゃんの出産を待っています。しかし、その待つ日々は大きな目的があります。そう、赤ちゃんは妊婦のお腹で成長しています。そうしないと健康な子を生めません。だから喜びを持って、赤ちゃんを待つ事が出来ます。

 

同じように神様は今再臨を待つ私達の信仰を成長させ、御自分との交わりを豊かにさせて下さいます。愛する兄弟姉妹、その故に私達は辛抱して根気強く主イエスの再臨を喜んで待つ事が出来ます。

 

【時が満ちると】

第二に、私達は大きな期待を持って主の再臨を待っています。神は今主イエスの再臨の準備をしています。そして、丁度一番相応しい時、主は再びこの世にいらっしゃいます。主イエスの降臨は同じ事でした。ガラテヤの信徒への手紙にこう記されています。「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下(もと)に生まれた者としてお遣わしになりました。」(4章4)同様に、再臨も「時が満ちると」起ります。

 

【マラナタ「我々の主、早く来て下さい」】

期待をして再臨を待つ私達はただ何もしないで待つ訳ではありません。再臨を心から望んで楽しみに待っています。初代教会は再臨を期待して、早く来るように切に祈りました。実は、挨拶として「マラナタ」と言う表現がありました。その意味は「我々の主、早く来て下さい」。私達はどうでしょうか。再臨を心から期待し望んで毎日を生きていますか。それとも、「今でなくても良いから、ちょっと待って下さい」という態度ですか。私達キリスト者は主の祈りに、「御国を来らせたまえ」を祈りますから、再臨は今日でも起きたら最高の喜びであります。

 

皆さんは今晩でも主の再臨を迎える準備が出来ていますか。実際に起ると私達は驚くはずがありません。今晩主が私達を訪れるとしても慌てる事なく、溢れる感謝と喜びを持って主を迎えられます。愛する兄弟姉妹、我々は主の再臨を心から信じ、日々大きな希望を持って期待します。

 

【忠実に待つ】

第三に、私達は忠実に主の再臨を待っています。つまり、待ち時間が長くなっても、愛を持って、主イエスと隣人に仕えながら待っている訳です。特に、難しい時代、多くの事がうまくいってない時も、諦めないで続けて主イエスを信じ頼り、その戒めに従って生きるのです。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」そして、「隣人を自分のように愛しなさい。」そのように生きると、私達は忠実に再臨を待つ事が出来ます。

 

愛する兄弟姉妹、主イエス・キリストが約束しましたので必ず再びこの世にいらっしゃいます。ですから、私達は大きな期待を持って、辛抱強く、忠実に主に仕え、周りの者に仕えながら、その喜ばしい日を待ちましょう。(おわり)  

 

2011年08月05日 | カテゴリー: ルカによる福音書 , 新約聖書

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