「時をよく用いなさい」ウイリアム・モーア

聖書;エフェソの信徒への手紙5章15−20

 

【新しい年の玄関に】

新年おめでとうございます。今朝私たちは新しい年、主イエス・キリストの2011年の玄関に立っております。毎年、新年を迎える時、私たちは過ぎ去った年に「さようなら」と言い、大きな希望をもって新しい年の新しい出発を歓迎します。特に、私たちはこの際、積極的に自分の生活をよりよいものへと変えようとします。

【ある夫婦の新年の決意】

ある独り息子がお正月に、新年の挨拶をする為、自分の両親に電話をしました。お父さんが電話に出ると息子は尋ねました。「お父さん、聞かせて頂きたい事があります。新年の決意は何でしょうか。」お父さんは少し考えてこう答えました。「私の新年の決意は一年中、出来るだけあなたのお母さんを幸せにさせる事です。それが何よりの事です。」そして今度は、電話をお母さんに変わると、息子は同じ質問をしました。「お母ちゃん、あなたの新年の決意は何ですか。お父さんからは偉い決意があったのよ。」すると、お母さんは直ぐに答えました。「私の決意は、出来るだけお父さんが新年の自分の決意を守らせる事です。」皆さん、どうでしょうか。新年の決意がありますか。

 

【一月は英語でJanuary、ラテン語でヤーヌア】

西暦のカレンダーは古代のローマのカレンダーに基づいています。ですから、西暦のカレンダーの各月は、一月、二月、三月の代わりに、独特な意味のある名前があります。例えば、一月は英語でJanuaryと言いますが、この January はラテン語の単語ヤーヌアからきています。その意味は出入り口のドアです。すなわち、ドアを通して、外から中へ入ると、また、中から外へ出る事も可能です。つまり一月が新年の入り口でありながら、同時に私達は一月の観点から過ぎ去った年を振り返って見る事も出来ます。ですから、私たちは只今、過去と未来の間に立っています。ところで、ローマの伝説によりますと、ヤーヌスと言う一月の守護神は二つの顔を持っていました。一つの顔は前を見て、もう一つの顔は後ろを見ています。ですから、一月の始まりに私たちは後ろにいる過去を振り返って見ながら、同時に前の将来にも向けています。

 

【エフェソの信徒への手紙5章15−20】

この分岐点に立つ私たちには愛する神からの御言葉があります。今日与えられた御言葉を通して主は2011年に向けて私たちに重要なメセージを下さっておられます。もう一度よく聞いて下さい。エフェソの信徒への手紙5章15−20を朗読します。「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、私達の主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。」

 

【今は悪い時代なのです】

愛する兄弟姉妹、私たちは後ろにある2010年を振り返って見ると、何を見ますか。2010年に私たちそれぞれは色んな事があったと思います。そして、その全ては喜ばしい事ばかりではなかったはずです。ですから、今日の個所に使徒パウロは「今は悪い時代なのです」と言うと、私たちは大賛成です。言うまでもなく、現在の長引く不景気は私たち皆に影響します。ですから、多くの人々は経済の心配で現在と将来の為にも煩っています。更に、病で悩まされる者も多いし、病気の管理は難しくなります。また、年をとる程、老年のチャレンジが増えて来て、対処する事は困難であります。その上、ニュースを見ると、難しい問題ばかりを目の前に生々しく見ます。戦争や、温暖化や、環境汚染や貧困などは普通のようになってしまいました。ですから、私たちは使徒パウロと共に、「今は悪い時代なのです」と心から叫びたいのであります。

 

実は、パウロは今日の御言葉をエフェソにある教会に書いた時点でキリスト教信仰の故に監獄に投げ込まれました。キリスト教会が迫害され、ローマ帝国の当局がキリスト者を厳しく罰していました。さらに、人々は道徳的に堕落し、分別を失い、正しいものと不正なものが判断されなくなりました。その故に使徒パウロは、「今は悪い時代なのです」と宣言しました。

 

【酒に酔わず、むしろ、霊に満たされ】

しかし、どんなに悪い時代であっても、パウロは望みを失いませんでした。暗い独房に閉じ込められた彼は全てを諦め、失望する理由は十分ありました。「この悪い時代だ。何と言う人々だろう。もう駄目だ」と言える事も出来ました。しかし、パウロの態度はどうでしたか。彼は決して諦めませんでした。寧ろパウロはエフェソにいる兄弟姉妹に熱心にこう勧めました。今日の個所の18節から見て下さい。 酒に酔いしれてはなりません。それは身を持ち崩すもとです。むしろ、霊に満たされ、詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。そして、いつも、あらゆることについて、私たちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。」

 

【神に感謝】

私たちと共にいらっしゃって、支えて下さる神のご臨在の為に私たちは心から神に感謝します。2010年にどんな事があっても、神の御霊は私たち一人一人と共にいて生きる為に必要は力と知恵を与えて下さいました。更に、主イエス・キリストの贖い死のお陰で、私たちは神の赦しを受け、御自分の愛された子供になりました。そして、どんなことがあっても、誰も、何も、私たちをその神の愛から引き離す事がありません。2010年に神の恵みは私たちに十分であったので、あらゆる事について、主イエス・キリストの名により、私たちは父である神に感謝出来ます。その為に私たちは今朝ここに集って参りました。その為に感謝を持って「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌います。

 

【希望を持って】

新年の玄関に立つ私たちは去年を振り返って見て、神の多くの恵みと祝福を見る必要があります。しかし、それだけでは不十分であります。私たちは大きな希望を持ってこれからの将来を楽しみに待つ事も出来ます。何故なら、同じ変わらぬ唯一の全能の愛する神は私たちと2011年にも共にいて下さるので私たちは新しい年に前進する事が出来ます。実は、時間に限られていない神は私たちの前に2011年に入り、もう既にその道を準備して下さっておられます。

 

【時をよく用いなさい】

今日の個所の15節から17節までは、これからの2011年に生きる私たちに、とても大事な神の御言葉であります。もう一度お読み致します。「愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みなさい。時をよく用いなさい。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい。」

 

【この世の時間は限られている】

時をよく用いなさい」と教えられています。言うまでもなく、私たちのこの世での時間は限られています。主イエス・キリストを信じる者は永遠の命が与えられていますが、この世での期間が永遠と比べるとアッと言う間です。人間はこれからの天国での命を切に待ち望むべきです。その素晴らしさは想像出来ない程優れていますが、この世での時間は限られていますから、とても貴重です。私たちはこの世でただ時間を潰す訳ではありません。神様は私たち一人一人を計画的にお造りになり、大事な理由であなたと私をこの世に住ませて下さいました。それはこの世で主と隣人を愛し、仕える為です。ですから、この世での時間はとても貴重です。詩編にこう記されています。「生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」(詩編90篇12)

 

新聞の漫画で見ましたが、主役が自分にこう言いました。「沢山の使命を果たす為に神様は私をこの世に置かれました。しかし、与えられた仕事があまりに後れているので、僕は決して死ねない。」恐らく私たちも無意識的にこのような態度をとるのではないでしょうか。

 

愛する兄弟姉妹、私たちのこの世での時間が限られていますので、全ての日々を貴重な神様の賜物と信じ、主の御用の為にそれを用いたいと思います。ですから、私たちは主と隣人を愛し仕える機会を掴んで、具体的に与えられた使命を果たすべきです。ただ善意を持つ事では足りません。その善意を実行する必要があります。

 

【主の御心を悟りなさい】

これから2011年に生きる私たちに御言葉はまたこう記しています。「無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りなさい」と書いてあります。それこそが時と機会をよく用いる秘訣ではないかと思います。やはり、自分の為に神の御心を悟り、その御心を実行すると、私たちは主から与えられた使命を果たしています。

 

そして、自分の為の神の御心が悟れるように私たちは神の御言葉を行い、祈り、主との関係と交わりを大事にします。ヨハネの第一の手紙2章5−6にこう記されています。「神の言葉を守るなら、まことにその人の内には神の愛が実現しています。これによって、私たちが神の内にいる事が分かります。神の内にいつもいると言う人は、イエスが歩まれたように自らも歩まなければなりません。」

 

【新会堂設立に向けて】

愛する兄弟姉妹、私たちは教会としても、新年に主の御心が何であるかを悟りたいのです。神の導きだと信じますが、私たちは西谷伝道所の為に会堂を儲けるビションが与えられました。神の御心であるならば、年内に新会堂で礼拝を守りたいと思います。その会堂は伝道と宣教の道具として主に力強く用いられ、これからも多くの人々は福音を聞き、主イエス・キリストを信じ、御自分の教会に加えるようになります。このビションを抱きながら、共に主イエス・キリストの2011年に入りたいと思います。ですから、新年に私たちは愚かな者としてではなく、賢い者として、細かく気を配って歩みます。時をよく用います。今は悪い時代なのです。だから、無分別な者とならず、主の御心が何であるかを悟りましょう。(おわり)

2011年01月02日 | カテゴリー: エフェソの信徒への手紙 , 新約聖書

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