「心にクリスマスの賛美を」ウイリアム・モーア2010.12.12.

聖書;ルカによる福音書1章46−55

 

【乙女マリア】

神の御使いがマリアに現れた時、彼女はごく若い少女でした。その国とその時代の年ごろの娘とは13歳から16歳まででした。マリアの家柄や実家の富や力などを見たら、誰も彼女を認めなかったと思います。人の目から見れば、小さい町に育てられた小農の小娘のマリアはただ数え切れない、つまらない少女の中の一人でした。しかし、どなたか、一人が彼女を高く評価し、最も素晴らしい使命を与えて下さいました。それは神がこの世の救い主と御自分の独り子の母親になる為にマリアを選んだのです。

 

【受胎告知】

御言葉によりますと、唯一の全能の神こそが御自分の御使いをナザレという町に遣わされました。御言葉によりますと、「ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめの所に遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女の所に来て言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。』マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何の事かと考え込んだ。すると、天使は言った。『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わる事がない。』マリアは天使に言った。『どうして、そのようなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに。』天使は答えた。『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれた子は聖なる者、神の子と呼ばれる。』(ルカによる福音書1:28−35)

 

【処女懐妊】

愛する兄弟姉妹、あなたの15歳の時の事を覚えていますか。その時は完全な子供ではないし、勿論まだ大人でもありません。自分の成長に於いて中途半端のあんまり楽な時期ではないですね。その年、神の御使いが自分に現れ、マリアが受けた同じようなお話を聞かされたら、どう思われるでしょうか。多分恐れと共にパニックに陥るでしょう。神の力によって妊娠になり、 聖なる者、神の子と呼ばれる、支配は終わる事がないお方を産む」何と驚くべき事ですね。

 

【マリアの讃美】

また、マリアは周りの者の反応も恐れる理由が十分ありました。ヨセフと婚約したマリアは、彼を始め、また実家の者と近所の人々の反応も心配したはずだと思います。しかし、マリアはパニックに襲われるのではなく、逆にその少女は神に讃美の歌を歌い始めました。

 

クリスマスがだんだん近くなりアドベントの季節には私達も礼拝で主イエス・キリストの待降と降誕の讃美歌をよく歌います。例えば、先程讃美歌94番で私達は共に神様を賛美しました。

久(ひさ)しく待ちにし 主よ、とく来りて、

み民のなわめを 解き放(はな)ちたまえ。

主よ主よ、み民を 救わせたまえや。

 

あしたの星なる 主よ、とく来りて、

お暗きこの世に み光をたまえ。

主よ主よ、み民を 救わせたまえや。

 

ダビデのすえなる 主よ、とく来りて、

平和の花咲く 国をたてたまえ。

主よ主よ、み民を 救わせたまえや。

 

ちからの君なる 主よ、とくきたりて、

輝くみくらに とわにつきたまえ。

主よ主よ、み民を 救わせたまえや。

 

【マリアの讃歌】

少女マリアにも讃美の歌が与えられました。彼女は神が授けられた最も重要な使命を聞くと恐れなかったのです。むしろ、それを喜んで受け入れ、主を誉め讃えました。今朝、マリアの歌の学びを通して私達も心にクリスマスのよりもっと美しい讃美を歌いたいと思います。

 

先ず47節から50節を朗読します。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を恐れる者に及びます。」

 

マリアの歌は始めから終わりまで神に焦点があります。マリアは自分の心配と願いの代わりに、神の愛と憐れみと力に集中したのです。神の素晴らしい御業の為に主を心から讃美しました。

 

【自己憐憫】

愛する兄弟姉妹、ここで重要な霊的原理が教えられています。それは、私達は心から主を讃美するとき、自己に対する憐れみ、自己憐憫の余地がありません。実は、自分の悩みや問題や不幸などに集中する事は自滅的な行為です。自分が可哀想だと思ったら、その事に負けてしまう場合が多いです。

 

【シングルマザー】

考えて見ますとマリアは誰より自分が可哀想だと思う権利があったのです。若く、妊娠した、シングルでした。当時のユダヤ人の社会と律法はその状態の人を決して甘く見てくれませんでした。マリアは厳しい罰を受ける可能性が十分ありました。

 

【全てを神に捧げるマリア】

しかし、彼女は神を愛し徹底的に主に頼りましたので、自分の立場を忘れ、ただ神の恵みに集中したのです。主が小さい自分を用いて救い主の母親になる事は素晴らしい使命だと信じ、大きな喜びと光栄と思って、全ての事を神に委ねました。「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を恐れる者に及びます」とマリアは歌ったのです。

 

【思い悩むな】

私たちも主を讃美し、神から頂いた恵みを覚えると、マリアのように恐れと悩みを忘れ、主に頼りながら、積極的に生きる事が出来ます。主イエス・キリストはこのように言われました。「何よりも先ず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日の事まで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイによる福音書6章33−34)

 

クリスマスに向って私たちはマリアのように讃美の歌を歌いたいと思います。

 

【神の目的を讃美する】

マリアは讃美の歌だけではなく、目的の歌も歌いました。つまり、神様の素晴らしい目的について歌ったのです。51節から53節を見て下さい。「主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます」とマリアが歌いました。

 

【神の最高の目的】

ここでの神の目的は何でしょうか。それは「高慢な人を打ち散らし、力を振るう者を倒し、そして身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満た」す事です。神様はこの世を治めます。ついに御自分のすべての目的を達します。全人類の為に救いの道を開くために神は御自分の独り子を私たちに遣わして下さいました。それは神の最高の目的でした。

 

 

そして、その目的を果たす為に身分の低いマリアを用いる事によって彼女を高く上げたのです。最も大事な奉仕を頂いたマリアは神様の素晴らしい目的について歌いました。

 

【私たちの作られた目的】

愛する兄弟姉妹、神様は私たち一人一人の為にも目的があります。そして、その目的を果たす為に私たち一人一人に命を与えたのです。実は私たちのおもな目的は神との交わりです。つまり、神を信じ、神を愛し、神と共に歩みながら、この世で御自分のお働きに加える為に私たちは主によって創造されました。ですから、私たちの中心に主を置くと、私たちはマリアのように最高の恵みと祝福を頂くのです。

 

【神が人とともに住み】

そして、もう一つ主が私たちの中心にいると、その所には私たちのそれぞれの問題や悩みなどの余地がありません。私たちの不幸や事情や弱さなどの代わりに神御自身が私たちの中心に宿りたいのです。

 

【神中心の生活】

マリアは神を心から愛し、神中心の生活を歩んだので、神様の大きな目的に、大事な役割が与えられました。その目的の喜びに満たされ、神様に目的の歌を歌いました。そして、その歌を歌いながら、心強くなり、神の助けによれば、何でも耐えると言う確信を得たのです。私たち一人一人もクリスマスにそのような目的の歌を歌いたいのです。

 

【約束の歌】

最後に、マリアは約束の歌を歌いました。54節からお読みします。「その僕イスラエルを受け入れて、憐れみを忘れになりません、私達の先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに」とマリアを歌いました。

 

【アブラハム与えられた約束】

神はアブラハムとその子孫に素晴らしい約束をしました。それは創世記に記されています。その約束は、「私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人を私は祝福し、あなたを呪う者を私は呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」(創世記12章2−3)

 

神は実際に地上の全ての人々を、アブラハムとその子孫によって大きな祝福を与えて下さいました。と言うのは、2010年前にお生まれになったイエス・キリストはアブラハムの子孫でした。神はこの世の唯一の救い主をアブラハムの子孫としてこの世に遣わされました。そして、その救い主こそはマリアの息子イエス・キリストだったのです。

 

その神様の約束のお陰で私たち一人一人も大きな恵みが与えられました。それは罪の赦しと永遠の命です。主イエスはこのように言われました。

「神はその独り子をお与えになった程に、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16)

ですから、私たちもマリアのように心から約束の歌を歌います。

 

愛する兄弟姉妹、クリスマスに向います私たちは信仰に於いての先祖マリアと同様に素晴らしい歌が与えられました。ですから、心にクリスマスの讃美の歌と、目的の歌と、約束の歌を歌いたいと思います。(おわり) 

 

 

 

2010年12月12日 | カテゴリー: ルカによる福音書 , 新約聖書

コメントする

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.nishitani-church.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/520