「変わりゆくこの世の為の変わらぬ福音」ウイリアム・モーア2010.9.5.

聖書;ガラテヤの信徒への手紙1章1−10

◆挨拶

  1:人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ、

  2:ならびに、わたしと一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ。

  3:わたしたちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

  4:キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。

  5:わたしたちの神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン。

◆ほかの福音はない

  6:キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。

  7:ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです。

  8:しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。

  9:わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。

 10:こんなことを言って、今わたしは人に取り入ろうとしているのでしょうか。それとも、神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、何とかして人の気に入ろうとあくせくしているのでしょうか。

    もし、今なお人の気に入ろうとしているなら、わたしはキリストの僕ではありません。

 

【ビリー•グラハム】

ビリー•グラハムと言う有名な伝道者は長いキャリアに亘って多くの国々で福音を述べ伝え、数え切れない程の人々にイエス・キリストの素晴らしい福音を分ち合いました。現在グラハム先生は九十数歳になり、大分進んだパーキンソン病の故に自宅からあまり出られなくなりました。実は、グラハム先生の家は私の両親の教会と数キロしか離れてない所です。ですから、今年の春のある日曜日の朝、オバマ大統領がグラハム師にお見舞いに行った際、その小さい町は大変な事になったそうです。特別護衛官が大統領防護対策として教会の駐車所の出入口を塞いで、数時間の間、誰も出入り出来なかったそうです。やはり有名人が近くに住むとそう言う事があります。

        

【アインシュタイン博士】

グラハム先生に敬意を表す為に数年前に彼が生まれた故郷のリーダー達によって食事会に招かれました。一応パーキンソン病の理由で断り続けましたが、故郷の有力者がぜひいらっしゃるべきだと主張しましたので、招待に応じました。

 

素晴らしい食事会の時、グラハム先生は皆の前に立ってこのようなストーリを述べました。「今日の食事会にあたってノーベル物理学賞を受けた偉大な科学者アインシュタイン博士のお話を思い出します。

 

ある日アインシュタイン先生は列車で自分が住んでいたプリンストンと言う町から旅立ちました。間もなく列車の車掌が皆の乗客に乗車券の検査に来ました。アインシュタイン博士はズボンとワイシャッツのポケットに切符を探しましたが、なかなか探せませんでした。次は鞄を開き、必死に切符を見つけ出そうとしましたが、ありませんでした。席の下までも見ましたけれどもなかったのです。

 

車掌はその人が有名なアインシュタイン博士である事がすぐ分かってこう言いました。『アインシュタイン博士、私は先生が誰であるかよく知っています。先生はちゃんと切符を買った事を信じますので、心配しないでください。』そうすると、博士は『ありがとう』と言って席に着きました。

 

【行き先が分からない】

しかし、少し後で車掌はアインシュタインが座る所に戻った時、博士はまた席の下で切符を必死に探していました。その事を見ると車掌はもう一度言いました。『アインシュタイン博士、御心配なく、切符を探さなくても良いのです。私も皆も先生が誰であるかよく知っています。』

 

その話を聞くと博士は車掌に見てこう返事しました。『私も自分が誰であるかよく分かります。実は、行き先が分からなくなって、それを知る為に切符がいるのです。』」

 

グラハム先生はそのストーリを語ってから、続けてこう言いました。「今日私が着ているこのスーツを見てください。真新しいです。最近、家族の者が私に身なりのだらしない老人になったと言いますので、今日の食事会と、もう一つの行事の為にこのスーツを購入しました。実は、埋葬の時、私はこのスーツを着る事にしました。しかし、皆さんは私が亡くなったと聞いたら、この着ているスーツを覚えて欲しくはありません。その代わりにこの事を覚えて頂きたいのです。あのビリー•グラハムは自分が誰であるかがよく分かっていた事だけではなく、自分の行き先もしっかり知っていた事なのです。」

 

グラハム先生はイエス・キリストの贖い死のお陰で自分が神の愛された子供であり、更に、その救いの福音の故に永遠の行き先は天国である事がよく分かっています。つまり、グラハム先生は人類に与えられた神の愛と憐れみの福音を心から信じ、その約束のうちに生きています。

 

【福音の内容】

聖書には「福音」と言う言葉は非常に大きいな存在と重要性があります。直訳すれば聖書に於ける福音は「喜ばしいお知らせ」の定義がありますが、その喜ばしいお知らせの内容は人間の為の神の唯一の救いなのです。そして、その唯一救いの道こそは神の御子イエス・キリストです。簡単に言えば、完璧でなる福音とは、イエス・キリストは天から下り、罪人の私達の代わりに十字架で罪の報酬、死を御自分の身に受けて下さいました。そして、その贖い死のお陰で私達は万物の造り主である全能の唯一の神に和解され、永遠の命が与えられています。死んでも神の力で蘇り、いつまでも天国で愛する神と共に生きる訳です。そして、私達はその神の救いを自分の力で勝ち得る事が絶対に出来なくて、ただ神の一方的賜物になります。その恵みの賜物を受ける為には一つの条件があります。それは悔改め、イエス・キリストを自分の主、救い主として受け入れ、その唯一の救いを心から信じなければなりません。

 

【真の福音と偽の福音】

聖書に於ける神の福音は唯一の救いの道であるので、その内容はとても大事です。ですから人間はそのメセージを勝手に変えてはいけません。何故なら、そうしますと、人々は偽の福音を信じるようになり、永遠の命に至る道の代わりに、滅びと失望の道に歩む訳です。

 

【別の福音?】

今日から学ぶガラテヤの信徒への手紙はその問題を扱っています。人間は神の御子、主イエス・キリストが教えて下さった真の福音のメセージを勝手に変わり、信者を惑(まど)わしてしまいました。その大間違いと戦う為に使徒パウロがガラテヤ地方にある諸教会に手紙を書きました。使徒パウロは現在のトルコにある諸教会を開拓して、真の信仰を教えたのですが、パウロが去ってから他の人々がその所に入り、別の福音を説いた訳です。

 

簡単に言えば、彼等によりますと、本当のキリスト者はユダヤ教の律法と習慣にも従わなければなりませんでした。つまり、イエス・キリストを信じる事は救いに足りなかったのです。その上に、ユダヤ教の全ての伝統も受け入れ、守る必要性があると教えました。救いは信仰によって受け入れられる神の賜物のみから来るものではなく、ユダヤ教の事に従う義務もあると主張しました。ですから、そのキリスト教は信者の努力による事になりました。結局、ユダヤ教の事を守って、救いを自分の力で勝ち得るものになったのです。もちろんそれはキリストの真の福音に逆らって、人を惑わしてしまいました。

使徒パウロはその偽福音の事を聞くと大変恐れて直ちにガラテヤの信徒へ手紙を送りました。そして、その手紙の目的は彼等を本当の信仰に立ち帰らせる事です。

 

【パウロの権威】

今日与えられた御言葉の1章1節と2節を朗読します。「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者のなかから復活させた父なる神とによって、使徒とされたパウロ、ならびに、私と一緒にいる兄弟一同から、ガラテヤ地方の諸教会へ。」

 

ここでパウロは先ず自分の権威を主張しました。つまり、自分の権威は人から貰ったのではなく、彼は神のみによって使徒とされたと書いてあります。使徒と言うのは使者や大使の意味なのです。自分よりも偉い方を代表する者です。ですから、神は御自分の代理としてパウロをわざわざ選んだとパウロが言っています。それは結構な主張ですね。しかし、それは正しかったです。実は、蘇られたイエス・キリストがパウロに現れ、彼を御自分の使徒として任命しました。その特別な権威を持ったパウロは人から選ばれた伝道者よりも優れた資格があると言う意味です。ですから、ガラテヤの諸教会は神の代理としてパウロの教えを受けるべき事です。やはりそのパウロの権威の理由で彼の多くの手紙が新約聖書に入った訳です。その教えはただ彼の意見や想像ではありません。神の代理としてまた聖霊の導きによって書かれたものです。

 

パウロは自分の権威をガラテヤの諸教会に思い出させると、挨拶をこのように書き続けました。3節を見て下さい。「私達の父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。キリストは、私達の神であり父である方の御心に従い、この悪の世から私達を救い出そうとして、御自身を私達の罪の為に献げて下さったのです。私達の神であり父である方に世々限りなく栄光がありますように、アーメン。」

 

ここでパウロは福音のエッセンスを記しました。「キリストは、私たちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世から私たちを救い出そうとして、御自身を私たちの罪の為に献げて下さったのです。」

 

人間の救いはイエス・キリストを通して神の一方的御業です。つまり、主イエスの贖い死のみが私達の救いを齎して下さった訳です。

 

【ほかの福音を説く者は呪われよ】

パウロの挨拶が済んでから彼は迷わずに手紙の問題に入りました。6節の所を見て下さい。

 

「キリストの恵みへ招いて下さった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしている事に、私はあきれ果てています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音がある訳ではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです。しかし、たとえ私達自身であれ、天使であれ、私達があなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。私達が前にも言っておいたように、今また、私は繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。」

 

【ユダヤ教の律法と儀式は必要でない】

使徒パウロのメセージは明白です。先ず、神の福音には付け加えるものがいりません。ガラテヤの諸教会を惑わした伝道者達は真の福音を排しませんでしたが、それを改善すると言って新しい要求を福音に付け加えました。すなわち、ユダヤ教の律法と儀式をキリスト者に負わせようとしました。ただイエス・キリストを信じ従う事では足りないから、救いの為に他の事も必要であると教えた訳です。

 

しかし、他の事を福音に付け加えると、その福音は別のものになる畏れが十分あります。何故なら、大抵そのものは人間の努力に伴います。そうしますと、救いは神の一方的の賜物ではなく、人間の力も必要となり、福音とは基本的に異なるものになってしまいます。

 

【福音に別のものを付け加えるとき】

キリスト教の歴史を振り替えて見ると福音に別のものを付け加えると、いつも深刻な問題を起こします。例えば、教会が色んな非聖書的伝統と教えを信者に負わせると宗教の改革が必要となりました。結構昔の事ですが、ある時は教会がお金で罪の赦しを売りました。その事は福音を大変矛盾したものとして信者を惑わしました。また、福音に別のものを付け加える事はさまざまな異端を生じました。統一教や、モルモン教や、エホバ証人はその中にあります。ですから、今日の御言葉のメセージは、福音にものを付け加える必要が全くありません。人間の救いは神の一方的御業であり、私達は信仰のみによってその救いを受け入れる事です。

 

【福音を曲げる者は呪われよ】

使徒パウロのここで強調する事がまだあります。それは神の福音を曲げる事は最も深刻な罪です。8節と9節にこう記されています。「たとえ私達自身であれ、天使であれ、私達があなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。私達が前にも言っておいたように、今また、私は繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。」神の唯一の福音を曲げると、人は永遠まで主と遠く離れ、希望と救いのない状態です。

 

唯一の真の福音のみは人を救う力がありますので、それを変えてはいけません。そうすると、自分に呪いを招く事だけではなく、その曲がった福音を信じる人々を迷わす、彼等に全く益のない信仰に導くからです。ヨハネによる福音書14章6節で、主イエスはこう言われました。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行く事が出来ない。あなたがたが私を知っているなら、私の父をも知る事になる。」唯一の道と真理と命であるイエス・キリスト以外には救いがないので、貴重な福音を曲げてはなりません。

 

【真の福音のみに人生を変える力がある】

最後に、真の福音のみが人の人生を変える力があり、それを曲げてはなりません。ある無神論者が英国のロンドンの救済伝道団の牧師に討論するように挑みました。牧師は挑戦に応じましたけれども、一つの条件を付けました。それは、討論の中、イエス・キリストを信じる100人の証人の証言を取る事です。彼等は信仰から来る救いと恵みについて証を立てます。更に、相手の無神論者は100人の不信心な者も連れて、無神論から来る恵みの証をするようにと招かれました。討論会の日が来ると牧師とその100人の証人がホールに入りましたが、無神論達は現れませんでした。そして、その討論会はイエス・キリストの恵みの証し会になり、観衆の多くの人は主イエスを信じるようになりました。それは人生を変える真の福音の力であります。

 

愛する兄弟姉妹、変わりゆくこの世は何よりも変わらぬ神の真の福音を必要とします。それは使徒パウロの証と私達の証です。どうか福音の恵みを受けた私達は、毎日の生活に於いてその恵みのうちに生き、素晴らしい証を立てられるように。そして、人類の唯一の救いに至るイエス・キリストの贖い死のみに頼りながら、喜びをもって神と共に歩みましょう。(おわり) 

2010年09月05日 | カテゴリー: ガラテヤの信徒への手紙 , 新約聖書

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