「聖餐式の意味」ウイリアム・モーア2010.9.26

聖書:コリントの信徒への手紙一11章23−26

◆主の晩餐の制定

23:わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、24:感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。25:また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。26:だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。

 

 

【珍しい習慣】

毎週の主の日の礼拝に、ある教会が珍しい習慣を必ず守りました。それは、使徒信条を一緒に唱える前に、皆が立ち上がり、右の方に体を向けて、白い壁をじっと見ながら、信仰を告白しました。毎週全く同じ事を自動的にしました。その教会に新しい人はそう言う習慣を見ると、とても不思議だと思いました。何故なら、沢山の教会の礼拝を見ましたけれども、使徒信条の為に皆が体を右の方に向ける事は全く始めてでした。ですから、好奇心からその習慣の理由を聞きましたが、誰も知りませんでした。ただ、「いつもそういうふうに使徒信条を告白して来た」と答えました。

 

その答えでは満足出来なかったので、また聞きました。やっと、小さい時からその教会の礼拝を守った96歳のお爺さんがその習慣の理由を教えてくれました。

 

彼の子供の頃、週報がなかった為、使徒信条は教会の右側の壁に大きい字で書かれてありました。ですから、使徒信条を唱える時が来ると、皆は起立し、右側に向いて、その言葉を読みました。しかし、長年にわたり字が段々褪せてきて、何回も壁はペンキで塗り替えられ字が消えてしまったのですが、皆は忠実に未だにその同じ習慣に従いました。そして、ついに、その習慣の意味が分からなくなるまでになりました。

 

 

【聖餐式の起源】

今朝、私達は聖餐式を預かろうとしています。この式は略二千年前に主イエス・キリストによって制定された礼典です。長年にわたってキリストの全世界の教会は聖餐式を守って来て、その意味が大きな希望と力になりました。また、私達の信仰の最も大事な真理は聖餐式を通して代々のキリスト者に伝えられました。ですから、私達はその重要な礼典を頂く度にその意味を新たに覚えなければなりません。意味を考えず受けると、礼典の豊かな恵みがあまり感じられなくて、霊的な益が少ないです。ただ、意味の分からない昔からの前例に従って来た習慣に過ぎないものになってしまいます。

 

【聖餐式の意味】

その故に、今、聖餐を頂く前に礼典の意味を一緒に覚えたいと思います。

 

【主イエスの切なる願い】

先ず、聖餐を受けるもっとも基本的な理由と意味は、主イエス・キリストこそが私達に受けるようにと招いて下さいます。すなわち、今日の御言葉によりますと、「主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、『これは、あなたがたの為の私の体である。私の記念としてこのように行いなさい』と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、『この杯は、私の血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、私の記念としてこのように行いなさい』と言われました。」(23−25)

 

ここで私達の救い主イエス・キリストは、聖餐式を「行いなさい」と二度程直接におっしゃいました。ですから、キリスト者にとって聖餐式は選択のものでななく、守らなければならないものになります。

 

最も基本的に言えば、私達は聖餐式を守る理由は、それは私達の為の主イエスの切なる願いでした。ヨハネによる福音書に主イエスはこう言われました。「あなたがたは、私を愛しているならば、私の掟を守る。」(14:15)

 

【私たちの霊的益の為に】

ですから、今日、主イエスに服従と愛を現すように私達は主の聖餐を頂きます。しかしながら、その上に、聖餐式は私達の霊的益の為に主によって制定されました。つまり、主イエスの私達の為の贖い死を記念する事によって、私達はその救いの恵みを覚え、信仰が強められ、確かなものになります。その罪を赦す為の贖い死は、頂くパンと杯のように本当のものである事を悟ります。

 

【過ぎ越しの祭り】

イエス・キリストは聖餐式を制定された時、御自分の弟子達と一緒に過ぎ越しの祭りの祝宴を祝った時点でした。過ぎ超祭はイスラエルのエジプトの奴隷からの解放を記念した。ユダヤ人達が過ぎ超祭で神様は大きな力を持って彼等を奴隷の家から自由にさせ、約束された地カナンまで導いた事を覚え、感謝しました。その祝宴にパンと葡萄酒は大事なシンボルになりました。

 

【出エジプト】

イスラエルはエジプトを急に出た時、準備時間があんまりなかった為、パン種を使っていない、つまり、ふくらんでいないパンを速く焼いて行きました。 過ぎ越し祭の祝宴でそのパンを食べる事によって、彼等は神様が齎して下さった自由と救いを覚え記念しました。

 

更に、祝宴の際、預言された救い主の為に杯が準備されました。ですから、主イエスはそのパンと杯の徴を持って、従来の意味の上に新しい意味を加えました。つまり、パンは罪から解放と自由を齎した主イエスの十字架で犠牲された体のシンボルになりました。

 

そして、主は救い主の為に準備された杯を持つと、御自分がそのお方である事を宣言しました。更に、杯は御自分の血の意味として、十字架で私達の為に流される主の血の意味になりました。

 

【新しい契約】

また、聖餐式を通して主イエスは新しい契約を発表したのです。古い契約に動物の生け贄が罪の赦しを齎しましたが、新しい契約には神の御子イエス・キリストの十字架の死が罪の赦しを持って来る事になりました。動物の生け贄と違ってその贖い死は繰り返さなくても良いのです。生け贄を行った祭司を通して神に近づかなくても良いのです。

 

却って、神の愛された子供として直接に御前に出る事が出来ます。その比類なき恵みは永遠まで有効であり、永久の命に至ります。

 

【主イエスの贖い死と永遠の救い】

ですから、聖餐式に私達は主イエス・キリストの私達の為の贖い死を覚え、心から神に感謝します。罪の全く無い主イエスは罪深い私達に代わって死ぬ事によって、私達を完全に清めてくださり、永遠の救いの唯一の道を開いて下さいました。大きな希望と力を賜って下さったのです。聖餐式を通してその事を新たに覚え主を讃えます。

 

【この世に告げ知らせる】

次に、主の聖餐を頂く度に私達はイエス・キリストの贖い死をこの世の人々に告げ知らせます。今日の御言葉の26節を見ますとこう記されています。「だから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」と言うことは、イエス・キリストの聖餐を頂く事が証になります。

 

パンと葡萄酒を取って食べると、私達の信仰を告白します。自分がイエス・キリストとその救いを信じる事を発表します。また、自分は神様の助けで主イエスが教えられた愛の生き方に従って行こうと告白します。今日、私達はその意味でも、聖餐式に参加します。

 

【主の再臨】

最後に、私達は、「主が来られるときまで」聖餐式を通して「主の死を告げ知らせ」ます。聖餐を頂くと私達は主の再臨を期待します。その時は教えられていないのですが、キリストは皆が見えるように再びこの世にいらっしゃいます。その時、世界から全ての悪を取り除いて、全く新しい時代を齎して下さいます。ヨハネの黙示録21章3−4に記されていますが、その時には、「神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼等の目の涙をことごとくぬぐい取って下さる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」

 

イエス・キリストが再び来られる時まで私達は聖餐式を守る事によってその再臨を心から待ち望みます。その喜びの時、私達は主と共に主御自身の食卓につくので、聖餐式を守らなくても良いのです。その時、顔と顔を合わせて主を見るからです。ですから、私達は聖餐式を頂く時、喜びを持ってイエス・キリストの再臨を覚え、心から期待します。

 

【救いの確信と証となる聖餐式】

イエス・キリストを信じる者は、誰でも聖餐の恵みを受けるべきです。そして、その礼典を頂く度に私達は主の招き、「私の記念としてこのように行いなさい」に応じます。更に、聖餐式で主の贖い死を記念すると、私達はその救いの恵みを覚え、信仰が強められ、確かなものになります。又、聖餐式に参加する時、私達は主の贖い死が齎した人類の唯一の救いの証を立てます。そして、最後に、聖餐を受ける事によって、確かな希望を持って、主の再臨を切に待ち望みます。

 

愛する兄弟姉妹、その信仰を持って、間もなくの聖餐式の恵みをあずかりたいと思います。ですから、私達一人一人は聖餐を受けながら、その深い意味を覚えましょう。生きておられる主が招き主となって、私達を御自分の祝宴に招いて下します。ここに私達と共にいて下さる主との交わりを楽しみましょう。(おわり) 

 

2010年09月26日 | カテゴリー: コリントの信徒への手紙一 , 新約聖書

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