「あの方は復活なさって、ここにはおられない」ウイリアム・モーア2010.4.4

CIMG2328.JPG 聖書:マルコによる福音書16章1−8◆復活する

1:安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。  2:そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。3:彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。4:ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。5:墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。6:若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。7:さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」8:婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

 

【主イエスの十字架刑】

先週、私たちはイエス・キリストの十字架の死を記念しました。当局が不当に主イエスの死刑宣告をして十字架につけました。そして、言い尽くせない程、酷い拷問にかけられてから、イエスは息を引き取られました。多くの目撃者がその最も恐ろしく悲しい光景を見て、ローマ当局は主の死を確かめました。

 

 

 

【遺体を埋葬する】

そして、聖書によりますと、主イエスを尊敬していたヨセフと言う議員が勇気を出して、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出ました。そうして、遺体が十字架から降ろされてヨセフに渡されたのです。ヨセフは習慣に従って主の遺体を布で巻いて、丘陵の斜面に掘って作った墓の中に納めました。入り口には重い石を転がして、お墓を閉めました。

 

主イエスの弟子たちはあまりにも恐れて、隠れましたが、女性の弟子達が処刑場まで行きました。最後まで主イエスと共にいて、そして、遺体を納めた場所までも確かめました。

 

【主イエスの弟子達の希望は絶たれた】

たち弟子たちの気持ちを想像出来ると思います。特に、愛する者を亡くした経験がある私たちはその悲しみが分かるはずです。弟子たちは数年間イエスに従い、共にいて、主の教えを聞き、奇跡も見て、直接にその深い愛を受けました。更に、彼等の全ての希望を主イエスに賭けたのです。

 

主イエスは昔から預言され、神から送られた救い主だと信じていました。そして、そのお方は政治的と経済的と霊的にどん底に沈んだイスラエルを救って下さると大きな希望を持っていました。弟子たちはその夢を抱いて、主イエスに従う為に全てを捨てたのです。

 

しかし、アッと言う間に全てが変わってしまいました。主の死に伴って弟子たちの夢が完全に壊され、大変空しい気持ちでした。その上に彼等は深い悲しみに落とされました。主の変わらない愛と、貴重な存在と、素晴らしい約束はもう完全に失くなってしまいました。

 

私たちも、愛する者の死を経験しますと、その同じような悲しみと空しい気持ちが分かると思います。

 

【愛する祖母の死】

私は小学校の6年生の時、お祖母さんが急に病気になり重体に陥りました。家族揃って病院へお見舞いに行きました。愛するお祖母さんは息が大変苦しくなり、一生懸命に生きようとしましたが、もう意識はありませんでした。幼い私はお祖母さんのその姿を見ると何とかしてお祖母さんを助けたい気持ちが強かったのですが、何も出来ませんでした。その時の全く無力な自分の気持ちを今も覚えています。

 

その夜お祖母さんは亡くなりました。お葬式のすぐ後で教会の裏にある墓地でお祖母さんは埋葬されました。棺桶に入れられ、土に葬られて、大好きなお祖母さんにもう会えなくて、どんなに悲しかったか、小さい私にとって大きなショックでした。

 

【3人の女弟子】

その同じような気持ちで、今日の御言葉によりますと、マグダラのマリアと、ヤコブの母マリアと、サロメはイエスの遺体によい香りの油を塗りにお墓へ参りました。当時の習慣に従って正しい埋葬を行いました。少なくとも、その行為を通して自分たちの愛と敬意を現したかったのです。

 

【誰が墓の入り口の石を】

悲しみに沈んだその三人はお墓へ向かいました。そして、行く途中で心配があったのです。3節を見ますと、誰が墓の入り口からあの石を転がしてくるでしょうかと話し合っていた」と記されています。石が重くて、三人の力でも足りないと分かって、困りました。

 

しかし、お墓に着くとびっくりしました。石は既にわきへ転がしてあったのです。そして、今日の御言葉に記されたように、「墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。若者は言った。『驚く事はない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを探しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われた通り、そこでお目にかかれる」と』」と神の御使いが言いました。

 

十字架に付けられる前に主イエスは御自身の復活を弟子たちに予告しましたので、御使いが、「驚くことはない」と言いましたが、その三人は大変驚きました。「夫人達は、墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである」と8節に記されています。

 

【主イエスは蘇られた】

今日、私たちと全世界のキリスト教会はイースター、イエス・キリストの驚くべき復活をお祝いします。私たちの主イエスは神の力によってお墓から蘇られ、今も生きておられます。主は復活され、沢山の人々に現れてから、天国に上げられました。そして、主は神の御子として天国で私たちの為に場所を用意しています。

 

 

イエス・キリストの復活のお陰で全てが変わりました。と言うのは、主の敗北は勝利になったのです。弟子たちの深い悲しみは驚きと喜びに変わりました。復活を通して愛する神がイエス・キリストの十字架の死は私たちの為と全人類の為の贖い死である事を承認されました。つまり、十字架でイエスは私たちに代わって罪の罰を御自分の身に受け、神は私たちの全ての罪を赦して下さいます。ですから、唯一の真なる神の敵であった私たちは御自分の友と協力者になり、その大きな使命と祝福の内に生きられます。

 

【主イエスの復活は罪と死を滅ぼした

更に、イエス・キリストの復活を通して罪の力だけではなく、死の力も滅ぼされてしまいました。主イエスは言われました。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬ事はない。」(ヨハネによる福音書11:25−26)

 

イエス・キリストを墓から蘇らせた神はその同じ力で主を信じる者を永遠の命に復活して下さいます。ですから、今日、私たちが祝うイースターが全ての事を変えました。私たちの為に罪の力と死の力を征服し滅ぼして下さいました。

 

このイースターは私たちに大きな慰めと希望と喜びになります。特に、愛する者のお墓へ参る者にはそうであります。

 

【彼らはお墓にはいません】

私はアメリカへ行く度に出来るだけお祖母さんとお爺さんのお墓参りをします。その墓地はヴアージ二ア州の田舎にあります。祖父母は生涯韓国で宣教師として働き、退職してからはアメリカへ戻り、老後、祖父は田舎の教会を牧会しました。そして、その教会の裏にある墓地に二人は葬られています。私はそこへ行くと、色んな思い出が心に浮かびます。特に、私が小さい時、いつも優しくしてくれたお爺さんとお祖母さんの愛、また、神の国の為に彼等の献身的奉仕をしていた姿も覚え、その証の為に神に感謝します。しかし、その思い出と共に他の事を考えます。実は、祖父と祖母はそのお墓にはいません。その骨だけはそこに納めています。

 

イエス・キリストをお墓から復活された同じ神の力によって彼等も復活され、天国におられます。実は、私たちは愛する者のお墓の前に立つ時、大昔主イエスのお墓で現れた神の御使いの存在を感じる事が出来ます。そして、その御使いは私たちにもこう言います。「あの方は復活なさって、ここにはおられない。あの方は復活なさって、ここにはおられません。」

 

【本当に、主は蘇られました】

毎年エルサレムの聖墓教会でイースター礼拝を行います。その教会は死から復活された主イエスのお墓の上に建てられています。イースターを祝う信者達は礼拝の途中に教会から出て行って、三回程教会を回ります。それはイエス・キリストが三日間お墓の中にいた時を記念します。それから、皆は教会に入り、神父は喜びの声でこう宣言します。「キリストは今日蘇られた。」そうすると皆はこう答えます。「本当に、主は蘇られました。」三回程そのようにします。

 

今日、私達もイースターを祝う為に同じようにしましょう。 本当に、主は蘇られましたと三回答えて下さい。

 

主は今日、お墓から蘇られ、私達一人一人の為に勝利を得ました。この命と力が皆さん一人一人の上に豊かにありますように。(おわり) CIMG2327.JPG

2010年04月04日 | カテゴリー: マルコによる福音書 , 新約聖書

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