「良い始まり」 ウイリアム・モーア 2010.1.3

モーア宣教師,2010.1.10

ルカによる福音書2章21−40

21:八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

◆神殿で献げられる

 22:さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。23:それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。24:また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。25:そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。26:そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。27:シメオンが"霊"に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。28:シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。

 29:「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。30:わたしはこの目であなたの救いを見たからです。31:これは万民のために整えてくださった救いで、32:異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」

 33:父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。34:シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。35:――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

 36:また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、37:夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、38:そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。

◆ナザレに帰る

 39:親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。40:幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。

 

【神殿で献げられるイエス】

先ほど読ませて頂いた個所はクリスマス物語のなかで割合に知られていない個所だと思います。馬小屋でお生まれになったイエス・キリストの事と羊飼い達と占星術の学者達の訪問などはクリスマスの時に私達にはよく知られているストーリです。しかし、そのすぐ後の出来事はあんまり強調されていないようですね。先週は聖家族のエジプトへの避難の事を学びました。今日の個所の出来事は主イエスの御降誕とエジプト避難の間に起りました。

【割礼】

御言葉によりますと、御降誕後、八日たった時、主は割礼を受けました。 神が命じた割礼は神とアブラハム、またその子孫との間の契約の徴になりました。すなわち、アブラハムとその子孫は割礼を受ける事によって神の祝福を受けた民となりました。ですからユダヤ人であるイエスもその割礼の徴を受けたのです。そして、同時に名前が付けられました。それは、主が生まれる前に神の天使が示した「イエス」と言う名前です。それからヨセフとマリアはイエスをエルサレムへ連れて、神殿でモーセの律法に定められた儀式を行いました。

 

【老シメオン】

その神殿で、神が遣わす救い主に合うまでは死なないと約束を受けたシメオンと言う老人は聖霊の導きによって赤ちゃんイエスに出会える祝福を受けました。また、アンナと言う84歳の女預言者にも合いました。聖霊の導きによってその二人は赤ちゃんイエスを長い間、約束された救い主として認めて、神を賛美し、イエスについて神殿にいる皆に証を立てました。

 

【マリアとヨセフの模範】

この個所は色々な深い意味がありますが、今日は特にマリアとヨセフの証を学びたいと思います。新しい年、2010年の始まりに立つ私達はその二人から大事な事が学べると信じます。彼等の証は、服従と謙遜、喜び、また感謝と信仰をも豊かに示しました。新しい年に新しいスタートが与えられた私達はヨセフとマリアの模範から学ぶと、必ず2010年が良い始まりになると確信しています。

 

主が誕生されてから、40日間の間にマリアとヨセフは赤ちゃんイエスの為に四つの大事な事をなさいました。その事は聖家族の信仰をはっきりと現したのです。

 

【その子をイエスと名付なさい】

第一に、彼等は天の御使いを通して神が指定された特別な名前を息子につけました。その名前はもちろん「イエス」です。イエスと言う名前の意味は、「主には(つまり神には)救いがある」。又は、「主は救い」となります。覚えていると思いますが、イエスが生まれる前に神の天使はヨセフの夢に現われてこのように言われました。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(マタイによる福音書1:2021

 

更に、御使いが羊飼い達に現われた時、このように発表しました。「恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたの為に救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」(ルカによる福音書2:10

 

【メシア】

ここでの「メシア」は神が約束された救い主と言うお方です。マリアとヨセフは自分の息子に「イエス」と名付けるには大きな責任に伴ないました。そして、そのような偉い名前を付けるのは勇気が結構いりました。貧しい大工の家族がその息子に「イエス」と言う名で呼ぶと、周りの皆が鼻から笑うかも知れませんでした。ですから、マリアとヨセフは夢で聞いた事と羊飼い達が語った事も忘れて、普通の名前を自分の長男に付けるのは言い訳になったかも知れません。

 

しかし、彼等は疑わず天使と羊飼い達を通して神の声を信じ、素直に従いました。つまり、全能の神のヴィションは自分達のヴィションになり、彼等は全人類の救いの為の主の協力者になりました。イエスと言う名前を息子に付けると、その与えられたヴィションを忘れる事が出来ませんでした。長男を呼ぶ度ごとにその使命を覚えたはずです。

 

【クリスチャン】

わたしたちはキリスト者、あるいは、クリスチャンと呼ばれています。その意味はイエス・キリストに従う者です。つまり、主イエスの教えに従って生きる人々で、その救いを信じるのです。それは私達のヴィションと使命です。この新しい年に入った私達は授けられた素晴らしい名前を新たに覚え、日常生活に於いて、その使命を生かす特権が与えられています。神の恵みによって私達はキリスト者になりましたので、主イエスが示された神の愛を周りの者に表す使命が与えられました。つまり、神は私達を通して御自分の愛を実行したいのです。ヨハネの手紙一にこの御言葉が記されています。「私達が愛するのは、神が先ず私達を愛して下さったからです。」4:19

 

愛する兄弟姉妹、この主イエスの2010年にもキリストに従う者、私達キリスト者として神の愛を生かしましょう。

 

【割礼は神の家族の徴】

第二に、ヨセフとマリアはイエスの御降誕後、八日たった時、主に割礼を受けさせました。 神が命令した割礼は神とアブラハム、またその子孫の間の契約の徴になり、神の家族に入った徴にもなりました。割礼を通してユダヤ人は神の約束は自分の為のものであると宣言しました。つまり、 割礼の徴によって神の祝福と守りを受け継ぎました。しかし、特権だけではなく、その徴は受け継いだ責任も現しました。「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る」(創世記26:4)と神はアブラハムに誓いました。ユダヤ人はイエス・キリストがこの世に遣わされた時点まで誠の宗教を守りました。そして、救い主イエス・キリストこそが地上の諸国民全てに最も素晴らしい祝福になりました。

 

【洗礼】

私たちキリスト者は旧約の時代のように割礼ではなく、洗礼の徴を通して神の家族に入れられた事を示します。そして、神の家族の一員として私達も特権と責任が与えられています。全能の唯一の神は私達の味方になり、助け共にいて下さり、生きる為の力と希望を与えて下さいます。更に、御自分と共なる永遠の命を保証して下さいます。そして、責任の事ですが、私達はイエス・キリストに従う者として相応しく生きるのです。神の助けで自分にある罪と戦って、愛を持って周りの人々に善き証を立てます。

 

愛する兄弟姉妹、この新年には常に自分の洗礼を受けたことを覚え、神によって清められ、御自分の家族に入れられた特権と責任を覚えて下さい。

 

【初子を神に捧げる】

第三に、マリアとヨセフは赤ちゃんイエスをエルサレムの神殿へ連れてその子を神に捧げました。ユダヤ人の律法に従って、初子を聖別して神に捧げました。その儀式を通してマリアとヨセフは自分の子イエスが神のもの、また神の御用の為に生まれた事を公に告白しました。彼等は一番貴重なもの、自分の長男を神に委ねて、その子の使命を主に任せたのです。

 

【初子の贖い金】

律法によりますと、初子を神に捧げてから献金を神殿に捧げたら、その子を贖う事が出来ました。殆ど皆の両親はその贖い金を捧げて、初子をまた自分のものにしました。しかし、御言葉にイエスの贖いについて何も載っていません。恐らく、マリアとヨセフは自分の初子の役割を悟り、神の御用の為に捧げたのです。その故にイエスを贖わなかったかも知れません。実は、神の御子であるマリアとヨセフの初子は十字架で全人類の罪をつぐなう贖いになりました。イエス様は罪の為、私達が支払うべき報酬を御自分の身に受けて、私達に永遠の救いをもたらして下さいました。

 

【主イエス・キリストによって贖われた者】

私達はイエス・キリストによって贖われた者なので、主の者になりました。すなわち、第一に主の御用の為に生きるのです。使徒パウロが記された通りに、「あなたがたは、代金を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(コリントの信徒への手紙6:20

 

この新しい年に主イエスに贖われた者に相応しく歩みましょう。

 

【清めの生け贄】

最後にアリアとヨセフはマリアの出産後の清めの為に生け贄を捧げました。その事もユダヤ人の律法の要求でした。普通の生け贄は子羊一匹と山鳩一羽か家鳩一羽になりました。しかし、特に貧しい人はその代わりに、山鳩一つがいか家鳩の雛二羽を捧げる事が許されました。御言葉によりますと、マリアとヨセフはその貧しい者の生け贄を神に捧げたのです。

 

全能の神はその貧しい二人に御子イエス・キリストの養育を託しました。そして、彼等は神の助けによって主イエスを立派に大きく育てたのです。

 

【貧しくても神様の働きに参加】

私達も色んな面で貧しい者です。富どころか、力や知恵や愛なども限られています。神は貧しいマリアとヨセフを用いたように、私達一人一人も用いて下さいます。主は私達一人も残らず、御自分の働きに参加させたいのです。

 

どうか、この2010年には神によって豊かに用いられるように祈りましょう。それこそは私達の誠の使命と生き甲斐です。マリアとヨセフの模範から学んで日常生活に於いてキリスト者として喜びと希望を持って共に歩みましょう。主イエス・キリストは私達一人一人を用いて下さり、きっと神によって生かされ、勝利する2010年になります。

(おわり)

2010年01月03日 | カテゴリー: ルカによる福音書 , 新約聖書

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