感謝と信仰 ウイリアム・モーア 2009.11.22

ルカによる福音書17章11−19

◆十人のらい病人をいやす

 11:イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。12:ある村に入ると、らい病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 13:声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。

 14:イエスはらい病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。

 15:その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。16:そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。

 17:そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。18:この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」19:それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」

 

【収穫感謝】

大昔から人間は神、あるいは神々から受けた恵みに感謝を表す必要性を感じて、色々な方法でその感謝を示しました。特に毎年、刈り入れの時、人は収穫を守って下さった神に感謝を表す気持ちが高まってきました。豊かな収穫を通して神様の支えと摂理に対して人は自然にありがたく思い、具体的な形でその気持ちを表現したかったのです。聖書にも収穫の初物を神に捧げる事によって、信仰をもって私達の先祖は感謝を表しました。

 

箴言にこの御言葉が記されています。

「それぞれの収穫の初物をささげ、豊かに持っている中からささげて主を敬え。そうすれば、主はあなたの倉に穀物を満たし、しばり場に新しい酒を溢れさせてくださる。(3章9−10)

 

人々は収穫の一部を神殿へ持って行き神様に捧げました。そしてその儀式を通して信仰者は個人的に、公的に神に対する恩を認め、頂いた恵みの為、感謝を表す事が出来ました。

 

言うまでもなく、今日の私達も常に神に感謝を表すべきであります。収穫の恵みの為だけでなく、日々の生活において主の全ての物質的と霊的恵みを考えると感謝の気持ちが私達から湧き出てきます。農業にあんまり携わらなくても、この秋の刈り入れ時、特に愛する神の大きな祝福と恵みを覚えて心から神に感謝します。ですから、今朝、共に神に対する感謝の意味と重要性を新たに覚えたいのです。

 

Thanksgiving Day感謝祭】

今週の木曜日はアメリカでThanksgiving Day,すなわち感謝祭をお祝います。今は国の祭日になりましたが、17世紀にアメリカへ移住したイギリス人が始めた行事であります。移住したばかり彼等は病気と飢饉に悩まされましたが、僅かですが来る冬の為に穀物の刈り入れが出来ました。その大きな恵みの為に神様に感謝を表したかったのです。ですから、特別な Thanksgiving Day, 神様に感謝を捧げる日と宣言されました。現在もその日にはアメリカ各地に離ればなれの家族が里帰りをして、始めのThanksgiving Day に先祖達が口にした七面鳥の御馳走を楽しみながら神様の多くの恵みを覚え、主に感謝します。

 

【我が家の感謝祭】

私が大きくなる前、 Thanksgiving Dayには御馳走を頂く前に先ず、神様に今年の感謝すべき事を一人ずつ言わせられてから食事を頂きました。子供にとって、普段は食べられない美味しい食べ物が目の前にあるのに、皆が感謝すべき事をしゃべるまで待つのは大変でした。私達三人兄弟は簡単に感謝すべき事を述べました。でも、大人たちは大抵長く述べました。感謝すべき事一つ一つ全部を言わなければなりませんでした。その後、食前の祈りがやっと終わった時、私達三人の兄弟はどんなにほっとしたでしょう。待ちに待った御馳走の食事会が始まるのです。振り返って見るとその時、家の習慣は感謝よりも辛抱を教えたのです。しかし大人になった私はその習慣の為にも神に感謝して、自分の子供達にも伝えたつもりです。

 

【詩編第100篇】

実は、聖書は始めから終わりまで感謝の重要性を強調します。例えば詩編第100篇に感謝の理由と喜びを美しく述べます。

「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。喜び祝い、主に仕え、喜び歌って御前に進み出よ。知れ、主こそ神であると。主は私達を造られた。私達は主のもの、その民、主に養われる羊の群れ。感謝の歌を歌って主の門に進み、賛美の歌を歌って主の庭に入れ。感謝を捧げ、御名をたたえよ。主は恵み深く、慈しみは永久に、主の真実は代々に及ぶ。」

 

10人のライ病人】

主イエス・キリストは今日与えられた御言葉を通して感謝について大事な事を教えられます。主は旅中で癩病、すなわちハンセン病を患っている十人の人に出会いました。彼等はイエスの癒す力を聞いて、大声で、「イエス様、先生、どうか、私達を憐れんでください」と切に願いました。そうすると、主はただこう答えられました。「祭司達の所に行って、体を見せなさい」と。その十人は素直に主がおっしゃったとおりにしました。そして祭司達の所へ行く途中奇跡的に皆が治されました。十人全員が治りました。しかしその十人のうち一人だけが主イエス・キリストの所へ戻って来て、主に感謝を表しました。彼は、「大声で神を賛美しながら戻って来て、イエスの足元にひれ伏して感謝した」と書いてあります。その一人の人はユダヤ人ではなく、サマリヤ人でした。主イエスはこう尋ねられました。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美する為に戻って来た者はいないのか。」それから、主は感謝を表す為、戻って来た人に言われました。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」とおっしゃって下さいました。

 

【癒された他の9人は】

その大変な病気から瞬間的に癒されたにも関わらず、十た戻ると恐れ、感謝を表す前に待って見てからと思いました。もう一人は後でまたイエスに出会うだろうと、その時、感謝を言おうと思いました。また一人は自分が本当はその癩病に罹っていなかったかも知れないと思い、ただ軽い病気だったに違いないと自分に言い聞かせました。もう一人は結局自分は自然に治ったんだと言いました。そして、また一人は、『ユダヤ教の先生だったら当然誰でもその奇跡を行う事が出来る』と自分に言い聞かせました。」彼等は勝手にそれぞれ自分を納得行くように考え、主イエスから頂いた救いを全く忘れ、感謝さえも表しませんでした。結局、欲しいものを手に入れると、その恵みの源を勝手に忘れ、たったその結果のみを喜びました。

 

【神への忘恩の言い訳】

愛する兄弟姉妹、私達がその中の一人だったら、どうでしょうか。皆さん、心当たりはありませんか。その恩知らずな九人の事は他人ごとではありません。それは我々全体の本来の姿かも知りません。私達も祈願が叶えられると、すぐに、今朝の御言葉の九人のように神様の御業を割引してしまいます。「当然来るべきだったのよね。よく頑張ったから、きっと祈らなくても入れたよね」など言いながら自分の不感謝を正当化します。そしてそうすると、感謝の喜びよりも傲慢と不満足になってしまいます。

 

【癩病人】

間違いなくイエス・キリストはその十人の病人を奇跡的に治して下さいました。その前の彼等はどんなに惨じめな状態であった事でしょう。効果的な治療がなく、体調は段々悪くなり、手と足の指が使えなくなり、ついに脱落してしまって、顔の容姿も酷くなります。更に、当時は癩病の人は汚れていると思われました。エルサレムの神殿に入るどころか、人里離れた所に住んで、健常な人に近づいてはいけませんでした。癩病人同士との交際しか許されませんでした。そして、癩病は罪の結果だと皆が思い込みました。特に酷い罪を犯し、罰として癩病になったと人々は仮定しました。とにかく、癩病の患者は全てを失いました。家族、富、希望、職業と面目なども全部無くしました。

 

【罪と悲惨の状態にあった人類】

このような話は私たち人類の罪の深刻性と悲惨な状況を現しています。人は罪の故に神から離れ、神の敵になってしまいました。ですから、希望の無い意味も無い存在であったのです。しかし、愛する神は私達の惨めな状態を見て、憐れみを持って主イエス・キリストを通して救いの唯一の道を開いて下さいました。主イエスの犠牲を通して私達の全ての罪を赦し、清めて下さったのです。その結果、私達は神の子供のように受け入れられ、御自分の全ての恵みを頂きます。

 

【感謝なき歩み】

神の恵みを忘れ、あるいは神の恵みは当然だと思い込めば、感謝がすくなくなり、喜びもなくなります。小さい事で気が滅入って来て、怒りっぽくなります。

 

【日々感謝すべきこと】

愛する兄弟姉妹、私達はどうでしょうか。神様の恵みを本当に悟りましたか。我々の中に、食べ物が無くて飢えている者がいますか。衣服がない為、裸で寒いですか。住む家がない者はいますか。その上にキリスト者全ては霊的恵みを毎日頂きます。神は共にいて下さり生きる為に必要な力と勇気と知恵などを授けて下さいます。更にこの世にも死後にも大きな希望を持つ事が出来ます。その故に愛する神に常に感謝を表します。

 

【感謝と礼拝の優先権を知る】

主イエスが癩病人に、「祭司達の所に行って、体を見せなさい」と命じましたけれども、一人が途中でイエスの所に戻りました。御自分の命令に逆らったため、主は何故彼を叱りませんでしたか。彼は感謝と礼拝の優先権が分かっていたからです。感謝を表してから祭司達の所に行く事が出来ました。その人は大声で神を賛美しながら戻って来て、イエスの足元にひれ伏して感謝しました。そして、その感謝を見た主イエスも喜びました。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」とおっしゃって下さいました。

 

【主イエスに感謝】

皆さん、主はどのようにその人の救いに至る信仰が分かりましたか。やはり、彼の感謝を通して分かったのです。その表れによって彼の信仰が明確になったのです。神の恵みの為に私達もその同じような感謝を表したいのです。十人の癩病人を清くして下さった主イエス・キリストは今も私達を真理の御言葉と十字架の贖いで清くして下さいます。(おわり)

2009年11月22日 | カテゴリー: ルカによる福音書 , 新約聖書

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