「神を愛する者の幸い」淀川キリスト教病院 田村英典牧師

聖書:ローマの信徒への手紙8章28節

神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています。


 
【万事が益となる】
今朝は、多くのクリスチャンに愛され、彼らを力づけている御言葉の一つ、ローマ8:28に注目します。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています。」無論、万事がそれ自身で勝手に益となるように働くのではありません。神の摂理によってです。
 
それにしても、ここで言われていることはすごいと思います。これは、前後の文脈、例えば、17節「キリストと共に苦しむ」、18節「現在の苦しみ」、26節「弱い私たち」、31節「誰が私たちに敵対できますか」などから分りますように、信仰上のことで様々な苦しみを味わっていたローマ在住のクリスチャンたちを励ますために、紀元56年頃、書かれたものです。彼らは既に信仰の戦いをしていました。しかし、今後もどんな戦いや苦難が待っているか分りません。それに対して不安を感じるのは当然でしょう。そういう彼らに、パウロは聖霊に導かれて書きました。

【この世で生きる事は容易でない】
確かにクリスチャンは、イエス・キリストの十字架の贖いの故に、素晴らしい救いの恵み、すなわち、罪の赦しと永遠の命を中心とする最高の祝福を、天地の造り主なる真の神から一方的にいただいています。この幸せはどんなに強調しても足りません。しかし、神に背いた結果、人類は初めの祝福された状態から堕落し、この世に罪と悲惨が入ってきました。ですから、救いに与っているとはいえ、私たちクリスチャンがこの世で神に忠実に生きることは簡単ではありません。その上、私たち自身にも罪の残り滓、つまり腐敗した性質があります。この両者が相まって、私たちがこの世で生きる事は容易ではありません。
 
今年もあと10日で9月が終りますが、残る3か月でさえ、どんな問題が待ち受けているのか、誰にも分りません。しかし、イエスは言われます。ヨハネ福音書14章18「私はあなた方をみなしごにはしておかない。」主は信仰者を決して放っておかれません。そしてその主がパウロを通して約束されます。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く。」
 
【神を愛する者たち】
もう少し詳しく見ます。第一に、この約束は「神を愛する者たち」に向けられています。これは大事な点です。この約束は無限定ではありません。誰にでも当てはまるのではありません。時々こういう所は無視し、慰めに満ちた所だけ自分に当てはめる人もいます。しかし、それでは御言葉の祝福を本当の意味では体験できません。でも、「神を愛する者」にはこれは実現します!本当に起ります!その時、私たち自身は気付いていなくても、神の御言葉は真理であり真実ですから、必ずなります。
 
【本物の神知識】
神を愛する者とは、当然、神を信じ、神の御子イエス・キリストを、自分のただ独りの救い主として、心から信じ、受け入れ、寄り頼んでいる人です。しかし、それに加え、信仰が私たちの内に結ぶ最も素晴らしい実の一つである神への愛のあることが、特に大切です。まことの信仰は必ず私たちに本物の神知識を与えます。そしてウェストミンスター小教理問答4が言うように、「存在、知恵、力、聖、義、善、真実において、無限、永遠、不変」のお方である真の神についての神知識は、私たちを、神をいよいよ愛さないではおれないようにします。そこまで私たちを祝福し、清めます。
 
【神を愛しているなら】
大切なことは、私たちが神を愛しているかどうかです。神に感謝し、神を慕い求め、神の御心に従い、どんな時にも神のみそば近くにおらせていただきたい、そして神のお役に立ちたい、と心から思っているかどうかです。そのように神を愛しているなら、この御言葉は間違いなく私たちに実現し、万事が益となるように共に働きます。神がそうなさいます。
 
【御計画に従って召された者】
では、私たちが神を愛しているなら、何故「万事が益となるように共に働く」のでしょうか。第二にこの点を確かめます。それは、「神を愛する者」は、神が「御計画に従って召された者」だからです。「神が御計画に従って召された者」とは、御子イエスの十字架の血によって罪から贖い、21節「神の子供」として永遠の御国を受け継ぐようにと、天地創造の前から予め、ただ愛によってお選びになった者のことです。
 
これは大事な点ですので、話が多少脇道に逸れますが、確認しておきます。そうです!もし私たちが神を愛しているなら、私たちは間違いなく、神が永遠の御計画により予め救いへと選ばれた神の子供なのです。
 
【救いの確信】
自分が神によって救いに選ばれた者かどうか分らない、と言うクリスチャンも時々います。しかし、心から御子イエスを救い主と信じ、イエスがおられないなら私に永遠の救いなどなく、私の救いの希望は、私の罪を全て背負い、私の身代りとなって自ら十字架で神の裁きを受け、死んで復活して下さった神の御子イエス・キリスト以外にない、と心底思っているなら、私たちは間違いなく御計画に従って召された者です。神の子とされています。まして神を愛する者は、もっとそうです。
 
【神は父として】
話を戻します。人間の場合でも、親は自分の子供のために精一杯良いことをしてやろうとします。子供を愛しているからです。時に厳しいことを求め、辛いことも体験させますが、全ては子供を思ってのことです。まして、完全な父であられる神は、御自分を信じ、ご自分を愛するご自分の子供たちのために、どれ程心砕かれることでしょう。神は彼らを本当に愛しておられます。従って、神は御自分の知恵と力を傾けて「万事が益となるように共に働」かせられます。父としての御自分の責任にかけてそうされます。「私が、世の初めから終りまで一切を含む私の計画に従ってあなたを召し、私の子にしたのだから、私がそうする。」神はこう言われるのです。
 
【万事】
そこで、第三に確認したいのは、特に「万事」を益となるようにされる点です。これがすごいですね。「万事」です。例外などなく、益とならないものなど一つとしてないというのです。パウロはこのことを「私たちは知っています」と言います。この言い方は、やや弱く響きますが、「このことについては、あなた方も私たちも良く知っていますよね」と、むしろこれは周知のことだと確認しているのです。
 
【ヤコブの生涯】
では、彼らは何によって知っていたのでしょう。聖書によってです。新約聖書はまだ形成途上でしたから、旧約聖書です。では、旧約聖書のどこにこの素晴らしい神の摂理が教えられているでしょうか。たくさんあります。例えば、創世27章以降に展開されるヤコブの生涯がそうです。ヤコブは人間にとって一番大事なものが神の祝福であることを良く知っていました。これは彼の良い点でした。他方、彼にはずるい所もあり、兄エサウから父イサクを通しての神の祝福を奪い取ってしまいました。その結果、その後の彼の生涯は苦しみの連続でした。好きなラケルと結婚するためにずるい叔父の下で14年間もただ働きさせられ、ようやく一緒になれたと思ったら、今度は彼女に子供が生れません。もう一人の妻レアとの間で、家庭内は争い続き。その上、娘は暴行を受け、妻ラケルには先立たれる。彼はどんなに辛かったでしょう。
 
しかし、ここに神の御計画がありました。この苦しみを経て、彼は信仰者として練り清められ、人を思いやれる人にもなれました。そうでないなら、彼は何歳になっても自分の賢さに頼る傲慢な人間で終ったでしょう。夫々の時には、「何故、自分がこんな苦しみに遭わなければならないのか」と人生を恨んだこともあったかも知れません。しかし、神には御計画がありました。神は実際、「万事」が最終的には益となるように摂理されたのでした。
 
【ヨセフの生涯】
創世37章以降に見るヨセフの生涯も興味深いと思います。彼もいっぱい苦難を味わいました。兄たちに妬まれ、殺されかけ、助かったと思ったら、エジプトに奴隷として売られ、そこで彼を待っていたのは、また試練でした。無実の罪で2年も牢獄に入れられる苦痛も味わいました。しかし、その全てに神の計画がありました。そうして彼が苦労し、神の恵みによってエジプト宮廷の最高責任者になれたお陰で、カナンの地にいる自分の親族全員を飢饉の時に救うことができました。ヨセフ自身も、どんなに信仰者として訓練され、成長させられたことでしょう。詩編119:71の言う通りです(口語訳)。「苦しみにあったことは、私に良いことです。これによって私はあなたの掟を学ぶことができました。」
こうした旧約聖書の例だけでなく、恐らくパウロやローマの信徒たち自身も同様な体験をしていたことでしょう。
 
【阪神淡路大震災と徳地牧師】
所で、この御言葉が常にクリスチャンに実感できるかというと、現実は必ずしも容易ではありません。阪神淡路大震災で教会堂も多くの信徒の家も壊れし、ご自分にも胃癌が見つかった当時の改革派芦屋教会の牧師が言いましたが、困難のただ中にある時には、クリスチャンでも「万事が益となる」とは簡単に言えないし、まして周囲の人には安易に言ってほしくない、というのが本当のところだと思います。
 
急に重い病だと宣告され、いよいよ辛さが増し、家族も看病に疲れ切っているのを見、あるいは「あの時、何故、私はああしなかったのか」と悔やまれる状態で、この教えを受容するのは容易ではありません。何故か自分や自分の家族に試練が次々襲う時、この御言葉にすぐアーメンとは言えないと思います。
 
【刺繍の裏】
しかし、こうしたことも含めて、この御言葉は真実であり、私たちが神を愛しているなら、必ず実現します。死さえも神は益とされます。
4~5世紀に生きた古代のキリスト教学者アウグスティヌスは、刺繍の譬を言いました。刺繍を裏から見ると、様々な色の糸がゴチャゴチャになっていて、何が何だかさっぱり分らない。でも、刺繍を上から、表から見るとどうか。そこには見事に美しい図柄、デザインが浮かび上がっている。神を愛する人の人生も同じだというのです。この世においては、それは丁度刺繍を裏から見るように、しばしば困惑させられることに遭遇する。一体こんな辛いことに何の意味があるのか、神は何故こんなことが我々に起るのを黙って見ておられるのか、と叫びたいこともたくさんある。
 
【父なる神の御計画】
しかし、信仰によって自分の人生をもう一度良く見る時、また特にはやがて主に伴われて天の御国において自分の地上の全生涯を振り返る時、文字通り、万事を益として下さる全知全能の神の知恵に満ちた見事に美しいご計画、デザインを見ることができ、「ああ、あれにも神の御計画があったのだ。やはり神は万事を益として下さったのだ。神様、今、分りました」とようやく心底納得し、私たちは全ての贖われた人たちと共に神を思いっきり讃美している自分自身を発見しているであろう、ということです。
 
【万事が益となるように】
この世は、先のことは分りません。どんなことが私たちに待っているのか、検討もつきません。でも、神は「神を愛する者」たちのために、今後のことも全てご存じです。そしてあらゆる信仰の先輩たちがそうだったように、痛みも悲しみも呻きも涙も、もっと大胆に言うなら、私たちの情ない恥かしい不信仰や失敗すらも「万事が益となるように」完全に神は計画しておられます。
 
【辛い試練の時も】
大切なことは、私たちが本当に神を愛しているかどうかです。胸に手を当て、へりくだって自らに真摯に問いたいと思います。特に辛い試練や困難に見舞われる時ほど、このことを深く自分に問い、改めて神を愛したいと思います。
 
【忍耐が必要なのです】
そして、忍耐して神の時を待ちたいと思います。ヘブライ人への手紙10章35~37は言います。「自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。『もう少しすると、来るべき方がおいでになる。遅れられることはない。』」
 
神を改めて愛し、忍耐して神の時を待ちたいと思います。すると、やがて神は、パウロやあらゆる真実な神の民と共に、私たちにも「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く」という、この御言葉が本当であることを必ず体験させて下さるでしょう。(おわり)

2009年09月20日 | カテゴリー: ローマの信徒への手紙 , 新約聖書

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