神の平安 ウイリアム・モーア宣教師

フィリピの信徒への手紙4章4−9

4:主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。

5:あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はす

ぐ近くにおられます。

6:どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込

めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。

7:そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と

考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

8:終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべ

て正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉

なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留め

なさい。

9:わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、

見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共

におられます。


【初任給1千万円?】
就職活動に励むある大学の四年生が会計仕事の口を探す為、小企業の社長と面接を受けました。そして、面接に社長はこう言いました。「私は社長だから心配があまりに多いよ。特に不景気でお金の心配が多いから嫌なんだ。だから、うちの会社に入れば、あなたが私の全てのお金の問題を取り扱うんだよ。」青年はそれを聞いて、「会計は私の分野だから、興味がありますが、ところで、年収はどのぐらい頂けるのでしょうか」と聞きました。社長は、「あなたは賢そうな青年だから、始めは一千万円はいかがでしょうか」と返事しました。青年はそれを聞いて大喜びしました。「一千万円!それは結構な話ですよ。十分足ります。しかし、ちょっと知りたい事がありますが、小企業の御社はどうして新入社員に一千万円もの年俸が払えるのですか。」社長は青年を見詰めながらこう答えました。「君、実は、それこそが会計のあなたの最初の心配だよ。」

私達は誰でも心配、あるいは思い煩いを経験する事があります。そして、心配しはじめたら、心配事は限りありません。誰かがこう言いました。「人間は心配の全く無い時が折々あります。そして、その一時休止は『パニック』と言います。」

【3つの心配の成り立ち】

私達はどうして心配しますか。理由は色々ありますが、基本的に三つの心配の成り立つすじみちがあると思います。

【その1:現在の苦しみ】

第一に、この世の生涯はいつも優しいものではありません。実は、ある時はとても苦しいです。悪い事が悪い人だけに起りません。悪い事は善い人にも起ります。そして、その不幸を経験すると私達は心配します。その事をどう扱えば良いか、この苦しみに耐えられるか、回復の道があるのかどうかと思い煩います。

【その2:将来なにがおこるか?】

言うまでもなく、現在の問題は心配を沢山生じますが、将来についての事も心配の種になります。

つまり、どんなに用心深くても、病気や、事故や、不幸や、あらゆるトラブルなどが将来に襲って来る事があります。そして、富と権力と知恵が豊かにあっても、私達はそのような不幸を完全に防ぐ事は不可能です。例えば、誰が現在の金融危機と不景気を予想しましたか。殆ど全ての経済学者と大企業の経営者も今の現状を予想出来ませんでした。将来は未知ですから私達は将来の事を心配します。

【その3:打つ手がない?】

更に、たとえ将来の事が分かっていても、その事全てをコントロール出来ないから、心配します。つまり、ある事は予め知られても、防ぐ事が出来ません。例えば、ある遺伝病は治療方がないので発病前に分かっていても何も出来ません。

【思い煩いは益が少ない】

とにかく、この世に住む私達は色んな理由で思い煩います。そして、その結果は何でしょうか。箴言にこう記されています。「心配は人をうなだれさせる。」(12:25)。

心配は苦しい重荷のように私達を圧迫して、生き甲斐と喜びを奪ってしまいます。あまり思い煩うと、将来の為の希望も分からなくなり、生きる力も失います。心配は私達のエネルギーを奪い取り、その重さの故に前進する事は難しくなります。その為に心配の代わりに私達は何よりも平安が必要であり、切に願い求めています。神の平安を頂きたいのです。

【まず、神の国と神の義を求めよ】

実は、心配はなんの益もありません。主イエス・キリストは思い煩いについてこのようにはっきりと教えられました。マタイによる福音書6章25−34節

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか、何を飲もうかと、また自分の体の事で何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養って下さる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばす事が出来ようか。なぜ、衣服の事で思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つ程にも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装って下さる。まして、あなたがたにはなおさらの事ではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要な事を御存知である。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日の事まで思い悩むな。明日の事は明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

【気は病のもと】

確かに、主が教えられたように、私達は「思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばす事が出来」るのでしょうか。逆に、思い悩むと自分に害を与えてしまいます。自分が病気になるのではと心配すると、そのストレスは私達の免疫システムを抑えて病気になる可能性が高くなります。職場を失う事について思い悩んでいませんか。その心配は自分の力を半減させ、業績を下げます。体重が増える事で心配していますか。そうすると、お腹が空いてないにも関わらず、もっと食べるかも知れません。

【パウロの心配】

恐らく聖書の全ての人物の中で使徒パウロは誰よりも心配する理由がありました。パウロは今日与えられた御言葉を書いた時は、監獄に閉じ込められていました。信仰の故に囚人になり、やがて処刑される可能性が高かったのです。

更に、囚人になっても自分の教えの為に他の教師から厳しい非難を受けました。また、偽教師はパウロが開拓したフィリピと言う町にある教会に入り、偽りを信者に教えていました。更に、その教会の兄弟姉妹の中で激しい争いがあって、群れが分裂する心配も十分ありました。

思い煩いを沢山経験された使徒パウロはその心配に打ち勝つ道を覚えました。そして、神の霊に導かれ、その秘訣を今日の御言葉に書き残したのです。使徒プウロは今日の個所を手紙の形でフィリピの教会の信者へ送りましたが、御言葉として私たちにも送られています。

【平安を受ける四つの秘訣】

私達も心配を征服する為に、この聖句は非常に大事であります。 神の平安を受ける為に四つの事をするようにと命じています。

【第一の秘訣:喜びなさい】

今日の個所の4節を見ますと第一の秘訣が記されています。フィリピの信徒への手紙4章4節「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」私達はどこでも主において喜ぶ事が出来ますが、特に礼拝の時に喜びを感じられます。実は、心からの神への礼拝は心配の薬のようになります。礼拝の時、自分にこう言って見て下さい。「礼拝の間、私は全ての心配を忘れます。健康上の心配や経済的心配や家族の心配や将来の事の心配などを全部降ろして、神の愛と恵みに注意を集中します。讃美歌を心から歌って、祈りを神に捧げ、そして、御言葉は私の為の神からのメセージと信じます。」自分にそのように語ると、主において喜ぶ事が出来、心配が小さくなります。

使徒パウロ御自身もそうなさいました。福音を述べ伝える為に、牢に入れられた時、パウロと同僚シラスは心配する代わりに主において喜んで、二人で讃美歌を歌いました。

【天の父が共におられるので】

今朝、皆さんの中で心配の故にストレスを感じる者がいらっしゃるなら、自分にこのように語って見て下さい。「頭から離れない色々な問題があります。けれども、私は独りではなく私の問題を解決して下さる天のお父さんがおられますから、喜ぶ事が出来ます。健康の故に、この世での将来は分かりませんが、私は天国への確かな約束がありますから喜びます。死も生も、将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、そのたどんな被造物も、私達の主キリスト•イエスにおける神の愛から私達を引き離すことは出来ないので、私は喜びます。」

愛する兄弟姉妹、「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」

【第二の秘訣:広い心】

心配を征服する為の第二の秘訣は5節に記されてあります。それは、「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。」つまり、自分の問題と心配に集中するだけではなく、廻りの人々に思い遣りを示して、仕える事によって自分の心配を忘れ、乗り越えられます。そして、恐らく他の人の問題とチャレンジを見ると、自分の重荷は比較的に軽い事にすぐ気づくはずです。

【第三の秘訣:祈り】

第三の秘訣はこのように記されています。5節の後半から見て下さい。「主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いを捧げ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト•イエスによって守るでしょう。」

私達は神の御臨在と共にいる事を自覚する必要があります。そして、共にいて下さる私達の主なる神は私達の祈りを聞いて下さいます。そう言う神に私達は心配や思い煩う前にお祈りをする事が大事です。聖書はストレートに私達に言っています。「求めているものを神に打ち明けなさい。」そうすれば何と記されているのですか。「あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト•イエスによって守るでしょう。」

心からの礼拝と祈りを捧げると、神は御自分の平安を私達に贈って下さいます。その平安は私達の心配よりも遥かに大きいです。

【第4の秘訣:善なることに心を】

最後に使徒パウロはこのように勧めて下さいます。8節を見て下さい。「終わりに、兄弟たち、すべて真実な事、すべて気高い事、すべて正しい事、すべて清い事、すべて愛すべき事、すべて名誉な事を、また、徳や称賛に値する事があれば、それを心に留めなさい」と記されています。その意味は、心配になる事と鬱をもたらす事の代わりに、気高い事や清い事や愛すべき事などに集中すべきです。つまり、神の愛と赦しと約束を覚え、心からその素晴らしいものを信じます。そうすると、全ての心配を追い出して下さる平安の神は私達と共におられます。(おわり)

2009年02月22日 | カテゴリー: フィリピの信徒への手紙 , 新約聖書

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