神の国にふさわしい者 ウイリアム・モーア宣教師

ルカによる福音書9章57−62◆弟子の覚悟

57:一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。58:イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」59:そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。60:イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」61:また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」62:イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。

【あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります】
皆さん、先程読ませて頂いた、今日の御言葉を聞くと、どう思われましたか。ちょっと驚きましたか。と言うのは、三人の人が次から次へと主イエスにやって来て、「あなたに従います」と宣言しました。つまり、弟子として「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」とイエスに言いました。主にとってそれは何よりも嬉しいお話ではありませんか。何といっても、出来かぎり多くの弟子を集める事によって、御自分の働きがうまく遣りやすくなり、社会にも強い影響を与える事ができます。ですから、「あなたに従います」と言う人がどんどん出て来ると主イエスは大いに喜んだはずです。しかしながら、喜びを持ってその献身を熱く歓迎するよりも、逆にイエスは驚くべきことに、却って止めさせようとするような返事で答えられました。

【第一の献身者】

57節を見ますと、第一の献身者は主イエスのもとにやって来て、こう約束しました。「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります。」すると主は不思議にもこう答えました。「狐には穴があり、空の鳥には巣があり。たが、人の子には枕する所もない。」 

【第二の献身者】

イエスは次の人に、「わたしに従いなさい」と招きました。そうすると彼はこのように返事しました。「主よ、まず、父を葬りに行かせてください。」そしてイエスは彼に厳しく言われました。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」

【第三の献身者】

更に第三の献身者は主に来てこう誓いました。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせて下さい。」そうすると、62節にイエスは消極的に答えます。「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われました。

主イエスはいったい何を考えたのでしょうか。弟子になろうとする者にちょっと厳しいのではありませんか。その態度だったら、新しい弟子を集めるどころか、古い者も去ってしまいます。表面的にはその三人の願いは合理的でした。その反面、イエスの返事はちょっと理解し難いです。実は第一の献身者は条件なしでただ、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言いました。その素晴らしい決心なのに主は、「狐には穴があり、空の鳥には巣があり。たが、人の子には枕する所もない」と言われました。つまり主は、「私に従って来たら、あなたは私のようにホームレスになる」と返事しました。「どこでも従って参ります」という事は優しい事ではありませんとの意味です。

【天国の栄光を捨てて】

イエス・キリスト御自身は子なる神としての天国の栄光を捨ててこの世に下りました。裕福の代わりに貧困になって馬小屋で生まれした。「枕する所もない」とおっしゃった通りです。つまり、家と呼ぶ所がありませんでした。巡回しながら愛する者の家で主は泊られました。またエルサレムに入った時、借りたロバに乗って入りました。弟子達との最後の晩餐は借りた部屋で行いました。そして、主のお墓も借りた物でした。

【全ての者の僕となられた主】

主は天地万物を造り、それを治めましたが、この世に下ると全ての者の僕になりました。自ら進んで全人類の贖いになる為、御自分の命を十字架で犠牲にする程、僕になりました。それはあなたと私の救いの為でした。

主イエスは家や財産やお金や権力などに頼りませんでした。その代わりに父なる神のみを信じ頼りました。そして誰も、何もその信仰と安心を主から奪い取る事が出来ませんでした。

【第一の献身者:神を第一に】

詰まる所、主イエスは第一の献身者にこう言われました。「もし私が行く所、どこへでも従って来ると言うなら、物質に頼るよりも、先ず神に頼らなければなりません。神こそがあなたの唯一の保証になります。そのような信仰を私から学ぶ心があるなら、是非私に従って下さい。しかし、持っている家と富と社会的の地位を第一に頼るつもりなら、あるいは私に従う事によってその物を得ると思うなら、がっかりして、私に従わない方が良いのです。」 

【神の約束と愛と救いは変わらない】

愛する兄弟姉妹、私達の保証も神であります。富は失い、財産も錆び、いくら沢山あっても無くなると持って行く事が出来ません。しかし、神の約束と愛と救いは変わる事がなく、完全に頼る事が出来ます。主イエスが言われた通りです。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私の為、また福音の為に命を失う者は、それを救うのである。」(マルコによる福音書8:35)実にイエス・キリストに従う事のみが真の命に到ります。

【第二の献身者:父が死んでからとは】

イエスは第二の献身者に近づいて、「わたしに従いなさい」と招きました。そうするとその人はこのように返事しました。「主よ、まず、父を葬りに行かせてください。」その願いは絶対に無理ではありません。もし家族の者が召されると、葬儀をして葬る事は当然です。ユダヤ教の律法にその責任ははっきりと記されています。しかし実際にその人のお父さんはまだ生きていました。ユダヤ人の葬儀は死んでから翌日に行いますので、もしお父さんが亡くなったら、その人は実家にいるはずでした。

実は、その表現、「まず、父を葬りに行かせて下さい」は、「父が死んでからあなたに従います」という意味なのです。お父さんの仕事を手伝うか、彼の面倒を見る責任を感じて、主イエスの弟子になる為に実家から離れる事は難しいと伝えたかったのです。イエスに従いたかったけれども、その時は難しいでした。だから、「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」と願いました。

その返事を聞くとイエスはこう言われました。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」父の死を待つまでイエスに従う事を後回しにしてはいけません。家族の他の人が父の面倒を見られると言う事です。そして、今のチャンスを逃がすと、多分後でもイエスに従う気が戻って来ないとイエスが言いました。あるいは、実家に帰ってまた他の責任を負わせられると、お父さんが亡くなっても主に従う事が尚更に難しくなります。ですから、今、「あなたは行って、神の国を言い広めなさい」と主は彼に招きました。

【今、従う決断を】

私達も同じ状態ではありませんか。イエス・キリストに従えないと言う言いわけが山程あります。「キリスト者になったら、廻りの者にどう思われるでしょうか。」「もっと善い人にならないかぎり、私はキリスト者になれない。」「聖書とキリスト教について分からない事が多い。まだまだ十分ではないからイエスに従う事が難しい。」しかしながら、その言いわけを言いながら、主に従う事を後回しにすると、恐らく後で機会が少なくなり、チャンスが逃してしまう事がしばしばあります。

【チャンスを失うな】

心理学者によりますと、もし私達人間は何かに対してやる気があっても、その事を近いうちに実行しなかったら、将来に同じ気持ちを経験すると、実行の可能性がもっと少なくなります。例えば、誰かに感謝の手紙を今日書くべきだと判断しても、明日まで延期したら、多分その手紙を書く事がありません。主イエスは今日の御言葉に於ける第二の献身者と私達にも、御自分に従う事を延期するのではなく、そのチャンスを捕まえ、すぐでも実行するようにと教えて下さいます。

【第三の献身者:まず家族に別れを】

第三の献身者はイエスにやって来て、こう言いました。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせて下さい。」ここでその「まず」は問題点になりました。「あなたに従いますけれども、まず、家族に別れを告げに行かなければなりません」と言う事です。すなわち彼は主イエスの代わりに家族を優先的に取り扱いました。そうするとイエスはこう答えました。「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない。」

【後ろを顧みる者とは】

私は鋤と牛で畑を耕す経験がありませんが、この表現が十分、分かります。つまり、まっすぐに鋤き起こす為、前方へ見る必要があります。行きたい方向にある目印を見詰めながら前へ進む訳です。後ろを振り返ながら畑を耕すと、鋤跡はめちゃくちゃになり、遣り直すしかありません。

【後ろを振り返る者は神の国にふさわしくない】

第三の献身者は後ろの方へ見ながら、すなわち自分の家族の事を優先しながら、主イエスに従おうとしました。その信仰は「神の国にふさわしくない」と主イエスは言われました。つまり、その考え方があれば神の国の為の働きと証は不十分です。神の事を優先すべきです。神は私達のニーズと私達の家族のニーズが誰よりも分かります。そして、忠実にそのニーズを与えて下さいます。しかし、私達は第一に神の事と御自分の働きを尊重しなければなりません。イエスはこう言われました。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイによる福音書6章33)

ここでの「これらのもの」は私達のニーズの事です。神の子供として私達はまず神に集中すべきです。そうすると愛する神は必要な物を備えてくださいます。

【真に主にしたがうとは】

三人の献身者は主イエスの元に来て、「あなたに従います」と告白しました。そうするとイエスは御自分に従う事の意味を教えて下さいました。第一の献身者に、物質の物の代わりに神に頼り信じなければなりません。そのように主イエスに従うと神の国にふさわしく者になります。

第二の献身者に、主に従うチャンスを逃さない為に後回しにしないようにと教えて下さいました。言い訳を言ってイエスに従う事を延期してはなりません。主に従うならば、直ちに従うべきです。

また主イエスは第三の献身者に、優先的に御自分に従う必要性を教えて下さいました。後ろの方へ見るのではなく、前にいらっしゃるイエスのみに見詰めながら主に従わなければなりません。

イエス・キリストに会ったその三人の献身者はどうなりましたか。実は聖書にその事が記されていません。イエスの言葉に躓いて、主に従う決心が鈍りましたか。あるいは彼らは、主の教えを素直に受け、イエスのみを信じ、直ちに、また優先的に主に従って来ましたか。愛する兄弟姉妹、私達は神の国にふさわしくなる為に、主イエス・キリストにのみ従いましょう。(おわり)

2008年10月12日 | カテゴリー: ルカによる福音書 , 新約聖書

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