祝福の源となるように ウイリアム・モーア宣教師

聖書 創世記12章1−4◆アブラムの召命と移住

1:主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。2:わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名 を高める/祝福の源となるように。3:あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」

4:アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。


【神との損得勘定】

ある会計士が自分と神との計算書を作成しました。彼はよく考えて、その会計書に神から頂いた恵みと祝福を全部記帳しようとしました。自分の命や日々の糧や健康や住む家や友人や家族や信仰などを会計帳簿に詳細に記入しました。そして考えれば考える程記入が多くなり、計算帳簿はいっぱいになりました。それから会計士は自分が神様の為にした事を記帳始めました。積んだ善行を記入しようとしたが、あんまり立派なものではありませんでした。ある程度の施しや人助けなどを計算帳簿に記入しましたが、あまり思い出せませんでした。神から授けられた恵みと比べると本当に僅かでした。彼は道徳的に生きようとしましたけれども失敗が少なくなかったのです。更に信仰の歩みも色んな面で欠けていました。計算帳簿を見ると、差し引き勘定をする事が全く不可能であるとよく分かりました。「間違えなく神様は私の貸し主で、私は赤字から抜け出す事が出来ません。主から頂いた恵みと比べると私がした事は計算する価値がない」と告白しました。

【すべては神の賜物】
考えてみると間違いなく私達一人一人もその会計士と全く同じ立場であります。愛する神から授けられた豊かな祝福と恵みは数え切れません。全ての善きものは主の御手から頂きますので、罪人である私達は神と差し引き勘定をする事はとても無理です。赤字ばっかりです。それにも関わらず、神は御自分の恩恵と祝福を私達に注ぎつつ、素晴らしい賜物を授けて下さいます。

【信仰の大先輩アブラハム】
今朝、皆さんと共に愛する神の祝福と、その祝福の目的について考えたいと思います。つまり、主の大きな祝福を受けた私達はどう言う反応を表すべきでしょうか。その質問に答えるように、信仰に於いて私達の大先輩アブラハムの例を学びたいと思います。

【あなたは生まれ故郷、父の家を離れて】
今日の御言葉によりますと「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。』」

【アブラハムの召命と神の民イスラエル】
このアブラハムという人物は誰でしたか。そして、神は何故彼を召命されましたか。アブラム(はじめの名前)は神が大洪水から救われたノアの子孫でした。彼の家族は偶像を崇拝しましたけれども、後で真の神を礼拝するようになりました。しかし、前の宗教と完全に離れなかった為、その礼拝は欠けていました。ですから、全能の神は真の宗教と礼拝を全人類に賜る為に、新しい民族を設立しようとしました。そして、その「イスラエル」という民族を通して御自分の祝福と救いを全地に授けるつもりでした。

【アブラハムの選び】
神は何故かこの最も大事な使命をアブラムに委ねましたか。実は、その説明は聖書にはっきりと載っていません。アブラムは極普通の人でした。家畜を飼って生活をしました。それ以外、彼について教えられていません。しかし、その妻サライについてこう記されています。「サライは不妊の女で、子供ができなかった。」(創世記11:30)

神はその家族から新しい民族を造るのはちょっとありそうもないですが、御自分の知恵によってわざわざアブラムを選んだのです。実は、アブラムは信仰の故に神によって選ばれました。主こそが御用を果たす為にアブラムに信仰を豊かに授けて下さいました。その結果、彼は神を徹底的に信じ、主に従う心があったので、最も大事な使命を果たす為に選ばれました。力強く、頭が良いからではなく、あるいは優れた学歴や家柄(いえがら)などでもなく、信仰の故に、全世界の人口からアブラムが選ばれました。神はそのような信仰深い者を力強く用いられるので、アブラムをお召しになりました。

「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。』」神はどのようにその召命をアブラムに伝えたかは教えられていません。幻を通してか、御自分の声をアブラムに直接に聞かせたか分かりませんけれども、その召命を頂くとそれは神の声と固く信じ、直ちにその声に従いました。

その神からの召命の内容は何でしたか。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい」と言われました。つまり、自分の故郷,自分の国を捨てるようにと命令されました。アブラムは現在のイラクにあるカルデアのウルに生まれました。そこで大きくなり、その言葉を喋って、もちろんその文化と習慣は自分のものになり、他に知りませんでした。

しかし、神はそれを離れるようにと言われました。更に、アブラムは自分の親戚を残して行くようにと命令されました。愛する者、支え助けて下れる者と離れなければなりませんでした。そして、目的地は何と言う国でしたか。神はまだその事をアブラムに教えて下さいませんでした。ただ、「わたしが示す地に行きなさい」と言われました。

【行く先を知らずして】
言うまでもないが、人は移住する時、その目的地の詳細を知りたいでしょう。例えば、その国は自分の国よりも豊な所、あるいは目的地へ行けばどんな仕事が出来かという事を知りたいです。私の先祖はイギリスとフランスから出て、数百年前にアメリカへ移住しました。動機は色々あったけれども、おもにアメリカの信仰の自由と経済的機会を求めて、親類と生まれ育つ国とその文化を捨てて、もっと良い所へ行くと思って渡りました。

しかしながら、アブラムはそのような動機で国を出て行きませんでした。彼は割合に豊かな人でした。また、信仰の為に迫害を受けませんでした。実は、神からの召命がなければ、移住する希望が全くなかったと思います。特に知らない国へ移るのはリスクが多くて、駄目になる可能性も高かったのです。

【神の新しい業のために】
事実、神がアブラムにその召命を与えたのは理由がありました。主はアブラムを通して素晴らしく新しい業を行おうとしました。そしてその使命を果たすように新しい出発が必要でありました。真の神の礼拝を覚える為には自分の国の宗教の影響から離れる必要もあった事でしょう。そして、神のみに頼り信じるように馴染みの国と父の家から出て行かなければなりませんでした。更に、神はアブラムを通して新しい聖なる国と民族を造る為に、彼は自分の国を捨てて、主が導く新しい所へ行く必要があったのです。

【素晴らしい約束】
しかし、神がアブラムに語ると、ただ命令だけではありませんでした。その召命に伴って主は素晴らしい事をアブラムに約束しました。今日の御言葉の2節を見て下さい。主はアブラムにこう言われました。「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」と神は誓いしました。

【神がともに】
このアブラムへの神の約束を見ましょう。実は、今日の御言葉の1節にも約束があります。それは、「わたしが示す地に行きなさい。」つまり、アブラムは自分の知らない地へ一人で行く訳ではありません。神こそが彼と共に行き、案内してその地へ導いて下さいます。

【わたしはあなたを大いなる国民に】
次は、「わたしはあなたを大いなる国民に」すると神が約束しました。 結構年配であったアブラムと妻のサライは子供がいませんでした。しかし、ここで「大いなる国民に」なると約束して下さった主は後で奇跡的にその約束を果たしました。

【あなたを祝福する】
更に、神は「あなたを祝福」すると言われました。つまり、御自分の働きをする為に神は必要な糧や知恵や力などをアブラムに与えると約束しました。

アブラムは「あなたの名を高める」と言う約束も受けました。世界中、また歴史中、自分の事が知られていると言う約束です。

【祝福と呪い】
「あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う」と主はまた約束しました。その意味はアブラムを助ける人は神の祝福を受けます。そしてその反面、アブラムを反対する者は神の裁きを受けるという事です。

【地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る】
最後に、アブラムは「地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る」との約束を頂きました。神はアブラムを用いて新しい国と民族を造りました。そしてその民族を通して全地の人々が神の祝福に入ります。何故なら、アブラムがなければ、イスラエルと言う民族がなかったのです。そして、イスラエルがなければ、世界の唯一の救い主イエス・キリストがこの世に生まれませんでした。イエス・キリストがいらっしゃらなかったら私達とこの世の全ての人々が希望と救いはなかったのです。

アブラムとサライは神と御自分の約束を信じて、主のみが知る国へ旅立ちました。主が彼らを豊かに祝福して全ての約束を果たして下さいました。2節に記されているように彼らは「祝福の源となるように」大きな祝福を神から頂きました。

【私達も祝福の源】
愛する兄弟姉妹、私達一人一人も恵み深い神から数え切れない程の祝福を頂きました。イエス・キリストの贖い死を通して私達の罪が赦され、神に和解されました。そしてその救いの故に私達は大きな希望を持ち、死んでも永遠まで主の祝福を頂く事になりました。神は私達と共にいて、喜びを与え、慰めて、助けて、励まして、そして必要なもの何でも与えて下さいます。アブラムと同じようにその祝福は私達の為だけではありません。間違いなく、私達も「祝福の源となるように」祝福を受けたのです。

神はアブラムをお召しになりました。そして、同様に子なる神イエス・キリストは、「わたしに従いなさい」と招いて下さいます。と言うのはイエス・キリストの大きな愛を隣人に現す事によって私達も祝福の源となります。私達が豊かに受けている恵みと祝福を自分一人で持っているのではありません。つまり、私達の毎日の歩みを通して受けた多くの祝福を隣人に差し伸べる、主イエスが持っておられる愛を分かち合うべきです。そして、その愛の業の中で、イエス・キリストの救いを知らない者に、行いと言葉で知らせるのは最も大事で、最も大きな祝福の源となるのであります。

【75歳は若い】
とても意味深い事ですが、今日の御言葉の4節にこう記されています。「アブラムは、主の御言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発した時、75歳であった。」

愛する兄弟姉妹、信仰においては熟年も若い者も、主は御自分を信じる者に新しい召命を与えて下さいます。どうか私達も神の声を聞き、そして、祝福の源となるように、その声に従いましょう。(おわり)

2008年09月07日 | カテゴリー: 創世記 , 旧約聖書

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