神への道は多いのでしょうか ウイリアム・モーア宣教師

使徒言行録17:22−34

◆アテネで   22:パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。23:道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。24:世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。25:また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。  26:神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。27:これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。28:皆さんのうちのある詩人たちも、/『我らは神の中に生き、動き、存在する』/『我らもその子孫である』と、/言っているとおりです。29:わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。30:さて、神はこのような無知な時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。  31:それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」32:死者の復活ということを聞くと、ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った。33:それで、パウロはその場を立ち去った。34:しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。

   

【定年退職した男の話】
ある男の人は長いキャリアを経て、やっと退職の日がまいりました。そして、その記念すべき日と自分の第二の人生の始まりを祝う為に、旅行の計画を立ちました。それは世界一周の旅でした。ずっと仕事で忙しかったので、見に行きたい所が沢山ありました。古代エジプトのピラミッド、アメリカのグランドキャニオン、スイスの風景、アフリカの野生動物などを自分の目で見たかったのです。旅行の出発の日を楽しみに待ちながら自分にこのように言いました。「私は長い間頑張りました。真面目な生活をして、同僚と家族の者に迷惑をあんまりかけませんでした。ちゃんと国に税金も払って、一度も警察のお世話にならなかったのです。しかも、出来るだけ困っている人に手を延ばし、助けて来ました。ですから、私は誰よりもこの旅行に値するべきです。」

いよいよ、待ち望んだ世界一周の旅の出発の日を迎えました。旅立つ皆の人と同じように鞄を積んで、空港へ行って、チェックインカウンターの前に並びました。しかしながら、皆と違う事が一つありました。それは切符を持っていませんでした。なぜなら、長い間、真面目に生きてきて、また、自分が善い人の故に、切符がなくても、退職の旅行に値するべきだと思ったのです。やっとチェックインカウンターの前に立ち、鞄を計りに乗せました。最高の気分で空港の人に、「今日、 世界一周の退職旅行の始まりだ」と言いました。そして、「それは良いですね。おめでとうございます。お手数ですが、切符を見せて下さいませんか」と空港の人が言いました。そうすると、男の人はこのように返事をしました。「実は、切符を持っていませんが、理由があるのです。実は、私はずっと若い頃から真面目に生きて来て、誰にも迷惑を掛けませんでした。更に、沢山の困っている人を助けました。ですから、私はこの旅行に値するべきだと思います。行かして下さい。」空港の人はそのお話を聞いてびっくりして言いました。「お客さんは自分が世界一周旅行に値するべきだと言っても、残念ながら、切符がいります。」
 
男の人はもう一度自分の立場を主張しました。「私は一度も人の物を盗んだ事がありません。全ての事に於いて正直に生きて来ました。家族と会社に対して責任をちゃんと果たしました。その故にこの旅行に行かせて下さい。」空港の人は男の人のお話を聞いても、また言いました。「例外なく、切符が持ってないと絶対に飛行機に乗れないのです。お客様は立派に生きて来たと言ってもそのルールは変わりません。申し訳ございませんが、飛行機に乗りたいのなら、切符を見せなければなりません。」
 
男の人はそのお話を聞くとかなりショックを受けて、悲しそうに自分にこう言いました。「確かに私は善い人でした。優しいし、人に迷惑を掛けた事がありませんでした。それなのに、憧れた世界一周の旅行が許されていなかった。値するべきものだと思ったのに、大間違えだったのよ。」
 
聖書には載ってありませが、先程のストーリは譬え話です。実は、譬え話における男の人の考え方は珍しくはありません。つまり、真の神への道はおもに自分の行動を通して達成するものです。犯罪を犯してないし、人に迷惑を掛けないし、真面目に生きる事、また出来るだけ人助けをするなら、神は自分を受け入れる事になると言う仮定です。そして、その仮定に伴って、全ての宗教はその信者を神に導きます。もしその宗教を心から信じたら、その内容と教えは何でも構いません。最近ポップスター、マドンアはこのように言いました。「私はユダヤ教会堂へ行き、また、ヒンドウー教の勉強もしています。全ての道は神へと導くからです。」同様に、ある有名な女優はこう言いました。「私は神を信じます。しかし、神は仏陀か、エホバか、アラーかさっぱり分かりません。」
 
【八百万の神に「知られざる神」】
実は、この考え方は最近の現象だけではありません。大昔、古代のギリシアにも宗教に対してそう言う態度は流行っていました。ギリシアの主要な都市アテネは特にそうでした。「アテネには人よりも、偶像が多い」と言う諺があったそうです。その都市の道路には偶像がずらりと並んでいました。アプロデイーテーは愛と美の女神でした。アポロは太陽神でした。また、詩歌と音楽と予言などをつかさどりました。アレースは戦争と殺害の神でした。デイオニュソスはお酒とお祭りの神でした。ギリシア人は数え切れない程の神を祭りました。そして、その八百万の神の中に「知られざる神」も拝みました。まだ知られてない神の感情を損なわない為に、その神をも礼拝したのです。結局、彼等は拝むべき神が分からなかったので、全てを拝もうとしました。
 
【学問の都アテネ】
その当時のアテネは西洋の学問の都でした。有名な大学があって、哲学、文学、科学と美術の中心になりました。アテネは学者と哲学者の町でしたが、宗教においては混乱な状態でした。つまり、道徳的な生活を歩むなら、自分の礼拝の対象は別に構いませんでした。神への道は多いからです。
 
今日の御言葉に記されていますが、使徒パウロは伝道の為に学問の都アテネに入りました。彼は先ずユダヤ人の会堂へ行って、ギリシアに移住した同民族にイエス・キリストの福音を伝えたのです。しかし、主イエスの救いはユダヤ人の為だけではないので、パウロは町の広場へも行って、居合わせた人々に話掛けて伝道しました。そこで哲学者達がパウロのお話を聞いて、興味深いと思い、アレオパゴス、すなわち最高法廷に連れて、このようにパウロを頼みました。

「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことを私達に聞かせているが、それがどんな意味なのか知りたいのだ。」

(17:19−20)
 
そのように頼まれると、使徒パウロは立ち上がって、アテネのインテリの前に力強く、真の宗教を説き明かしました。パウロのお話をもう一度聞いて下さい。今日の御言葉の22節の所を見て下さい。

「パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。『アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、私は認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝む色々なものを見ていると、「知られざる神に」と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを私はお知らせしましょう。世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えて下さるのは、この神だからです。神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至ところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地(きょじゅうち)の境界をお決めになりました。これは、人に神を求めさせる為であり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことが出来るようにという事なのです。実際、神は私達一人一人から遠く離れてはおられません。皆さんのうちのある詩人たちも、「我らは神の中に生き、動き、存在する」「我らもその子孫である」と言っている通りです。私達は神の子孫なのですから、神である方を、人間の技(わざ)や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。さて、神はこのような無知な時代を、大目に見て下さいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。』」

 
【神への道は一つ】
このお話で使徒パウロは迷わずに真の信仰を宣言しました。神への道は多くはありません。一つの道だけです。そしてその唯一の道こそは天の父なる神の御子イエス・キリストです。そのキリストは、

「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、だれも父のもとに行くことが出来ない」


(ヨハネによる福音書14:6)と言われました。私達は決して人間が考え出したり、人間の手で作った、実際に存在しない偽りの神を拝む事によって、真の神に導かれるはずがありません。また、譬え話の男の人のように、自分の正しさに頼っては、私達は真の神によって受け入れられません。失敗と弱さの故に人間の義は遥かに足りないからです。神は、救いに至る一つの道のみを備えて下さいました。それは御子イエス・キリストの贖い死です。罪の全く無い主イエスは私達の罪の為の罰を御自分の身に受け、私達の為に十字架で死んで下さいました。更に、神は御子を復活させた事によって、その救いの御業を承認された訳です。
 
【裁きの日】
そして、使徒パウロが話した通りに、神は

「この世を正しく裁く日をお決めになりました。」


その日、私達一人一人は神の御前に出て、罪や過ちの為に主の裁きを受けなければなりません。その時、イエス・キリストを心から救い主として信じる者は主の完璧な義を頂き、御自分の愛された子供として受け入れられます。永遠に神の御許(みもと)で賛美と喜びの日々を楽しみます。
 
愛する兄弟姉妹、主の大きな愛の故に神は御自分への一つの完璧な道を備えて下さいました。主イエスを信じ、その唯一の道を最後まで歩みましょう。(おわり)

2008年06月29日 | カテゴリー: 使徒言行録 , 新約聖書

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