避けどころなる神、主 ウイリアム・モーア宣教師

詩編7篇1−18

1:【シガヨン。ダビデの詩。ベニヤミン人クシュのことについてダビデが主に向かって歌ったもの。】2:わたしの神、主よ、あなたを避けどころとします。わたしを助け、追い迫る者から救ってください。3:獅子のようにわたしの魂を餌食とする者から/だれも奪い返し、助けてくれないのです。4:わたしの神、主よ/もしわたしがこのようなことをしたのなら/わたしの手に不正があり5:仲間に災いをこうむらせ/敵をいたずらに見逃したなら6:敵がわたしの魂に追い迫り、追いつき/わたしの命を地に踏みにじり/わたしの誉れを塵に伏せさせても当然です。〔セラ   7:主よ、敵に対して怒りをもって立ち上がり/憤りをもって身を起こし/わたしに味方して奮い立ち/裁きを命じてください。8:諸国をあなたの周りに集わせ/彼らを超えて高い御座に再び就いてください。9:主よ、諸国の民を裁いてください。主よ、裁きを行って宣言してく    ださい/お前は正しい、とがめるところはないと。10:あなたに逆らう者を災いに遭わせて滅ぼし/あなたに従う者を固く立たせてください。心とはらわたを調べる方/神は正しくいます。 11:心のまっすぐな人を救う方/神はわたしの盾。12:正しく裁く神/日ごとに憤りを表す神。 13:立ち帰らない者に向かっては、剣を鋭くし/弓を引き絞って構え14:殺戮の武器を備え/炎の矢を射かけられます。15:御覧ください、彼らは悪をみごもり/災いをはらみ、偽りを生む者です。16:落とし穴を掘り、深くしています/仕掛けたその穴に自分が落ちますように。17:災いが頭上に帰り/不法な業が自分の頭にふりかかりますように。18:正しくいます主にわたしは感謝をささげ/いと高き神、主の御名をほめ歌います。

 
【ダビデの敵】
今日、私達はもう一度詩編に注意を向けて、詩編第7編を通して神の御言葉を学びたいと思います。この詩編は旧約聖書の人物ダビデの作品で、その背景は彼にとって大変辛い事件でした。つまり、ダビデを滅ぼす為、敵は彼に対して中傷的な噂を立てました。ダビデの敵についてあんまり知られていませんが、今日の詩編の一節を見ますと、彼の名前が記されています。「ベニヤミン人クシュの事についてダビデが主に向かって歌ったもの」と書いてあります。クシュはこの所以外、聖書に載っていませんから、彼について詳しい事はあんまり分かりません。しかし、彼はベニヤミン族の出身と知らされている事は重要です。何故なら、その当時のイスラエルの国王はサウルでした。そして、サウル王もベニヤミン人で、彼の家来と顧問も殆ど皆は同じベニヤミン族出身でした。しかし、ベツレヘム出身のダビデは例外でした。自分の忠実と実力で、ダビデはサウルの信頼されたよろい持ちになり、王ととても近くなり、宮殿で偉くなりました。
 
【ベニヤミン族出身のサウル王】
残念ながら、サウル王は神に従わなかったので、主は預言者を通してサウル政権の崩壊を宣言されました。更に、神はサウルの後任になる王としてダビデを任命したのです。言うまでもないが、その事でダビデは大変な立場でした。サウル王はもちろん自分の地位と権力を失いたくなかったので、彼はダビデを敵として扱うようになりました。ダビデはサウルに対して忠実であって、決してサウルに代わって王になるつもりはなかったのです。しかし、神こそがダビデを王として任命されると、サウルは彼を妬(ねた)んで、滅ぼうとしました。ダビデは国民に大変な人気があったから、サウルは彼を簡単に殺す訳にもいきません。他の方法でダビデを倒す必要がありました。それはダビデに対して中傷的な噂を立てました。その噂の内容ははっきり分かりませんが、恐らくそれはダビデがサウル家に、反逆罪的な行為を企んでいる事でしょう。

【ベニヤミン人クシュ】
そして、今日の詩編の一節のクシュと言う人はその噂を広める者でした。結局、ダビデに対して無実の事を言いふらし、彼の名誉を傷つける事によってダビデの人気を落とさせる計画でした。その画策によってクシュはサウルの政権を保つつもりでした。
 
ダビデはそう言う危機に直面しました。権力のある者が彼を襲って、大きな害を与えようとしました。この事件は略3000年前の事でしたが、現在も同じような出来事が起こります。アメリカの大統領予備選挙に励んでいるヒラリークリントンとバラク・オバマの政治運動を見ると、人間は大昔から今まであんまり変わってないような気がします。彼等は同じ党派なのに、風刺と噂を用いてお互いに相手を倒そうとします。
 
【敵の中傷に対して】
私達はダビデのような有名人ではないですが、相手が私達に害を与える為、中傷と噂を立てると、どうするのでしょうか。神を信じる者として、どうゆうふうにしてその攻撃に耐え、勝利を得られるのでしょうか。今日の御言葉はダビデの経験と証を通して、その事を教えて下さいます。
 
【その中傷は正しいか?】
第一に、そのような攻撃を受けると、先ずそれは中傷かどうか確かめる必要があります。我々人間は非難されるとどんな事でも否定する傾向が強いのです。自分を守りたいから、人間は大抵本能的に悪口と批判を打ち消す気持ちがあります。ですから、言われると、先ずその批判は正しいかどうは確かめるべきです。正直に自分自身を吟味する訳です。
 
【自分に非があれば】
その噂は少しでも正しかったら、中傷ではありません。事実です。その場合、もし自分が相手を傷付けていたら、その人へ行って誤るしかありません。そして、もし批判は正しいけれども自分の過ちが別に人に害にならなかった場合はペトロの第一の手紙2章20節に於けるアドバイスを聞くべきです。

「罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです」


と記されています。
 
【ダビデの潔白】
ダビデは自分の心を正直に調べて、サウルの家来クシュの非難は全く中傷と判断しました。ですから彼は神にこう言える事が出来ました。4節を見て下さい。

「私の神、主よ、もし私がこのような事をしたのなら、私の手に不正があり、仲間に災いをこうむらせ、敵をいたずらに見逃したなら、敵が私の魂に負い迫り、追いつき、私の命を地に踏みにじり、私の誉れを塵に伏せさせても当然です」と、ダビデは神に告白しました。結局ダビデは主にこう言いました。「もし敵の告発が正しかったら、敵の手で私を罰して下さい。」


それ程自分の正しさに確信があったのです。
 
そして、自分の正しさを確かめた上、ダビデは自分の評判と将来を神の御手に委ねました。2節を見て下さい。

「私の神、主よ、あなたを避けどころとします。私を助け、負い迫る者から救って下さい。獅子のように私の魂を餌食とする者から、だれも奪い返し、助けてくれないのです」


とダビデは祈りました。
 
【復讐しないダビデ】
実は、ダビデは十年間、サウルの軍に追い迫られました。その間、ダビデは二度程サウルの命を取る機会があったのに、サウルを殺しませんでした。ダビデはサウルに悪い事を何もしなかったけれども長い間サウルの迫害と中傷を受けました。もしダビデは神に、「サウルに戦い滅ぼす力を与えて下さい」と祈っても、誰でも彼の気持ちを十分理解出来、同情した事でしょう。しかし、逆にダビデは自分の救いとサウルの裁きを神に委ねました。
 
【主こそ避けどころ】
事実、神はダビデの祈りに答えて、彼の命を守り、国民に彼の評判と人気を高めて、ついにイスラエルの王にまでなりました。その反面、サウルの評判は段々悪くなり、敵国によって戦死させられました。ダビデは神を自分の「避けどころ」として信じ、全てを主に委ねました。そして、神はその信仰に答えて、彼を敵から守り、高く上げられました。
 
【神に委ねる】
私達もダビデの例にならって、特に困難の時、神に委ねる事を覚える必要があります。愛する主は誰よりも私達の立場が分かり、誰より、何よりも力強いお方であります。私達一人一人を支えて下さいます。更に、相手を裁くのは私達の責任ではありません。 それは必ず主に任せる必要があります。何故なら、私たちの裁きとは違って、神の裁きは確かで完璧であるからです。
 
【主の裁きに信頼する】
ダビデは神を徹底的に信じ、委ねる心がありましたので、大きな希望を持って、主の裁きを願いました。7節を見て下さい。

「主よ、敵に対して怒りをもって、立ち上がり、いきどおりをもって身を起こし、私に味方して、奮い立ち裁きを命じて下さい。諸国をあなたの周りに集わせ、彼らを超えて高い御座に再びついて下さい。主よ、諸国の民を裁いて下さい。主よ、裁きを行って宣言して下さい、お前は正しい、とがめるところはないと。あなたに逆らう者を災いにあわせて滅ぼし、あなたに従う者を固く立たせて下さい。心とはらわたを調べる方、神は正しくいます。」

 
【主の完全な裁きに委ねる】
ここでダビデは結局神にこう願います。

「私は敵の裁きをあなたに委ねますので、どうぞ、あなたの力と正義に従って裁いて下さい。」


ダビデはこうして神の裁きを期待したからこそ、敵からの害を耐える事が出来、絶望に負けませんでした。神は全てを見て、そして、御自分で定められた時、人を正しく裁きます。
 
【正しい裁きをされる救い主に讃美】
最後にダビデはもう一度神の正しい裁きを思い起こしました。11節からこう書いてあります。

「心のまっすぐな人を救う方、神は私の盾。正しく裁く神、日ごとにいきどおりを表す神。」


そして、18節にダビデはこのように主を賛美しました。「正しくいます主に私は感謝を捧げ、いと高き神、主の御名をほめ歌います。」ダビデは神の救いと裁きを信じ、予め、やがて来るその恵みの為に神に自分の感謝を現しました。そして、主によって勇気に付けられ、どんな困難でも、神の助けで勝利を得る事が出来ると言う確信で満たされました。
 
【神の御子イエス・キリストの恵みによって】
愛する兄弟姉妹、今日の御言葉は旧約聖書時代に生きた私達の信仰の先輩ダビデの素晴らしい証です。彼は主イエス・キリストの来られる前に生きたのに、信仰が与えられ、支えて下さる神の心で満ち足りた恵みを経験しました。しかし、私達、神の御子主イエスを知る者は、なおさら神の愛と憐れみ、神が共にいて下さる御臨在と助けと義とを毎日の生活を通して豊かに経験しています。ですから私達はダビデと共に神にこう賛美します。



「正しくいます主に私は感謝を捧げ、いと高き神、主の御名をほめ歌います。」

(おわり)

2008年05月04日 | カテゴリー: ペトロの手紙一 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 詩篇

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