主イエスによって永遠の命を得る ウイリアム・モーア宣教師

ヨハネによる福音書3章1−17

◆イエスとニコデモ 1:さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。  2:ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」3:イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」4:ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」5:イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。6:肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。7:『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。8:風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」9:するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。10:イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありなが     ら、こんなことが分からないのか。11:はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。 12:わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。13:天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。14:そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。 15:それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。16:神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。17:神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によ    って世が救われるためである。

 

【あなたがどんな人であっても救われます】
ある学者が名門の神学校の学長に選ばれ、学校のPRと紹介の為に色んな所へ巡回して挨拶をしました。ある日、都会にあるロータリークラブに招かれました。集まっていた皆を笑わせようと、面白いと思ったエピソードを語り始めました。その日、彼はロータリークラブの会場まで 地下鉄に乗って来ました。地下鉄から出るとそこには救世軍が貧しい者の為に募金をしていました。そして、クリスマス時期なので学長は献金箱にお金を少し入れました。そうすると献金箱を見ていた救世軍のボランテイアが突然、「あなたは救われていますか」と彼に聞きました。神学長がその出しゃばりを聞くとびっくりして、はっきりした返事をしませんでした。そしたら、ボランテイアさんは、「イエス・キリストを救い主として信じ、主に従っていますか」と新たに尋ねました。そう言う質問を聞かれると、彼は自分の身分をボランテイアに教えようとしました。 誇りを持っていた彼は、「本当は、私は有名な神学校の学長ですよ」と自分の地位を明かしました。きっと、その事を聞くと、しつこいボランテイアは静かになるだろうと思いましたが、またこう言われました。「そんな事は気にしないで下さい。あなたがどんな人であっても、どんな事をしても、今でも救われますよ。」

【ある夜にイエスを訪ねたニコデモ】
神学長はそのエピソードをロータリークラブに語ると、皆は彼と共に大笑いました。実は、そのお話は今日の御言葉に於ける事件と結構似ています。つまり、ニコデモと言う神学者は主イエスに出会った時、神を喜ばせる為に、自分の永遠の救いを勝ち得る為に、自分の地位と学問に頼っていました。
 
ニコデモは当時のユダヤ人社会のエリートでした。旧約聖書の律法の学者であり、ファリサイ派のメンバーとしてその律法にあくまでも従いました。その上、彼はユダヤ人の議員として、権威と高い威信がありました。ニコデモ先生は誰よりも神の御前に自信を持って、死んだら必ず天国へ行くと言う不動の確信があったのです。彼は神の選ばれた民の中でも最も選ばれた者と思い、自分の正しさを信じ、疑わない心がありました。
 
【主イエスの出現により】
それはニコデモの現状でした。つまり、イエス・キリストが現れるまでの現状でした。彼は主イエスの教えを直接に聞いたか、その教えを人から聞いたかは分かりませんが、今日の御言葉を読みますと、ニコデモは自分の霊的状態に関して疑いを抱くようになりました。今日の御言葉、ヨハネによる福音書3:1節から3節まで読ませて頂きます。

「さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。『ラビ、私どもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、誰も行う事は出来ないからです。』イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見る事は出来ない。』」

 
【神の国に入るには】
ニコデモはある夜イエスに訪ねて来たと書いてあります。なぜなら、恐らく彼はその訪問を公にしたくなかったのです。地位と学問の高い彼が新しい教えを説く田舎の先生イエスのもとに相談しに行くと言うのは皆の驚く事でしょう。更に、主イエスはファリサイ派の教えを批判して、彼等を「偽善者」などと呼んだ事があったので、ファリサイ派同士でニコデモのイエスとの出会いを聞いたら憤慨するに違いありません。ですから彼は暗い夜中、密かにイエスのもとに来ました。
 
そして、不思議にここで主イエスはニコデモが聞いてない質問に答えています。彼の言葉を聞いたら、ニコデモはある程度イエスを認めました。主を「ラビ」、すなわち先生と呼びました。又、「神のもとから来られた教師」と「神が共におられる」者と判断したのです。しかし、彼は決して、「どのようにすれば神の国に入る事が出来ますか」、あるいは、「永遠の救いの道はどこにありますか」とイエスに聞きませんでした。実際に、主はニコデモの心を読む事が出来ました。口でその質問をしなくても、その事を知りたくて、ニコデモはわざわざ夜中にイエスを訪ねて来ました。ですから主ははっきりと彼の口で問われていない質問に答えたのです。
 
3節を見て下さい。

「イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見る事は出来ない。』ニコデモは言った。『年をとった者が、どうして生まれる事ができましょう。も一度母親の胎内に入って生まれることが出来るでしょうか。』イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。』」

 
【天国行き切符】
「人は、新たに生まれなければ、神の国を見る事は出来ない」とイエスはニコデモに教えられました。そのお話によって主はニコデモが宗教に関する仮定した事を壊してしまいました。何故なら、ニコデモは天国の切符をもう既に購入したと思っていました。つまり、神の選ばれた民の一人として、その事が保証されていると思いました。アブラハムの子孫であるから、神の国に入れると信じていたのです。又、自分の高い地位の為、彼はユダヤ人の中のユダヤ人でしたから、きっと天国に行く確信があったと思います。更に、ニコデモは誰よりもユダヤ教の色々なルールをちゃんと守りましたから、神は彼を特別に愛したと思いました。そのルールに従って生きましたので自分が特別に善い人だと思い込みました。そして、もちろん神は彼のような特別に善い人の為に御自分の天国の門を開いて下さると仮定しました。
 
【偽物の切符】
その考え方に対してイエス・キリストは、「人は、新たに生まれなければ、神の国を見る事は出来ない」とはっきりと教えられました。結局主はニコデモにこのようにおっしゃいました。「あなたの地位とルールを守る事は良いのですが、天国に入るのに他の事が必要です。それは、新たに生まれる事です。」ニコデモは神の国への入場券を持っていたと思いましたが、残念ながら、その切符は偽物でした。そして、本当の物を持ってないと天国に入れないと教えられました。
 
【偽札】
この間上海へ行って、向こうは偽札の深刻な問題がありました。ガイドさんはおつりを貰う時は結構偽札が回っているので、おつりを出来るだけ無いようにして下さいと言われました。特に一千円札相当の百ユアンの偽札が沢山出回っているんだそうです。物を買うと店員は出した札をよく調べてから商品をお客さんに渡します。もし、偽札の場合はもちろん断られます。偽札は見た目は同じように見えても、紙切れなのです。
 
【神の御前に立つとき】
皆さん、もし自分が神の御前に立って、「どう言う資格で私の天国に入ろうとするのか」と聞かれると、どう答えますか。「私は道徳的な人で、真面目に一所懸命に生きようとしました」と答えたら、どう言われるのでしょうか。主は、「それは偽の切符です」と言います。又、「私の善い行動は悪い行動より多かったので、入らして下さい」と願っても、同じ返事を聞きます。何故なら、完璧である神の標準はそれより遥かに高いのです。
 
実は、自分の善を持って天国に入ろうとしたら、その善は私の御子イエス・キリストと同等のものにならなければなりません。
 
【悪霊どももそう信じている】
更に、私達は「生きている間ずっとあなたの存在を認めましたので、天国の門を開いて下さい」と答えると、神はこのように返事します。「それも偽切符です。私の御言葉にこう書いてあります。

『あなたは「神は唯一だ」と信じている。結構なことだ。悪霊どももそう信じて、おののいています。』


(ヤコブの手紙2:19)あなたは新たに生まれなければ、私の国を見る事は出来ない。その資格が必要です」と神は言われます。
 
【霊的に新たに生まれる】
そして、あなたはニコデモのように、「年をとった者が、どうして生まれる事が出来ましょう」と聞くと、主はこのように教えて下さいます。「自分の足りない善の代わりに私の独り子イエス・キリストの善に頼らなければなりません。イエスはあなたの罪の罰を十字架で払ってしまいました。その贖い死を通してあなたはイエスの義を受け、私の国に入る事が出来ます。イエスのみに頼って、心から信じ従いますと、あなたは霊的に新たに生まれます。」
 
【ニコデモの善行】
ニコデモはイエス・キリストを自分の救い主として受け入れたかどうかは聖書には教えられていません。しかし、聖書に彼の事がまた二つのところに出ています。ある時、祭司長たちとファリサイ派の人々はイエスを逮捕しようとしました。しかし、ニコデモは議員として主の味方になり、非難されてもこのように主を弁護しました。「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならない事になっているではないか。」(ヨハネによる福音書7:51)そして、主イエスの遺体が十字架から下ろされた時、ニコデモはアリマタヤのヨセフと共に主の遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従いお墓に葬りました。(ヨハネによる福音書19:38)
 
【主イエスを信じる者になろう】
ニコデモはイエスを尊敬して、危機を冒してまで主を助けようとしましたが、私達は彼が救い主として主を受け入れたかどうかは知らされていません。しかし、私達は自分自身の救いと永遠の命を確かめる事が出来ます。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われる為である。」(ヨハネによる福音書3:16−17)
 
どうか、私たち一人一人も主のみを信じ、今日でもその比べられない恵みと平安を受け入れるように祈っています。(おわり)

2008年04月13日 | カテゴリー: ヤコブの手紙 , ヨハネによる福音書 , 新約聖書

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