霊の結ぶ実:誠実 ウイリアム・モーア宣教師

詩編33
ガラテヤの信徒への手紙5:22−23
 
 
【アマンドと父の約束】
1988年に旧ソ連の共和国アルメニアでサミュエルとダニエルと言う両親は自分の幼い息子アマンドを小学校へ送り出しました。いつものように、お父さんサミュエルは息子を見て言いました。「学校でよく勉強してね。そして、万が一、あなたに何かが起きたら、どんな事があってもパパはあなたをすぐ助けに来る事を忘れないで。」そして、サミュエルは息子を強く抱きしめてから学校へ行かせました。
 
数時間後、力強い地震がその地域を揺らしました。大混乱の中でサミュエルとダニエルは息子の事を尋ねようとしましたが、情報は何もなかったのです。ただ、ラジオのニュースは、「何千人の犠牲者が出た」と伝えるだけです。その事を聞くと、サミュエルは忽ち学校へ走り出しましたが、現場へ着くと悪夢のような光景でした。アマンドの小学校は瓦礫の山と化してしまいました。そして、多くの生徒の家族は泣き悲しんでその酷い場を見詰めていました。
 
しかし、サミュエルはアマンドの教室があった所を捜し、自分の素手で瓦礫を取り始めました。コンクリートの塊と壊れた木の柱と割れた瓦も必死に取り除きました。
 
ある父親は、「何をやってますか」と彼に聞きました。そして、「息子を掘り出している」と返事をすると、「止めなさい、瓦礫は不安定なので、もっと悪くする」と言いました。しかし、サミュエルは続けて瓦礫を取り除こうとしました。彼を見ている他の両親たちは一人ずつ帰りましたが、サミュエルはその作業を止めませんでした。やっと、消防士が来た時、サミュエルは、「助けて下さい、私の息子がこの中にいるんです」と願いましたが、消防士も彼を止めさせようとして、やがて帰りました。
 
サミュエルは休まず一人でその晩ずっと努めました。そして、朝になると生徒の家族は現場に来て子供の写真とお花を瓦礫の前に置いて帰りました。しかしながら、サミュエルは瓦礫を掘るのを止めませんでした。大きな柱を動かそうとした瞬間、「助けて、助けて」と言う子供の小さい叫び声を聞きました。そして、少し後で、「パパ?、パパ?」と言う聞き慣れた声も耳に入りました。そのアマンドの声を聞くとサミュエルは鬼のように瓦礫を掘りました。やっと、 瓦礫の中の空洞に息子の姿を見ました。ほっとひと息つくと、「速く上って来い」とサミュエルは叫びました。しかし、アマンドは、「パパはきっと私を救うから、友達を先に出させて、お願い」と言ったのです。それから、生徒達一人一人はサミェルが掘った穴から出て来ました。最後に小さいアマンドがお父さんの腕に入ってこう言いました。「友達にパパがどんな事があっても僕を助けに来ると言っていたので、みな心配しなかった。」一人のお父さんが誠実であったので、その日14人の命が助けられました。

【誠実と言う聖霊の結ぶ実】
今の世の中は悪いことばかりと言いますが、私達の回りにも、このような誠実が行われているのを見る事が出来ます。
 
今日は誠実と言う聖霊の結ぶ実を学びたいと思います。今まで愛と喜びと平和と寛容と親切と善意を学んで来ました。覚えていると思いますが、聖霊の結ぶ実は神の賜物です。キリスト者なら、聖霊なる神は私達に入り、その実を賜ります。つまり、その実を結ぶ可能性を授けて下さいます。しかし、一つの条件があるのです。私達の内に宿って下さる聖霊の働きを許さなければなりません。それぞれの徳目を実行する意志が必要です。だからこそ、

「霊の火を消してはいけません」


とテサロニケの信徒への第一の手紙5章19節に記されています。神の助けでその聖霊の「火」を消さずに、私達はそれぞれの賜物を生かす事が出来ます。
 
【ピステイス:信頼と誠実】
さて、今日与えられた聖霊の結ぶ実「誠実」はどう言うものでしょうか。毎日の生活に誠実を実行しようとしたら、先ずその内容を理解した方が良いと思います。実は、日本語の聖書に「誠実」と訳されたギリシャ語の原文は「ピステイス」と言います。その原文を調べますと、その同じ単語は御言葉に二つの使い方があります。一つは「信仰」です。つまり、神を信じ信頼する事。そして、もう一つは「誠実」となります。全く同じ単語「ピステイス」は使い方と文脈によって違う意味になる訳です。しかし、その理由はただ偶然ではありません。ある意味では信仰と誠実が関連しています。と言うのは、神は誠実なお方ですから私達は主を信仰する事が出来ます。そして、同様に私達は誠実を現すと、回りの者は私達を信頼する事が出来ます。ですから、私達は誠実な人の言葉を信じられるし、どんな事があっても、その人に頼られます。先程のストーリのお父さんは誠実な人ですから、息子は彼の約束、「どんな事があってもパパはあなたをすぐ助けに来る」と言う言葉を徹底的に信じたのです。聖霊の結ぶ実「誠実」を現すと、回りの者は私達の約束を信じ、私達の信頼性に頼ります。
 
また、信仰生活に於いて私達は神とイエス・キリストの教会にも誠実を現します。人生に於いていつも良い時ばかりではありません。悪い時もあります。しかし、いつも私達は主イエスの戒めに従って、主に頼るべきです。更に、与えられた賜物によって主の教会で常に奉仕します。様々な事によって誠実を実行出来ます。
 
【誠実の源:主なる神】
そして、私達の誠実の模範と源は愛する神にこそあります。つまり、キリスト者は誠実な神に仕えるので、その神の助けによって私達も誠実を全ての事に於いて現します。
 
今日の旧約聖書の個所、詩編第33編は父なる神の誠実を証言します。4節と5節を見ますと、この聖句があります。

「主の御言葉は正しく、御業は全て真実。主は恵みの業と裁きを愛し、地は主の慈しみに満ちている。」


また11節にこの御言葉が記されています。

「主の企(くわだ)ては永久に立ち、御心の計らいは代々に続く。」


そして、18節と19節にこの証があります。

「見よ、主は御目を注がれる、主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人に。彼等の魂を死から救い、飢えから救い、命を得させて下さる。」


神は私達を愛し、そして、その豊かな恵みの約束を永遠に守ります。又、神の性格と目的は絶対に変わりません。私達に対するその愛と慈しみは永久まで続きます。そして、御自分の救いは常に私達を追って下さいます。申命記に記された通り、

「主は岩、その御業は完全で、その道はことごとく正しい。真実の神で偽りなく、正しくてまっすぐな方。」


(32:4)
 
【四季の変化は神の誠実の証】
神は造られた万物を通しても御自分の誠実を豊かに現します。天と地を創造されただけではなく、私達の為に初めから現在までそれを忠実に支えて来ました。毎年春が来て、土は暖かくなります。毎年夏には成長が伴います。そして、毎年秋が来ると涼しくなり、収穫を見ます。今度は、毎年冬になると、神の大自然は休む事が出来ます。多くの人は変わらぬ四季の変化の現象は当然だと思いますが、実際にそれは神の御業であり、神の誠実の表れとなります。
 
【主イエスの誠実】
子なる神・イエス・キリストを通しても神の誠実をはっきりと見ます。特に主は御自分の使命、私達の罪を贖う事を誠実に果たしました。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者である事に固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」


とフィリピの信徒への手紙2章6−8節に記されています。どんなに難しくても、どんなに苦しくても、主イエスは喜んで神の御旨を叶えました。十字架の死を避ける事が出来たのに、自ら進んで私達の為にその道を選んで下さいました。更に、主イエスは現在、天国で父なる神の右に座り、 誠実に私達の為に執り成して下さいます。
 
更に、聖霊なる神はイエス・キリストを信じる者に宿り、私達を慰め力づけ、イエスに忠実に従う為に、全て必要な賜物を溢れるばかりに授けて下さいます。愛と喜びと平和と寛容と親切と善意と誠実と柔和と節制と言う霊の結ぶ実も豊かに賜ります。神の霊は毎日、毎日誠実に私達を助けて下さいます。
三位一体の愛である神は私達に誠実を豊かに示して、完璧な模範を見せたのです。そして、私達はその同じ徳目を現すように神は聖霊の結ぶ実「誠実」も賜りました。
 
【私達も神に誠実を現すべき】
ですから、私達は第一に神に誠実を現すべきです。何よりも主イエスの教えに毎日の生活で従い、神の愛と救いを回りの者に現す事によって神への誠実を表現します。日常の歩みに於いて神の光の子として生きる事によって神への誠実を現します。主の助けに頼り、罪を犯さないように努めるべきです。多くの聖徒達は天に召されるまで誠実に神と共に歩みましたので、私達もその同じ道を歩くのです。
 
【隣人に対する誠実】
第二に、主は私達が回りの者にも誠実を現す事を望んでおられます。先ず家族の者を始め、全ての人と正しい関係を持つべきです。神の被造物として全人類はお互いに責任を持っています。この地球に住む者皆は同じ造り主がありますので、兄弟姉妹です。敵さえも愛しなさいと教えられた主イエスは今の世をどう思われるでしょう。
 
【教会にたいする誠実】
第三に、私達はイエス・キリストの教会に誠実になるべきです。主イエスは教会を通して御自分の働きをなさいたいのです。教会は今、この世にいるイエスの「体」となります。ですから、キリスト者は教会に誠実になり、心から愛し仕えます。もちろん教会は人間で形成されているので、失敗が多いです。しかし、神は続けて御自分の家族、すなわち教会を通して御心を実行しています。ですから、いくら小さい私達であっても一人一人は教会で役割があります。その役割を誠実に私が果たさなければ誰がするでしょうか。
 
聖霊の結ぶ実は誠実であります。神に、回りの者に、キリスト教会に、誠実の実を結ぶようにと教えられています。私達の造り主と救い主を模範として、また聖霊と兄弟姉妹の助けで、私達も天に召されるまで誠実を現したいのです。(おわり)

2007年07月08日 | カテゴリー: ガラテヤの信徒への手紙 , フィリピの信徒への手紙 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 詩篇

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