眠りから覚める時が来た ウイリアム・モーア宣教師

聖書:ローマの信徒への手紙13章11−14
 
【アメリカ滞在中の出会い】
今年の秋、アメリカの教会訪問中、色々な兄弟姉妹と会って、様々な素晴らしい恵みを受けました。沢山の信徒達の家に泊まり、主にあって貴重な交わりを持つ事が出来ました。その交わりの中、特に一つの出会いは印象深かったのです。それは今日から丁度二週間前の時でした。家内と私はサポートをして下さるノースカロライナ州にあるモントリート教会の主の日の礼拝を守りました。礼拝後、私達のすぐ後ろの席に座った三十代後半の男性が話をかけて来て挨拶を交わし、彼は私達に話を始めました。彼はその町の大学の教授で、音楽を教えているそうです。教授は二年前から、毎日頭痛があって、ついにあまりに酷くなった為、病院へ行って診察を受けました。そして、その結果は最悪でした。脳に悪性腫瘍が見付かり、手術をすぐ受けなければならないと、命が長くないと言われてしまいました。その上、手術が難しいので、受けても結果は全然保証されていないとまた言われました。話が出来なくなったり、麻痺になったり、さらに手術室で死んだりする事もあると告知されました。教授は若い家族があって、危なくても一つしかない希望の道、手術を選びました。

【試練は私には益となりました】
手術を受けた彼は少しずつ回復して、リハビリが済むと、ついに教室に戻る事が出来ました。驚く事ですが、彼はその大変な経験について家内と私にこのように言いました。「実は、その試練を受けたのは私には益となりました。何故なら、試練を通して目が覚められたのです。神の賜物、すなわち命の貴重さがやっと悟らされました。私の毎日の生活は神からの特別なプレゼントである事がよく分かって来ました。しかも、試練の御蔭で何が最も重要かの判断をして生きる事が出来ました。それは、毎日の生活を通して神と隣人を心から愛し、主の恵みと救いの証人になる事です。それは何よりも大切です」と教授が言いました。後から聞いた話ですが、彼が病気から大学に戻った時、学生達に沢山の影響を与えたと聞きました。そして、最後にこのように言いました。「病気がまた発生する可能性が多いと言われても、私は悔しいと思えない。試練を通して人生の目的と神の賜物がやっと悟らされたので、私にはこの病気が益となりました。毎日起きると、いつもこのように言います。『主よ、この新しい一日を下さり、心から感謝します。どうか、今日、私を豊かに用いて下さい。』」実際、その若い教授は今日与えられた御言葉が勧めるように、毎日「主イエス・キリストを身にまとう」事をしっかり習いました。そして、感謝溢れて、毎朝新しい日を迎える事が出来ました。
 
愛する兄弟姉妹達、信仰の歩みにおいて「主イエス・キリストを身にまとう」事を習いましたか。すなわち、感謝と期待を持ってイエス・キリストの者として毎日を歩んでいますか。
 
【眠りから覚めるべき時が来た】
今日こそはアドベント、すなわち降誕節の始まりです。アドベントに私達は新たに主イエス・キリストの御降誕の恵みを覚え、クリスマスの霊的準備をします。さらに、アドベントに大きな期待を持って主のこれからの再臨を覚え、準備する季節がまいりました。皆さん、今年のアドベントに主イエスをクリスマスの際に新たに受け入れるように、準備を一緒にしましょう。「眠りから覚めるべき時が来た」と使徒パウロが今日の朗読聖書に書き記しました。どうか、私達はイエス・キリストの御降誕と再臨の比べられない程の恵みによって目を覚ましましょう。そうすると、どんな事があっても、私達は溢れる感謝と大きな期待と希望を持って、毎日を迎える事が出来ます。しかし、私達は神の御言葉を忘れ、この世の考え方とこの世の価値観の影響に負け、感謝と希望が段々小さくなってしまいます。私達は使徒パウロのローマの信徒への手紙に於ける御言葉を忘れがちです。それは12章2に載ってあります。

「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分をかえていただき、何が神の御心であるか、何が善い事で、神に喜ばれ、また完全な事であるかをわきまえるようになりなさい。」

 
【この世の教え】
この世の影響は私達には強いのです。実は、小さい時から私達はその影響をスポンジのように吸収しています。そして、この世は私達におもに何を教えるのでしょうか。第一に、お金と社会的地位は一番大事な事です。この二つさえあれば、大丈夫で、豊かな人生を歩められます。従って、富と社会的地位を得るのは何よりも大事ですので、自分と自分の家族と仲間の益だけを集中すべきです。さらに、この世は、「人間は全てである」事を私達に教えるでしょう。つまり、私達は神よりも、人間に頼り従うべきです。私達の助けは神からではなく、周りの人から来るので、人間関係が何よりも大切です。ですから、神の掟と神の愛、神の存在さえも無視してもかまいません。それはこの世の基本的な教えなのです。
 
【闇の行い】
唯一の全能の神を忘れ、この世の教えに従うと、どうなりますか。御言葉によりますと、その結果は「闇の行い」です。今日与えられた個所の13節の後半を見ると、その闇の行いの一部が載ってあります。それは「酒宴と酩酊、と淫乱と好色、争いとねたみ」です。誰でも争いに参加した事があるし、ねたみを感じた事があると思います。もし酒宴と酩酊と淫乱と好色の直接な参加がなければ、私達一人一人はそう言う考えがあった事だと思います。私達はこの世の考え方と教えに従うと、神に対しても隣人に対しても罪を犯してしまいます。毎日の生活に私達は主イエス・キリストを身にまとう事を忘れてしまって、考え方と行動に対して、この世の人とあんまり変わりがありません。もし正直な人だったら、私達は「神様、罪人の私を憐れんで下さい」としか言えません。そして、使徒パウロと共にこのように告白します。

「私は、自分の内には、つまり私の肉には、善が住んでいない事を知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行出来ないからです。」


(ローマ7:18)誰でもそう言う事をよく経験したと思います。それは罪人である私達の状態です。
 
【救いは近づいている】
しかし、御言葉に於いて良いお知らせもあります。

「今や、私達が信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。夜はふけ、日は近づいた。」


(ローマ13:11−12)
 
そして、

「自分に罪がないと言うなら、自らをあざむいており、真理は私達の内にありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義から私達を清めて下さいます」


と御言葉に記されています。(ヨハネの手紙一1:8−9)
 
私達は、聖霊の助けによって心から悔い改めると、神は御自分の御子イエス・キリストの贖いの死を持って私達の全ての罪を赦して下さいます。罪一つも犯してない主イエスの贖いはどんな罪でも清める力があります。そして、主イエスの贖い死を通して赦された私達に神はこのようにおっしゃいます。「光の武具を身に着けて、また主イエス・キリストを身にまといなさい。」
 
【主イエス・キリストを身にまとう】
どのようにして、光の武具を身に着けて、そして主イエス・キリストを身にまとう事が出来るのでしょうか。それは、聖霊の力によって毎日の生活の中で主イエスの教えを実行する事です。特に、周りの者に接する時、主イエスの深い愛を現す事によって主を身にまとう事が出来ます。つまり、自分の行動と考えにおいて主イエスに似て行く事です。それは信仰生活の最高目標ではないかと思います。何よりもその事が神を喜ばします。
 
【アフリカ奥地に遣わされた宣教師】
れたある宣教師がアフリカの山奥の部落へ行ってイエス・キリストのお話を人々にしようとしました。主の愛と教えと行動の紹介に少し入ると、突然あるおじいさんが立ち上がってこのように言いました。「私達はあなたがおっしゃる方を知っています。昔、彼は家の村に暮らしていました。」宣教師がびっくりして、「それは、不可能ですよ。イエス・キリストが二千年前に遠い国に生まれ、ずっとその国に暮らしていました。決してここには来ませんでした」と言いました。しかし、おじさんはまた主張しました。「違いますよ。間違いなく、あなたが先程紹介した方はここに住んでいました。村の年寄り皆は彼をよく知っていました。」そうして、彼らは宣教師を村の墓地まで連れて、その方のお墓まで案内しました。そのお墓に葬られていたのは医療宣教師でした。彼は長い間その村に住みながら、人の病気を治して、キリストの模範を示しました。そして、最後にその村で亡くなりました。
 
私たちが天に召されてから、人々は私達について同じ事を言うでしょうか。「彼女はキリストに似ていて、近づくと主の香りを感じました。」あるいは、「彼はイエスのような性格を持って、会うたびに恵みを受けました。」人々があなたを見るとき、美しいステンドグラス窓のように、イエス・キリストの光を見ますか。つまり、私達の生活を通して福音が伝えられていますか。

「あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです」


と御言葉に記されています。(ペトロの手紙二3:11−12)
 
誰かがこう言いました。「ある観念(かんねん)を伝えたかったら、その観念を人に包んで送るべきです。」最初のクリスマスに、父なる神は御自分の愛と救いを私達に伝えた時、御子イエス・キリストを通してそのメッセジを送りました。実はイエス・キリストこそはその素晴らしいメッセジでした。

「言葉は肉となって、私達の間に宿られた」


と聖書に記されています。(ヨハネによる福音書1:14)
 
毎日主イエス・キリストを身にまとうと、私達はこの世に同じような役割を果たします。つまり、私達もこの世の人々に神の愛を現します。
 
【小さいキリスト】
宗教改革者であるマーチン・ルーテルはこのように言いました。キリスト者は何処へ行っても人々には「小さいキリスト」になるべきです。未信者が私達を眺めると何を見ますか。自分と全く同じような人間ですか。それとも、小さいキリストですか。私達に小さいキリストをはっきり見ると、きっと福音と信仰を求めると思います。
 
愛する兄弟姉妹達、今日アドベントの季節が再び始まりました。どうか私達一人も残らず眠りから覚めて神の大きな、大きな救いと恵みを日々の生活に生かしましょう。(おわり)

2006年12月03日 | カテゴリー: ヨハネによる福音書 , ヨハネの手紙一 , ローマの信徒への手紙 , 新約聖書

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