「落ち着いた生活」グラハム・スミスKGK主事/CMS宣教師

聖書:1テサロニケ4章11−12節、2テサロニケ3章6−13節
 
1.イントロダクション:聖書は日常生活の指南書
今日はテサロニケの信徒への手紙から神様のみことばに耳を傾けようとしています。みことばに対してどんな期待を持って聞くでしょうか。多くの人々にとって聖書は日常生活と関係が全くないものです。聖書に触れたことがないからです。聖書を読んだことがない人が多いです。
 
読みたくない理由をあげると古い本で、わかりにくい言葉と内容があるからだと言われます。それは確かにそうですが、聖書は日常生活と関係がないという意見は誤解です。聖書は創造者なる神様から出た言葉ですから、人間のすべてに語られているものです。人生の大きなテーマ(人間存在や生ける意味など)だけではなく、細かいテーマまで語られています。
 
例えば、セックスについてとか家庭やお金や言葉使いや環境や健康や人間関係などのテーマに言及します。今日の箇所でも重要なテーマが出てきます。「仕事」というテーマです。11節に簡単に語られています、

「自分の仕事に励み、自分の手で働くように務めなさい」。

ニート
最近日本では就職したくない人が増えているようです。その問題に関して政治家や親や会社や文部省が困っているようです。新しい言葉が生まれました. "NEETS"という言葉です。それはNot in Employment or Education or Trainingという人々を表す言葉です。勉強していない、働いていない、研修などを受けていない人たちをさしています。このグループに、かなり大勢の人がいるそうです。複雑な問題ですが、クリスチャンたちは聖書からレスポンスをすることが出来ます。神様はこの問題に対して関心を持っています。ここで聖書の全体的な答えを言いませんが、パウロの手紙から仕事について教えられたことを考えましょう。
 
2.文脈の確認
その前にこのことばの文脈をもう一度確認したいのです。最初の宣教師であるパウロはテサロニケの町に行って福音を語った結果、新しい教会が生まれました。テサロニケの人々はイエス様に出会ったことによって、考え方と生き方が目立つほど変えられました。迫害のためにパウロはこの町から追い出されました。離されたパウロはテサロニケのクリスチャンたちの信仰を心配して、協力者のテモテを遣わしました。テモテはパウロの所に戻って、良い報告をしたので、パウロはさらに教会を励ますためにこの手紙を書きました。
4章では神様を喜ばせる御心を語っています。それは日常生活の中で行う聖なる生き方です。性的な関係や互いの人間関係において具体的に神様を喜ばせることができます。働く生活も神様を喜ばせます。
 
3.落ち着いた生活
11節と12節を見ましょう。11節は命令で、12節はその命令の理由と目的です。

「落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように務めなさい」 「そうすれば、外部の人々に対しても品位をもって歩み、だれにも迷惑をかけないで済むでしょう。」

 
「落ち着いた生活」とはいったいどういう意味でしょうか。格好いい状態のようですね。忙しい生活を過ごして人は、慰めのことばとして聞き取るでしょう。でもこの手紙の背景があります。
 
テサロニケの第二の手紙は参考箇所になります。3章11節を見てください。テサロニケの人たちの中では

「少しも働かず、余計(よけい)なことをしている者」


がいたようです。おそらくその人たちはパウロがキリストの再臨について語ったことを誤解して、仕事をやめてしまいました。イエス様がもうすぐこの世に戻るということを強く信じて、働く意味が見えなくなって、仕事をしないようにして、締(し)まりのない歩み方をしてしまいました。パウロはこの特別な事情に対して、次のように語っています。12節:

「そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれ者たちとして命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。」

 
この背景を考えると「落ち着いた生活」は働く生活です。
パウロは続けて命じています、

「自分の仕事に励み、自分の手で働くように務めなさい。」


当時のギリーシア人の考え方では手で働くことは地位の低い存在を表すことでした。手で働く人々は社会的に尊敬されなかったようです。パウロの教えの影響によって様々の仕事が意味をもつようになりました。
 
今日では、仕事はどういう意味をもつでしょうか。仕方なくやるべきものか。それとも、人生の意味や満足を与えるものか。多くの人(特に男性)は働くことによって、自分の価値観を示そうとします。働くマシーンになってしまいます。仕事は人生のすべてになってしまいます。最近女性でも仕事を通して満足感を求めようとしています。その結果職場は競争社会になってしまいます。
 
でもNEETSの中では働きたくない人は自分に合う仕事を見つけずに、きらいな仕事をすぐにやめる傾向があります。仕事に対する期待が大きすぎる場合もあります。仕事がうまく行けなかったらあきらめます。働く責任から逃げています。
 
 
 
パウロは働く理由について何を教えましたか。12節に二つがあります。一つ目は外の人たちの尊敬を促すことで、二つ目は他の人々に頼らないように、ということです。パウロの第二の手紙にこのことがもっと詳しく説明されています。パウロは自分の働きのモデルをあげました。3:7

「あなたがた自身、わたしたちにどのように倣えばよいか、よく知っています。わたしたちは、そちらにいたとき、怠惰な生活をしませんでした。」

 
パウロはシンプルなルールに従っています。10節

「働きたくない者は食べてはならない」。「自分で得たパンを食べる」


すなわち、自分の働きによって得た給料で生活をするようにと勧めました。そうすると他の人に頼らないで、自立した生活が出来るようになります。仕事の基本的な目的は自分の生活費を集めることです。
 
それ以上は期待されていません。満足させるためとか、人生の意味を見出すためとか、楽しむためなどは教えられていません。
豊かな日本の社会ではその基本的な理由が忘れがちです。貧しい国々の経験から学ぶことが出来ます。貧しい国では「なぜ働くか」と聞くと、「食べるためだ」と当たり前のように答えるでしょう。仕事についてのロマンチックな考え方を避けた方がいいと思います。
 
聖書の労働観
仕事の関係で苦しんでいる人とか、失業に困っている人々はこの聖書の言葉はがっかりさせるものだという感じがするかもしれません。がっかりしないように聖書全体の労働観を簡単にまとめたいのです。終わりに質問も受けます。まとめだけですので、重要なポイントだけ言います。
1.神様自身は働く者です。創造のわざを始め、神様は今でもこの世界を保っておられます。
2.でも、神様は休むことを大切にしています。創造のわざの最終的な目的は安息です。神様は第七日目に休まれた。モーセの十戒でも安息日を守る律法が重要です。安息ということは聖書の全体的なテーマになります。キリストは安息日の主で、本当の安息は天国という意味にとらえられます。キリストと共にすごす交わりは神が与えようとする安息と言えます。
3.創造された人間の使命は神の主権の下で、この世を管理することです。
4.堕落の結果その使命を果たすことは難しくなりました。アダムに言われた言葉を覚えておられるでしょう。

「お前は生涯食べ物を得ようと苦しむ・・・お前の顔に汗を流してパンを得る土に返るときまで」。

 
コヘレトの言葉でも労働の難しさと空しさがはっきり語られています:

「一生、人の務めは痛みと悩み。夜も心は休まらない。」(2:23)「その一生の間、食べることさえ、闇の中。」(5:16)。


もし仕事に楽しみがあるなら、これこそが神の賜物である。でも期待しない方が良い。
旧約聖書のコヘレトの言葉は知恵ある本です。ぜひこの本の視点を学んでください。コヘルト(ソロモン王のような立場にいる先生)が言うことは次のようです。神様抜(ぬ)きの世界では仕事の意味がないから、

「神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で良いこと」


(5:17)を勧めました。
5.創造者の神、救い主の神、復活の主を信じる人にとって仕事は意味があります。後に来る、完成した神の国を待ち望む人には、この世で生活をしながら、主に仕える手段です。パウロのコロサイのクリスチャンの奴隷たちへのことばを聞きましょう:

「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。あなたがたは・・・主キリストに仕えているのです。」


(3:23−25)
 
私はよく学生たちの就職活動の悩みの相談を受けます。クリスチャンはどんな就職をするべきかという質問があります。聖書は職業の選択についてあまり語っていません。(エフェソ4:28によると)泥棒が禁じられています

「盗みを働いた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい」。

 
聖書はどんな仕事をするということよりも、どのように働くか、ということに触れています。今日の箇所でも、仕事につての勧めは

「聖なる者となること」


の勧めのなかで語られています。3節、

「神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。」「落ち着いたた生活をし、自分の仕事に励み、自分のて手で働くように務めなさい。」

 
聖なることは神秘主義や宗教の世界ではなくて、日常生活のなかで行うものです。職場で行うものです。ですから、働き方が何よりも大切なのです。旧約聖書の箴言では働き方について良いアドバイスを読むことができます。
 
6.最後に福音を伝える働きについて話してみたいのです。生活が出来るための働きとは別な働きがあります。それは福音を宣べ伝える働きです。ある意味では、すべてのクリスチャンは福音を宣べ伝える働きにあずかっています。神の同僚者のようです。神の国のために働いています。キリストの証人としてこの世に遣わされています。職場でもクリスチャンは証の責任があります。
 
しかし、ある人は特別に教会や宣教の奉仕に導かれます。みことばを語る賜物のある人を普通の仕事をする責任からはずして、教会のサポートを受けて福音の働きをします。教会のなかからそのような働き人が与えられるように祈りましょう。
フルタイムで福音の働きが出来る人は限られています。しかし、すべてのクリスチャンは祈りと経済的なサポートによってこのような働きに与ります。どんな仕事をしても、福音の仕事に協力する使命があります。
 
以上はまとめだけでしたが、聖書は仕事や働くことについて充分に語っています。神の創造のわざから、そして、キリストの来臨と再臨において、人間は働く意味があります。テサロニケの信徒への手紙ではパウロは特に仕事をしてない人に対して語っています。働くようにと勧めています。働くことは落ち着いた生活を行うために必要であり、そして、外の人のための証となります。聖書はより具体的な本です。現代の課題と接点がある本です。ますます期待して聖書を読みましょう。ますます、働く態度と姿勢において日本の社会のなかで、立派に振舞うことが出来るように励みましょう。(おわり)

2006年11月05日 | カテゴリー: コヘレトの言葉 , テサロニケの信徒への手紙一 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 箴言

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