思い煩いからの解放 ウイリアム・モーア

聖書:フィリピの信徒への手紙4章4-7節

【思い煩い】
「思い煩い」は誰にでもあると思います。夜中に目が覚めて、思い出し、眠れません。朝起きると、やはり同じ思い煩いが頭の中を巡っています。「ああ、この悩みさえ解決されれば、私はどんなに幸せか」と思って、一ヶ月も、二ヶ月も、心の中は黒い雲のように晴れません。「あんな事さえしなければ、良かったのに」、「あの人が悪い」と自分を責めて、また、人を責めます。

しかし、一つの思い煩いが去っても、しばらくしてまた別な事が起って来ます。自分の中で、家庭で、職場で、また友人の間で。いつまで経っても生活から思い煩いは消えません。

そして、どうしますか。独りになって考えます。また、人に相談します。話すと少し気が楽になったようですが、またそれ以上の思い煩いになります。人は信頼出来なくなったので、今度はお金を払って占い師を訪ねる人もいます。このような方法で一時の慰めを得ても、決して思い煩いをなくしてしまう事は出来ません。

【思い煩いという病原菌】
しかし、考えて見ると、この世の中では思い煩う事は無理もないと思います。誰でもよく知っていますが、この世は危険な所だからです。色々な恐ろしい病気があるし、事故や天災などは珍しくはありません。そして御存知のように人間関係が齎す思い煩いには限りがありません。

それで「誰にでも思い煩いはある事さ。引きずって生きていこう」と心に決めていませんか。「解決の方法はない」と諦めていませんか。しかし、思い煩いを甘く見てはいけません。思い煩いは、全ての人の心の中にあって、人を死にまで追いやる、しつこい病原菌です。思い煩いによって病気になる人は大勢おります。内科医師の弟によると彼の患者の病因の半分ぐらいは精神的な事だそうです。そして、その思い煩いは精神的の原因の中で一番大きくて、万病の元だそうです。

でも思い煩いは病気の元になると言う理由の為だけではなく、また色々な理由でも無くした方が良いのです。第一は先ず、あんまり心配すると毎日の生活は自分を希望と挑戦と成長するよりも、退歩し、自分の生活が面倒臭くなって、楽しくはありません。自分の人生を精神的に豊に生きる事が出来ません。そして、思い煩いを引きずって生きていると、自分の仕事はもちろん良く出来ない、周りの人まで迷惑を掛ける事があります。持っているあなたの才能を半減させます。

【どのようにして思い煩いから解放されるか】
私達皆は思い煩いが良くない事であると認めると思います。思い煩いで悩んだ事のある人は良く分っていらっしゃると思います。しかし、どのように思い煩いからの解放を得るのでしょうか。自分の力で解決出来る方法はありますか。もし自分の精神をもう少ししっかりコントロールするなら、解決出来ますか。もし自分の問題をもっと積極的に扱ったら、心配する理由がなくなるのでしょうか。自分のあらゆる力を使って自分の思い煩いから解放して見て下さい。そうするとその方法は駄目であると言う事が分って来ると思います。

【思い煩いは自分の力で解決出来ない】
前に言いましたように、この世の中には心配する事が沢山あります。色々な問題があって悪い事は限りがありません。そして、私達の力と知恵は非常に有限であり、失敗も数多くあります。実は、思い煩う事を自分の力で解決出来ると思っていたら傲慢です。雲を動かす事と同じです。そしたら、自分の力が駄目だったら、人に頼って思い煩いからの解放が出来ますか。

【他人の力も思い煩いを解放しない】
もし相手が自分を守って、問題を解決して下さったら心配する理由がなくなるでしょう。でもやはり自分の力と知恵と同じように人の力と知恵も限られて、失敗も多くあります。


【思い煩いに対する聖書の教え】
それでは、思い煩いに対する聖書の教えは何でしょうか。その教えは一つであり、はっきりしています。思い煩いはいけない事です。直ちににストップさせる事です。イエス・キリストはこのように教えて下さいました。

「明日の事を思い煩うな。明日の事は、明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」(マタイ6:34)

しかし、忘れよう、捨てようと思っても、すぐにまた思い出されるのです。「どうしようもない。頭をちょん切ってしまう以外、解決方法がないようです。」

思い煩いを取り去る道はだだ一つです。二つとありません。それはあなたを創造した愛する唯一の全能の神に信頼し、委ねる事です。それ以外残された道は一つだけです。それは思い煩いながら生きていくだけです。イヤな事をいつまでも悩み、苦しみ、惨じめな気持ちで生きて行く事です。

子供は心配の種として、与えられているのでしょうか。神からさずけられた宝ではありませんか。いくら理想的な子でも、親にとって心配すれば、きりがありません。病気の子でも喜びの宝となります。子供を心から愛しなさい。それ以外の事は、神にお任せして、信頼するしかないではありませんか。他の道はないのです。

あらゆる面で最善を尽くしましたが、仕事はどうしてもうまくいきません。夜も眠れない程心配するのです。どうしたら良いのでしょうか。答えは一つしかないのです。最善を尽くした後、神に任せて信頼するしかありません。

【のがれの道】
私達より、遙かに多くの悩みを持っていた人がいました。その人の名前は使徒パウロでした。人生の多くの問題と苦難を通ってから、このように書きました。

「あなたがたの会った試練で、世の常でない物はない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせる事はないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(コリント一10:13)

神は真実なお方です。神はどのくらい真実でしょうか。御子イエス・キリストはあなたの罪を負って、代わりに十字架の上で命を捨てて下さる程、真実です。神は耐えられない程の思い煩いを与える事はありません。あなたの生涯に起こる全ての事は神によって守られているのです。唯一の真の神の愛と力と知恵は完全ですから、主を信頼すべきです。主に徹底的に信頼する事です。それは礼拝する時だけではなく、お祈りする時だけでもありません。私達は主を信頼すると言いながら、自分で全ての事を解決しようと考えてはいないでしょうか。「やはり、神様は神様で、私の事は私がしなければ」と神に信頼するよりも、むしろ、自分の力を信頼した生活をしているのではないでしょうか。しかし、もし神に信頼を置けば、思い煩わなくても良いのです。どんな場合でも神は助けて下さいますし、私達と共にいらっしゃて下さいます。

【すべての思い煩いを神にゆだねよう】
わたしの子供達は皆大学生になって、セーラも秋からアメリカへ留学する事になりました。子供が遠く離れると、心配すればきりが無く、心配なことが山程あります。また、親として莫大な学費と生活費を払うのは、やはり心配です。以前は心配しましたけれども今はあんまり思い煩っていません。親から遠く離れても、忠実な神はあらゆる面で子供達を全ての悪から守って下さいました。必要な時、助けて下さる人を送って下さいました。さらに、学費を払う事が出来るように、神は丁度必要な奨学金と他の助けを不思議に備えて下さいました。私達の為の神の愛と助けを見て、また信じますので、今は私と家内は子供の事で心配が本当に少ないのです。彼らの事を神に委ねる事が出来ました。

使徒パウロはこのように書きました。今日の聖書の朗読フィリピの信徒への手紙4章6節からお読み致します。

「どんな事でも、思い煩うのは止めなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いを捧げ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」

完璧な親と同じように愛す天の父なる神は私達の願いと心配を聞いて叶えて下さいます。私達の神はこのような神なので思い煩う必要がありません。

もし今、思い煩いがあるのなら、愛して下さる力強い神を心から信頼し、思い煩いを捨てるように、あなたの心に命じて下さい。そして、このように祈って下さい。「私は神にゆだねます。神が守って下さるからです。私は神の助けで最善を尽くしています。神様、おゆだねします。今、私に平安な気持ちを与えて下さい。」こうする以外にないのです。やってみて下さい。二度、三度とやってみて下さい。これが出来る人になって下さい。神を信じてやって見て下さい。必ず、愛する神の助けで出来ます。そして、やがてあなたは、いつも神が一緒にいて助けて下さる事を確信するようになるでしょう。(おわり)

2006年06月04日 | カテゴリー: コリントの信徒への手紙一 , フィリピの信徒への手紙 , マタイによる福音書 , 新約聖書

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