神を愛する事 ウイリアム・モーア

マタイによる福音書22章34-40 ◆最も重要な掟 34:ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。 35:そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。 36:「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」 37:イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 38:これが最も重要な第一の掟である。 39:第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』 40:律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

【613の掟】 今日の御言葉によりますと、ある日、ユダヤ教の律法専門家がやって来て主イエスにこのように尋ねました。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」その当時、律法はユダヤ教の中心になり、宗教の律法を守る事によって、信者は神を喜ばせようとしました。ですから、専門家達が律法を研究して、御言葉の中から613程の掟を見つけました。そして、その613の掟を「重い」、つまり重要なものと「軽い」すなわち、それ程大事ではない掟に分けました。

またある学者によりますと、律法を重いものと軽いものに分けてはいけない事だそうです。なぜなら、もし神から授けられたものだったら、全ての掟は同じく重要であり、従わなければならないものなのです。ですから、律法を区別する事は神に対して罪になります。ユダヤ教の学者達がこの二つの立場を激しく議論しましたけれども、なかなか決定する事が出来ませんでした。

【最も重要な二つの掟】
恐らく律法の専門家が主イエスをこの問題に巻き込む為、また、試そうとして、

「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」

と聞きました。そして、イエスは迷わずにはっきりとこのように答えられました。

「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」

主イエスのお答えは真に素晴らしいものでした。その二つの掟に神の全ての律法が纏められています。何故なら、もし神を本当に愛するならば、真の神をおいて他の神を拝まないし、神の名をみだりに唱えません。また、神を愛する者は安息日を心に留め、聖別します。同様に、もし隣人を愛するならば、もちろん隣人を殺さないし、その物を盗まないし、彼に関して偽証などをもしません。つまり、愛の掟に従ったら、神の御旨に従って生きる事が出来ます。

「律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」

と主が言われました。もし心からこの二つの掟だけを守ろうとしたら、同時に残りの611の掟も守る事になります。

【愛することは掟の基本】
私達の造り主と救い主である、唯一の神は私達から何を求めておられますか。愛だけです。御自分と隣人に対する愛だけを望んでおられます。と言うのは、もし心から愛するならば、他の要求も果たす事が出来ます。それはイエス・キリストの明白な教えなのです。ですから、イエスの教えを全体的に分ろうとしたら、先ず今日の御言葉を真剣に学ぶべきです。

今日は先ず「神を愛する事」について一緒に考えたいと思います。そして、来週は「隣人を愛する事」を取り扱うつもりです。

【愛は感情とフィーリング以上のもの】
さて、


『「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」』

これが最も重要な第一の掟である」とイエスが言われました。この掟を理解する為、先ず聖書に於ける「愛」と言う概念を学ぶべきです。聖書における愛は何よりも、私達の最も深いところから来る態度なのです。そして、その愛の態度があれば、特定の行動が自然に伴います。ここで「私達の最も深いところから来る態度」と言えば、主に感情とフィーリングと言う意味ではありません。

【愛は態度と行動と選択】
つまり聖書に於ける愛は感情よりも態度と行動と選択です。愛の対象に対して暖かい感情があれば、もちろん良い事です。そのフィーリングがあると愛する事はより簡単になります。しかし、言うまでもありませんが、人間の感情は変わりやすいものです。ある時は愛の感情が熱くなったり、また冷めたりもします。ですから愛は感情に頼るものではありません。その代わりに本当の愛は態度と自分の選択と意思に基づいています。

ある主人は妻によって毎日のように、「私を本当に愛していますか」と何回も聞きました。そして、その度に主人は「もちろん、愛しているよ。誰よりも愛しているよ」と答えました。ある日、また妻が「私を愛していますか」と聞くと、夫はこのように言いました。「30年前、結婚する日に、あなたを愛すると決心しました。もしその決心が変わったら、一番にあなたに知らせるから、もう『私を愛していますか』と聞かなくても良いよ。」ある面でその主人の答えは面白いけれども大事な真理を私達に教えています。つまり、本当の愛は感情に頼るよりも、決心と選択と態度に基づいています。

「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」

と命令されると、私達は愛する事が出来ますか。神を直接に見た事のない私達はどうして神を愛する事が出来ましょうか。実は、本当の心からの愛は命令とか強制で出来ないと思います。愛は自由に与えられなかったら、偽りになり、意味がありません。

【神が先ず私達を愛して下さった】
聖書の教えによりますと、神を愛する理由は一つです。それは神が「私」を先に愛しましたので、私は神を愛します。

「私達が愛するのは、神が先ず私達を愛して下さったからです」

とヨハネの手紙一4章19に記されています。神は私達の為にこの美しい世界をお造りになりました。そして人間を喜ばせる為に最も必要な物を備えて下さったのです。空気と水、食べ物と適切な気象などをわざわざ私達の為に創造されました。事実、証拠をあげるなら、地球は宇宙の中で最高にユニークな所である事を否定出来ません。科学者は色々と調べましたが、地球以外は生命を支える所がまだ見つかっていません。愛する創造主は私達の精密なニーズを考え、この世を計画しお造りになりました。そして、更に神は私達一人一人をも特別に計画して生かして下さいました。詩編にこの御言葉があります。

「あなたは、私の内臓を造り、母の胎内に私を組み立てて下さった。」(詩編139:13)

実に神は私達を愛するために私達を特別に造り、この素晴らしい世界に入れて下さいました。

【人が神を無視した結果】
しかし、人間は神によってこんなに祝福されたにもかかわらず、愛する神が教えて頂いた生き方を拒否して、自分で決めた道を歩むようになりました。その結果、神との関係と人間同士の関係が駄目になり、色々な苦難と悲しみがこの世に入ってしまいました。私達は愛する神を無視しましたけれども、神は決して私達を見捨てませんでした。却って私達をいつまでも愛して下さいます。そして、私達を救う為、御自分の独り子イエス・キリストをこの世に派遣されました。ヨハネの手紙一4章9にこの大事な御言葉が記されています。

「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、私達が生きるようになる為です。ここに、神の愛が私達の内に示されました。私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛して、私達の罪を償(つぐな)ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」

【主は忍耐を持ってわたしたちを愛して下さる】

神は私達をお造りになって、祝福して下さいました。そして、私達が主の道を拒否しても、主は忍耐を持って愛し続け、御自分の御子イエス・キリストの贖い死を通し、私達を救い、永遠の命を賜いました。

皆さん、神によってこんなに愛された私達は当然神を愛するはずです。私達に対する神の大きな、大きな愛を知る者はこれ以外の反応が出て来ないはずです。私達は

「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして」

神を愛します。つまり、意思と力と知性と感情を通して神を愛します。 

先に言いましたように、愛は主に選択と意思の問題です。神が先ず私達を愛して下さいましたので、私達は自分の意思を用いて神を愛する事を選択します。こんなに愛されるのだから、私はこれから神を愛するつもりと決定します。フィーリングが良くても悪くても神を愛します。

【愛は行動を伴う】
神を愛するとき、私達の力も必要です。つまり、奉仕を通して愛を現します。神のお働きを通して私達の生活は自己中心から神中心と変わります。もちろん私達の価値観も変わる事です。愛は態度ですけれども、その態度には行動が伴います。

【愛は知性です】
また、私達の知性を通して神を愛さなければなりません。つまり、御言葉を学んで主のご性格と御旨と戒めを習い、頭を使ってその習った事を毎日の生活に実行すべきです。神は私達一人一人に知力を与えて下さいましたので、その知力を用いて神に従いましょう。

【愛は感情です】
そして、最後に感情を通しても神を愛する事が出来ます。我々の信仰はもちろん感情に基づいていませんが、例えば感謝の気持ちがあるとその気持ちを神に表すべきです。また、神の賜物である喜びを経験する時、そのフィーリングを神に伝えなさい。

【わたしたちは主を愛し、主の掟を守ります】
事実、私達は神を愛するから、今日ここで集まり、主を礼拝します。礼拝を通して私達は神を愛します。神を讃美する事と御言葉を学ぶ事、また祈る事によって私達は、「神様、誰よりも、何よりも、あなたを大事にし、愛します」と宣言します。

そして、最も大事なこととして、私達は神に従う事によって、主を愛します。主イエスはこのように言われました。

「あなたがたは、私を愛しているならば、私の掟を守る。」(ヨハネによる福音書14章15)。

まさに、それは神を愛する本質になります。だからこそ、主イエスがおっしゃったように全ての律法は第一に神を愛する事に基づいています。主イエスの教えを学んで、そして主御自身の助けによって毎日の生活に主の教えを守るとき、私達は神を愛しています。どうか、私達は心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、私達の神である主を愛しましょう。(おわり)

2006年02月19日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , ヨハネの手紙一 , 新約聖書 , 旧約聖書 , 詩篇

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