お金の使い方 ウイリアム・モーア

マタイ福音書6章19-34

長年の謎

1997年、長年の謎がやっと解けました。それは誰が、全部で数十億ドルを寄付したかという事です。その寄付を受けた福祉施設や学校や救済団体などは寄付者が全く分りませんでしたので、お礼の手紙さえも送る事が出来ませんでした。寄付金はいつも銀行口座宛小切手の形で送られましたから、寄付者は不明でありました。そして、小切手と一緒に来たメモには、送り主は無名で寄付したいと書いてありました。

マスコミは誰かが莫大な金額を無名で寄付している事を聞いて、その送り主の身元を調べました。そして、調査は10年程かかりましたけれども、やっと寄付者の名前が明かになりました。それは66歳のチャールズ・フィーニー社長でした。彼は大きな免税店チェーンストアのオーナーで、アメリカで400人のお金持ちの中の一人と思われました。しかし、詳しく調べたらフィーニー社長は実際にそれ程の金持ちではありませんでした。財産の99%をもうすでに寄付していましたからです。自分の会社の株を少しずつ売って、全部で40億ドル、すなわち、4600億円を密かに寄付していました。フィーニー社長は古い衣服を着て、5ドルの腕時計を使って、家も、車さえも持っていません。彼は本当に質素に暮しています。

フィーニー社長は想像出来ない程の豪華な生活が送られるのに、一体どうして99%の財産を手放して、そのような質素な生活を送っているのでしょうか。実は、彼は面接を全然許しませんでしたから、その答えがはっきり分りません。しかし、恐らくフィーニー社長はイエス・キリストから、財産について大事な事を学んだ事でしょう。

地に富を積んではならない

今日の個所、マタイによる福音書6章19節を見て下さい。「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食う事も、さび付く事もなく、また、盗人が忍び込む事も盗み出す事もない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

富は悪いものか

イエス・キリストは富とお金についてよく教えられました。御自分の譬え話の3分の2位はその主題であって、私達が学んでいる山上の説教にも「富」が重要な課題として取り上げられています。神の御子主イエス様はどうしてお金と富の事をそれ程話題にしましたか。聖人だったら、この世のものよりも霊的な事に集中すべきではありませんか。実は、イエスは人間の心を誰よりもよく知っておられました。つまり、私達にとって、富の魅力、また、神の代わりに富に頼る誘惑を知っておられました。更に、主イエスは、私達が人の価値も自分の価値も、持っている財産によって見積もる傾向があると知っていました。ですから、富に対する私達の態度には重要な霊的意味があるので、主イエスはその課題についてよく教えて下さいました。

「あなたがたは地上に富を積んではならない」と主は言われました。つまり、生活に必要以上に富を積むと、その富に信じきって、神を忘れる恐れがあると主は教えました。譬え話を用いてイエスはその問題を取り上げました。

「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えが出来たぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし、神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったい誰の物になるのか』と言われた。自分の為に富みを積んでも、神の前に豊にならない者はこのとおりだ」と主が語りました。(ルカ12章16~21)。

そうです、地に富を積めば、神の代わりに富みに頼って、愛する造り主を忘れるのです。

更に、私達は人と自分の価値が、持っている財産で決まるとなると、大変不安ですね。もしその財産が無くなると自分の価値もゼロになってしまいます。主イエスの言葉では、富だったら、「虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。」いくら注意しても、どんなに財産があっても、無くなる恐れがあります。株価の暴落があたり、会社がつぶれたり、銀行の破産で預けたお金が失われたり、信頼した従業員が自分のお金を使い込む事などあります。そして、いくら財産があっても、それは足りないように感じます。

ある新聞記者がトップ実業家6人と会見しました。皆は少なくとも数千万円の年収があったので、あまり経済的心配がないと記者が思いました。しかし、「一番心配する事は何ですか」と聞くと、皆は同じように答えました。それは、収入が足りないか、何かが起きて持っている財産を失ってしまう事でした。そして、「どのぐらいの収入で足りますか」と聞くと、皆は「もう少し欲しい」と答えました。

天に宝を積む

イエス・キリストは地上に富を積むより、「富は、天に積みなさい」と言われました。しかし、どのようにして、天に富を積む事が出来るのでしょうか。お金を天国にある銀行の口座に送金出来ますか。宝を宅急便で天までに先に送れますか。もちろんそれは不可能です。富を天に積むと言う事はやはり、この世で主によって託されたお金と財算を神の御用の為に用いる事です。つまり、神の栄光を現す為に、人助けや教会の維持や福音の宣教や社会福祉などに自分のお金を使うと天に富を積みます。そうすると神を喜ばせ、自分の事よりも、主の仕事に優先権が与えられます。

そして、天に富を積むと「そこでは、虫が食う事も、さび付く事もなく、また、盗人が忍び込む事も盗み出す事もない」とイエスが言われました。すなわち、自分の富を通して神の働きに参加しますと、その業は永遠に重要性があると言う事です。その事は神によって評価されているから絶対に無くならないし、忘れられていません。

「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ」と主が言われました。本当にその通りです。もし地上に富を積んで、その富を自分と自分の家族の為ばっかりに使うと、自分の心はそのレベルに留まってしまいます。その反面、自分の富を通して神様の働きに参加すると、心は天のレベルまで上げられます。つまり、富を天に積む事になります。

明るい目、暗い目

続いて、22と23節を見ますと、この主の御言葉があります。「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれ程であろう。」イエス当時の人々にとって、目は外にある光を受ける、窓のような物ではなく、目の中に光があって、その光を物に映す事によって人間が見る事が出来ると信じました。従って、目の中の光が駄目になったら、失明してしまい、人生が暗くなります。また、「駄目の目」にはもう一つの意味がありました。「駄目の目を持つ」と言う人は欲張りで物惜しみする人でした。その反面、「良い目を持つ人」は寛大で憐れみ深い人と言う意味がありました。ですから、周りの者と神の働きの為に生きる寛大な人は明るい心を持っています。しかし、ケチな欲張りは自分の為だけに生きているので、暗い存在です。

ジョンD.ロックフェラー

ジョンD.ロックフェラーと言う実業家はアメリカの石油産業を独占して、50歳になった時、世界一の金持ちになりました。しかし、莫大な富を積んでも惨めな人性を送っていました。精神的にも身体的にも霊的にも病気でした。生き甲斐と喜びを経験できず、心配ばかりの存在でした。「毎日、寝る前に、私の成功はたぶん一時的のものになると恐れた」と後で言いました。ある日、ロックフェラー氏は大きな変身を経験しました。富を積む人よりも、富を与える者になると決心しました。そして、世界の人々の健康と教育の為、相当なお金を寄付して、ロックフェラー財団を設立しました。その働きは生き甲斐になって、彼は98歳までハッピーな人生を送りました。そのロックフェラー財団は今も良き働きをしています。実に彼の「駄目の目」は「良い目」になって、光ある人生を歩み初めました。

神と富とに兼ね仕える事は出来ない

次は24節を見て下さい。「誰も、二人の主人に仕える事は出来ない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらがである。あなたがたは、神と富とに仕える事は出来ない」とイエスは私達に教えられます。主イエスによりますと、誰でも大事な選択があります。それは自分の人生で何を、あるいは、誰を優先しますかと言うことです。富を優先すると神に仕え難くなります。どちらかを選択しなければなりません。

ジョン・ウエスリーの説教

ある男の人はメソジストの創始者であるジョン・ウエスリーの説教を聞きに行きました。そして、その説教の課題はお金でした。第一のポイントは「出来るだけお金を沢山儲ける」でした。「それは良かった」と男の人は友人に言いました。第二のポイントは、「お金を無駄に使わず、沢山を貯める」でした。その第二のポイントを聞くと男の人は大賛成しました。しかし、第三のポイントに来ると彼はあんまり喜びませんでした。それは、「お金を出来るだけ沢山与える」事でした。その第三のポイントを聞いて喜ぶ人は、富に仕えるのではなく、神に仕えているのではないかと思います。

まず神の国と神の義を求めよ

最後に、主はこのように教えられます。有名な個所ですが、もう一度聞いて下さい。25節以下34節まで「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種もまかず、刈り入れもせず、倉におさめもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養って下さる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうち誰が、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、つむぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装って下さる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」と主イエスは教えられました。

愛する兄弟姉妹、これはお金の正しい使い方の鍵だと思います。神の愛と摂理を心から信じると、自分の為に地上に富を積む必要がありません。優先的に神に仕えると、神は必要な物を備えて下さいます。それは主イエスの約束です。その約束を本当に信じますと、お金の正しい使い方は問題ではありません。

祈り

恵み深い天のお父様、色々な面で私達を祝福して下さって心から感謝します。特に、生活に必要な物を与えて下さりありがとうございます。どうか、あなたの摂理を徹底的に信じ、地上に富を積むよりも、天に積むように助け導いて下さい。そして、天に富を積む事によって、あなたの喜びで満たして下さいますようにお願いします。

2005年10月30日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , 新約聖書

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