「あなたがたは世の光である」ウイリアム・モーア

マタイによる福音書5章14~16

14:あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。

15:また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。

16:そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」


コリントの信徒への手紙一10章31

31:だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。

【ピエロの宣教】
最近、キリスト教の世界にも世の流れと共に色んな宣教方法があります。青年伝道や、学校・病院のチャプレンの働きや、神学校で教える事などは昔からよく知られている奉仕ですけれども、最近は珍しい、あんまり知られていない特別な奉仕もあります。例えば、ある団体の働きは、道路がまだないアフリカと南米のジャングル村まで宣教師達を飛行機で移送して下さる事です。飛行機は小さいですが、宣教師の為の航空会社みたいです。またある団体は聖書を珍しい言葉に翻訳します。御言葉は全ての民の為であると信じ、わずか数千人の部族でも、その人の言葉に聖書を提供します。しかし、私が聞いた変わった宣教方法の中で、恐らくピエロの宣教は一番珍しいのであります。その方々はピエロのスーツを着て、観衆を楽しませながら、聖書のお話を語ります。

【日常の仕事は神の国の発展の為に重要】

このような特殊なクリスチャン奉仕は大変大事であって、神の国の発展の為に重要な役割がきっとあると思います。しかし、ちょっと不思議な事に、様々な特別なクリスチャンの奉仕が覚えられていても、私たちは一番重要な奉仕をよく見落としてしまいます。その一番重要なクリスチャン奉仕は、聖職つまり牧師とか伝道師のような事だとは考えていません。実は、私たちすべての日常の仕事の事だと考えています。毎日の仕事を通して私たちは一番大事なクリスチャン奉仕が出来ると信じております。神は恐らく教会の会堂よりも、工場や事務所やお店などの事を重んじておられます。なぜなら、人々は教会よりも、その場所に人数が多くて、また人々は職場に遥かに長くいるからです。私たちの毎日の生活を通して、また職場での証と奉仕は教会で行った事と比べ重要性は決して劣っていません。私たちは教会での礼拝と御言葉の学びと交わりによって強められ、毎日の生活で証を立て、周りの者に神の愛を現す事が出来ます。ですから私達の仕事はクリスチャン宣教と奉仕になります。


【天幕作り職人・使徒パウロ】

実は、使徒パウロは普通の仕事の重要性がよく分かりました。教会の最も偉大な宣教師で重要な神学者であった使徒パウロは、自分の手で天幕を作って生活をしました。彼は良い天幕を一所懸命に作って、自分の仕事で主イエス・キリストの御名によってお客さんに仕えました。パウロにとって、自分の宣教活動と天幕作り、両方にわたり神の栄光を現しました。また、天幕のお仕事を通して多くの人と接する事が出来、キリストの福音を伝える機会が増えて来ました。特に宣教の為に新しい町へ行った時、自分の商売は伝道にプラスになりました。コリントの教会への手紙を書いた時、使徒パウロはこのように述べました。「あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、全て神の栄光を現す為にしなさい。」(コリント一11:31)。食べる事と飲む事さえも神に栄光を現せるならば、もちろん自分の仕事でも同じ事が出来ます。もし仕事が奉仕と伝道の機会だとしたら、どんな真面目な仕事でも神に栄光を現せます。


【聖職と世俗はない】

キリスト者皆はフルタイムで神と隣人に仕える事で召されています。そして、日常の仕事でその使命を果たす事が出来ます。実際にパート・タイムキリスト者は矛盾なのです。宗教改革者は心からその事を信じました。宗教改革の当時、カトリック教会の教えによりますと、神父と修道士と尼僧だけが本当に良いクリスチャンになる事が出来ました。信仰がどんなに立派でも、聖職でない者は誰でも第二級のクリスチャンになってしまいました。つまり、一般の仕事をする者は見下げられていました。しかし、ルーテルとカルビンのような宗教改革者はその教えに強く反対しました。彼等によりますと、全ての真ともな仕事は神の目には高く評価されていると主張しました。事実、私たちのそれぞれの勤労を通して、隣人に仕え、神を喜ばせる事も出来ます。ですから靴直しと牧師の天職は全く同じレベルと重要性がありました。主婦と尼僧もそうです。この革命的な原理は「一般の生活の神聖さ」と呼ばれて来ました。自分の仕事をする事によって神の栄光を現し、また主の目的を果たす事が出来ます。


【お互いの日常の勤労を通して】

そして、勤労を通して私たちはお互いに仕えます。働く事はただ食べて行く為に必要な悪ではありません。却って、私たちは仕事を通して具体的に隣人を愛する事が出来ます。考えて見て下さい。もし全ての人は自分のそれぞれの仕事を止めたら、どうなりますか。その結果は社会の崩壊でしょう。食料品がすぐ乏しくなっても困ります。停電の為、照明器具と全ての電気製品が使えなくなります。そして、病気になったら開いている病院がありません。更に、ガソリンが売ってなくては動く事が非常に難しくなります。その上、警察官が町からいなくなったら、この世はジャングルの法則に戻ってしまいます。
ですから、ごく単純な仕事さえも重要であって、皆の福祉の為に必要であります。駅で掃除をしても、病院で命を救っても、私達の働きを通してお互いに仕え合い、また、神の栄光を現せます。


私たちが力ある限りに働くのは神の御旨であります。いくらレジャーが楽しいと言っても、レジャーがあり過ぎると、自分の生活は面倒くさくなり、面白くはありません。もし富があって、もう働かなくても生活が出来ると思って、レジャーばっかりしていたら、ほとんどの人はやがて、レジャーに飽きて仕事を探します。私たちそれぞれは神から使命を授けられています。そして、働く事によってその使命の一部を果たす事が出来、人生の意味と満足感が得られます。


【ボランティア】

私の父は十数年前に定年退職して、今、母と共にノースカロライナ州にあるシルバーの村に住んでいます。まだ健康であるから毎日忙しいです。しかし、旅行や買い物や外食などのレジャーをあんまりしません。実は、父は色々なボランテイア活動でとても忙しいです。町の諸教会は食料品を集めて、経済的に困っている者に配達します。父はその困っている人の相談を受けて、問題の解決方法を探してあげます。父はまた、町の老人大学で聖書を教えたり理事会に入っています。更に、地元の奉仕クラブのリーダーになって、大学へ行けるようにお金があんまりない学生の為に奨学金を集めます。そして、毎週一度、町の小学校で勉強の弱い生徒を教えます。父はこのような奉仕を楽しんでしています。ボランテイア活動を通して隣人に仕え、具体的にイエス・キリストの愛を表す事が出来るから満足を感じます。ただ自分のレジャーばかり考えたら、大変空しい事だと思います。


アメリカ大恐慌の時、ある農家は自分が大事に作ったじゃがいもを町へ運びました。国の購買係はじゃがいもの重さを計ってから、このように言いました。「残念ですけれども、これからあなたのじゃがいもに石油を掛け、燃やします。それは値段を支える為の政府の対策です。」農家はそれを聞いてびっくりしました。そして、自分が作ったそのじゃがいもを持って市場で売りました。国が払う値段は市場の値段より高いけれども、じゃがいもを燃やすと自分の労働は無意味になってしまいます。市場で売ったら困っている人はじゃがいもを安く買う事が出来、そしてそのように隣人を仕える事によって農家は自尊心を保つ事が出来ました。


【仕事を通して神の栄光を現す事】

私達の日常の仕事と奉仕は愛する神から頂いた恵みです。仕事を通して神の栄光を現す事が出来、隣人に仕えます。仕事はこのように大きな意味がありますので、満足感を経験します。そして、更に、私達の仕事を通して証を立てる機会が与えられています。


皆さんは多分国際ギデオン協会の活動をよく知られていると思います。近藤長老はその団体の長年のメンバーであります。ギデオン協会のおもな活動は聖書をホテルと病院と学校に置く為、寄付する事です。多分ホテルでギデオン協会寄贈の聖書を見た事があると思います。ギデオン協会の始まりは、キリスト者である巡回販売員達が販売員同士にイエス・キリストの証を立てたい事でした。そして、彼等はアメリカ全国のホテルの部屋に聖書を置きました。彼等は自分の職場を用いて伝道しました。そして、数え切れない程の人はギデオン協会寄贈の聖書を読んだ事によってイエス・キリストを信じるようになりました。


【あなた方は世の光である】

今日の聖書朗読で主イエスはこのようにおっしゃいました。「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れる事が出来ない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のもの全てを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになる為である。」(マタイによる福音書5:14~16)
もしイエス・キリストが私たちの主と救い主であるならば、私たちは神の光になります。職場の同志たちに神の光と勤めを通して仕える者は世の光です。私たちの仕事はただ食べていく道具ではなくて、神から与えられた天職です。その真理が本当に分かっていたら、周りの者は私たちの中にあるキリストの光を見る事が出来ます。つまり、私たちの態度と行いを見て、天の父をあがめるようになるでしょう。どこの職場でも人がいます。そして、人がいれば証の機会が十分あります。


【毎日の働きは主から授けられた天職と宣教】
今日はペンテコスト、すなわち聖霊降臨日です。今日聖霊が教会の上に降った事を覚え、記念します。その同じ聖霊、つまりイエス・キリストの霊は私たちと共にいて下さいます。特に、聖霊はキリストの証を立てる私たちを助けて下さいます。その神の助けがあるからこそ、毎日の働きは主から授けられた天職と宣教になります。

愛する兄弟姉妹、「あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何を刷るにしても、全て神の栄光を現す為にしなさい。」「あなた方は世の光である」。

2005年05月15日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , 新約聖書

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