復活節礼拝メッセージ【ここに私達の希望がある】ウイリアム・モーア

◆復活する マタイ28章 1:さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。 2:すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。 3:その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。 4:番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。 5:天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、 6:あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。 7:それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」 8:婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。 9:すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。 10:イエスは言われた。「恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」

【主イエス・キリストの復活】
今日、復活祭、イースターの際に、私達は主イエス・キリストの蘇りを覚え祝う為にここに集めて来ました。そして、世界中数え切れない程の主にある兄弟姉妹も私達と一緒に復活の喜びを分かち合っています。しかし、主の蘇りを祝うと同時に私達の心は重いです。特に今年はこの世はテロと戦争に巻き込まれ、平和と愛の世界は夢にすぎないような気がします。毎朝、新聞を読むと悪いニュースは良いニュースより遥かに多く、この世はいったいどうなるのか心配で心を取り乱しています。

【ペンタゴンからの大変悲しいメセージ】
十三年前の事ですが、湾岸戦線の最中の時、ルーツ・デイローと言う婦人の元には米国国防総省ペンタゴンから大変悲しいメセージが届きました。自分の独り息子、19歳上等兵、最愛クレートン君がクウェートで地雷を踏んで即死してしまいました。デイロー婦人は後で自分の感情についてこのように述べました。「私の悲しみとショックは言い尽くせない程でした。耐えられない悲嘆に沈んでいました。三日間ずうっと涙を流しました。それから、三日間私の苦しみと怒りを表現しました。周りの家族と友人は私を励まそうとしましたが、あんまりにも深い悲しみで、慰めになるのは何もなかったのです。」

しかし、突然その悲しみの中で思いがけない連絡がデイローさんに入りました。電話が鳴ると、この声が聞こえました。「お母さん、クレートンだ。僕は生きているよ。」始めは、デイローさんはその事が信じられませんでしたが、声は確かによく聞き覚えがあるクレートン君の声でした。それは間違いなく自分の息子で本当に息子は生きていました。その当局からのメセージは大違いでした。そして、自分の気持ちについてデイロー婦人はこのように言いました。「私はあまりの喜びで始めは笑いました。そして、しばらく経つと、ほっとしたのか泣き出しました。それから皆にクレートンが生きている事を伝えたかったのです。死んだと思った息子が無事だったので、私の心は喜びで溢れていました。このような経験は、体験した事のない人には、この気持ちが分かり難いでしょう。」

【主イエスの死と復活】
それは多分そうですが、確かに今日の御言葉の中の人達は全く同じような気持ちを経験したと思います。ある日、弟子達は自分の愛する先生の残酷な十字架の死を目撃しました。主イエスの言葉、「わが神、わが神、何故私をお見捨てになったのですか」と聞きながら主の言い尽くせない苦しみを見ました。そして、遂にイエスは「成し遂げられた」と宣言してから、頭をたれて、「父よ、私の霊を御手に委ねます」とおっしゃって息を引き取られました。また、弟子達は主イエスの遺体が十字架から下ろされ、お墓に葬られました事を全部自分たちの目で見ました。
弟子達の全ての希望と夢もイエスと一緒に葬られてしまいました。主イエスは神の御子であると信じましたけれども、御自分の恥ずかしい死に伴ってその事が分からなくなりました。金曜日と土曜日も彼等はイエスの死を嘆き悲しんでいました。そして、今日の御言葉によりますと、「安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリヤともう一人のマリヤが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天からくだって近寄り、石をわきへころがし、その上に座ったのである。」天使は彼等に言いました。「恐れる事はない。十字架につけられたイエスを探しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていた通り、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われたので、婦人達は近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれふした。イエスは言われた。『恐れる事はない。行って、私の兄弟達にガリラヤへ行くように言いなさい。そこで私に会う事になる。』」

全能の神の力によってイエス・キリストは「復活なさったのだ。」御自分の弟子達は蘇られたイエスに出会って、主との交わりを何回も持つ事が出来ました。弟子達の深い悲しみは大きな喜びに変えられ、失望のどん底に落ちた彼等には新たな希望が与えられました。

今日、イエス・キリストの復活、すなわち歴史の中の最も大事な出来事を覚え祝います。主イエスは死人のうちより蘇り、今、私達の中に生きておられます。そして、主御自身の蘇りは全ての事を変えます。
コリントの信徒への手紙一15章には使徒パウロはイエス・キリストの復活の意味について色々な重要な事を教えています。20節に特別に大事なお話を述べます。(P321)「しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによって全ての人が死ぬ事になったように、キリストによって全ての人が生かされる事になるのです。」

この御言葉によりますと死は全く希望と意味のない悲劇ではありません。何故なら、主の復活のお陰で死は永遠の命の始まりとなります。イエス・キリストの贖いの死と復活によって私達は神の赦された子供になって、天国への道が開かれています。この世での私達の命はもちろん神様から与えられた大きな祝福ですけれども、それは一時的な存在です。間違いなくいつか終わります。その反面、これからの死後の命はいつまでも続く永久なものです。愛である全能の神の御前に出られる完全な命です。この世での弱さや罪や悲しみなどがなく、天国で神が私達の目から涙をことごとくぬぐって下さいます。今は想像出来ない程素晴らしく楽しい存在になります。

言うまでもないが、私達のこの世の命の時間は限られています。一日が経つと寿命の残った時間が少しつづ少なくなります。砂時計のように私達のこの世での命の日々がだんだん消えてしまいます。しかし、これからの死後の命は限られていませんし、永遠まで、いつまでもあります。ですから、永遠と比べるとこの世での物質的な事についての心配はあんまり大した事ではありません。永遠と比べると自分の住む家とか乗る車はそれ程関係がありません。また永遠の世界にあっては、この世の自分の学歴とか地位は忘れられてしまいます。実は、私達のこの世界の歩みにはこれからの世の為の大事な準備であります。イエスはこのように言われました。「心をさわがせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい。私の父の家には住む所が沢山ある。もしなければ、あなたがたの為に場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたの為に場所を用意したら、戻って来てあなたがたを私のもとに迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいる事になる。私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行く事が出来ない。」(ヨハネ14:1~6)そうです、イエス・キリストを救い主として心から信じる事によって永遠の命の準備が出来ます。

【一番豊かな人】
大農園の持ち主でカールと言う大金持ちの男の人がいました。彼の一番好きな事は乗馬に出かけ、自分の広大な土地を見る事でした。実は、豊かな土地と財産を見ながら大変満足した気持ちになりました。ある日、彼が馬を乗っていた時、遠くから自分の小作農民一人を見かけました。その男は年よりのハンスと言う信仰深い者です。お昼の時ですからハンスは畑で弁当を食べようとしたところ、食べる前にハンスは目をつぶって感謝の祈りを捧げました。カールはそれを見るとハンスの弁当を覗きました。それはただ荒いパン一枚と古いチーズの小さなかたまり一個でした。カールはあざ笑ってハンスに言いました。「もし私がそのような貧しいお昼の食事を目の前にしたら、きっと感謝の祈りを省略するよ。」ハンスは謙遜に返事をしました。「このお弁当は私には十分です。神様が私にこのパンとチーズを下さいましたから感謝すべきです。」その信仰から来た返事を聞いてカールはびっくりして帰ろうとしましたが、ハンスはまたこのように言いました。「昨晩私は不思議な夢を見ました。とても美しい所を見ました。それから声が聞こえました。『今夜農園の一番豊かな人が亡くなります。今夜農園の一番豊かな人が亡くなります』と言う声を聞こえたのです。」

お金持ちのカールは「それはとんでもないバカな事だ」と言って家の方へ向かいました。しかし、彼は帰る道にハンスの夢を忘れられませんでした。「まさかその夢は私の事ではないでしょう。僕は元気だと思うけど、そう言う事を聞くとちょっと気になる。」そして、彼はその事を考える程、胸に痛みを感じるようになりました。
家に着くお金持ちのカールは早速お医者さんを呼んでハンスの夢と自分の症状を言いました。「心配しなくても良いと思いますが、安心の為に診察をしましょう」と医者は勧めました。そして、診察を行うと悪い所は何もありませんでした。「あなたはとっても健康です。今夜死ぬなんてとんでもありません」と安心させました。そして、お金持ちのカールは「今夜農園の一番豊かな人は亡くなる」と言う年寄りの愚かな夢の事で心配したのが恥ずかしく思って床についてぐっすり眠りました。

次の日、朝起きると家令がカールのドアに来て、このニュースを届けました。「年寄りのハンスは昨晩亡くなりました。」農園の一番豊かな人ハンスは天に召されたのです。

【死よ、お前の勝利はどこにあるのか】
聖書にこの使従パウロの言葉が書いてあります。

「死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。私達の主イエス・キリストによって私達に勝利を賜る神に、感謝しよう。」(コリント一15:55、57)

主イエス・キリストの復活によって、勝利を得た私達はこの混乱の世にいる間にも、大きな希望と勇気があります。また、大事な使命が与えられています。この世がどのようであっても、生きた神主イエス・キリストによって私達は生かされて生きられます。さらに、永遠の豊かな命までも授けて下さいます。恐れるな、主イエス・キリストは蘇られました。本当に蘇ったのです。

2004年04月11日 | カテゴリー: マタイによる福音書 , 新約聖書

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