市川康則より「キリストの復活―事実? 偽証? 文学的表現?―」

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キリストの復活―事実? 偽証? 文学的表現?―

 死者の復活など、普通信じられません。仮死状態からの蘇生(そせい)は時々聞きますが、死が確認された人が完全な身体機能を伴って再び生きるなどということは考えられません。しかし、新約聖書の福音書は、キリストの遺体が収められた墓が空であったことを明記し、キリストの完全な死からの完全な復活を最重要事項として教えています。

 これに対して、古来、空の墓を合理的に説明して復活を否定する説が唱(とな)えられて来ましたー1)キリストは蘇生して、墓から出た、2)弟子たちが遺体を盗み出した、3)弟子たちがキリストへの強い思い入れのため、幻影を見た、4)弟子たちはキリストと自分たちの大義・名誉のために偽りを語った、5)復活物語は、出来事自体ではなく、それによってあるメッセージを発信するために、そのような文学的表現を用いたに過ぎない、等(とう)等(とう)。

 しかし、これらの説はいずれも、可能性が非常に低いのです。当時看守は、囚人が逃げたら、その囚人の刑罰を自分が代わりに受けなければなりませんでした。命懸けで監視したはずです。また、弟子たちは救い主と信じていた人が処刑された訳ですから、自分たちも同じ目に遭うと思い、戦々恐々として家に閉じこもっていました。さらに、使徒パウロは、復活したキリストが500人以上の信者たちに同時に現れたと伝えていますが、500人が同時に幻影を見ることは考えにくいでしょう。また、文学的表現であるのなら、聖書記者はこのような表現手段をどこから得たのでしょうか。不老不死物語の類(たぐ)いはたくさん存在しますが、死人の復活は(旧約聖書の類例の他には)新約聖書にしかありません。

 キリスト教は最初の3世紀間、ローマ帝国で非合法宗教として弾圧の対象でしたが、しかし、どんなに殉教者が出ても、ますます増え広がって行き、その結果、4世紀の初めに公認され、そして4世紀の終わり近くに国教とされました。国家権力者が撲滅の対象であった宗教を(利用したとしても)国教にせざるを得なかったのはなぜでしょうか。

 もちろん、以上のように言っても、キリストの復活が証明された訳ではありません。しかし、キリストが復活したというのも一つの仮説だとしても、上に紹介した否定的な諸説より、はるかに可能性が高いことは否定できません。キリストは信じる人に同じ恵み(永遠の命)を与えてくださいます!

毎週日曜日は礼拝の日

千葉県の千城台教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。

日曜日 朝の礼拝
10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
日曜日 夕の礼拝
16時00分~17時00分
こちらも必要な持ち物は特にありません。朝の礼拝に出席出来ない場合におすすめです。
水曜日 祈祷会
10時30分から11時30分
こちらも必要なものは特にありません。聖書について学び、皆で神様にお祈りを捧げます。お仕事などで日曜日に教会に通えない方におすすめです。

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